自由の代償

 ブログってどうやって書いてたんだっけ。fnoithunderらしい記事ってどう書くんだったかな。分からなくなってきたぞ。リハビリと思って書き始めたら、8000字を超えてしまった。すみません。



 hagexさん関連の記事が大量にあがっている。いろんな記事が否応なく目に入ってくる。今まで避けていたもの、見ないようにしていたものが、どんどん飛び込んでくる。んで、この事件の関連記事を見ていて私が一番感じたのは「世代間ギャップ」のようなものだ。「世代」って言葉は安易すぎて何かズレてる気もするんだけど。例えば僕より10も20も若い人でも「あんたの言ってることよく分かるよ」という人もいれば、逆に同年代や年上の方でも「あんたの話は納得できない」って人もいるし。だから必ずしも「世代」ギャップとは限らないんだけど。とりあえずそう言っておく。「時代」かもしれない。
 
 このギャップの正体がなんなのか、どんなものなのかをハッキリ認識しないと、断絶が絶望的なレベルまで広がってしまう。或いはもう手遅れなのかもしれない。でも今は、自分に出来ることをやっておかなければ。

※ おことわり

 自分に近い世代の方をはじめ、何人かのはてなユーザーさんの話をします。そして意図を勝手に忖度して話を進めたりします。わざわざご本人を呼び出して真意を問いただすほどのことでも無いと思っているので基本的に記事リンク張ったりとかコールなどはしませんが、もしご本人やご友人の方がここを見かけて「それはちげーよ」とか思ったりしたら、すみませんがコメントなどでお知らせ下さいませ。こういうのって、いつもhagexさんが時系列できれいにまとめてくれてたんだよね……

① Paradisecircus69さん、delete_allさん

あざなわさん、フミコフミオさん。このお二人は、
① hagexさんとは面識がありofflineで交友があった ② onlineでもブログやブクマを通じてhagexさんと交流があった ③ hagexさんのブログをよく見ていた ④ ネットウォッチが大好物

といった感じでしょうか。ここまでhagexさんに親(ちか)しい人となると、はてなユーザーでは数えるほどしかいないんじゃないかと思う。今回の事件は他人事とは思えなかったことでしょう。ともにネットで遊び、長らく戦い続けてきた盟友を唐突に失ってしまった喪失感、悲しみは幾ばくか。

 追悼記事などを読みましたが、今回の事件についてはお二人とも「許しがたいテロ行為」という認識で一致していました。これはhagexさんが見知った人だから、というだけでは無い。例えば少し前の、新幹線であった通り魔殺人について、delete_all氏はこんなツイートをしていた。

こういう考え方、皆さんはどう思われるでしょうか。


 とりあえず、そんなに深く考えたツイートでも無さそう、ではありますが。それは、考えるまでも無いことだと思うから。ダメなことはダメ。ならぬものはならぬ。そんなのは当たり前。論ずるまでも無いだろう。理屈じゃ無いんだよ。


 と、こういうスタンスに、どうも最近の若い人はあまり説得力を感じないようだ。別に若い人に限った話じゃ無いのか。50代の人でもこういうのに反発する人はいるし。「加害者サイドの悲惨な境遇」だとか「事件の社会的背景」だとか「ネットの闇」だとかをもってきて、「アンタは事件の本質から目を背けているんだ」「現実から逃げている」「何も分かってない老害」とか。そんな感じ。

 とにかくどうやら、今の時代には通用しづらくなった価値観のようではある。ので、言葉を尽くして説明せねばならないのか。でもこれが非常に難しくてね。「道徳」と「規範」と「気概」の話だからな。これは「民主主義」でもないし「自由主義」でもないし「法律」でもないし、もちろん「科学的」でもない。「道徳規範」ってのはむしろそういった現代文明における「価値基準」とは相反することも多い。だからいまの文明文脈のさなかでは説得力を持たせづらい。


 でもこのお二人は、決して現実から逃げてるんじゃない。むしろ逆。戦い続けているからこそなんだよ。ここで負けてはいけない、逃げてはいけない、という感覚、判断基準があるからこその物言い。「犯人を許せない。テロに屈するわけにはいかない」というのは、決して硬直的で、逃げた考え方ではない。ダイナミックに、常に考え続け、前を向き、戦い続けているからこその言葉なんだってば。
 一応補足しておくけど「戦う」ってのは、具体的直接的に「テロリストと対決する」という意味ではない。たとえネット上であっても、ヤバそうなら逃げたり避けたりした方がいい局面もあるだろう。でもネットでの活動をやめたりはしない。今まで通り、「おかしい」と思ったことは指摘したり文句を言ったり。給食のしくみとかを解説したり。迷惑なヤツは通報したり、法的手段に訴えたり。そうやって、今まで通り戦うという意味です。今後、より慎重になる必要はあるんだろうと思うけれど。


 じゃあ、逆サイドの意見はどうなのか。犯人に同情的な意見としては「犯人と自分は地続きである」ってのがある。心理現象、状態としては「スペクトラム」なんだと。自分だってあちらサイドの人間になってしまうかも知れない、殺人犯と自分たちに「境界」なんて無いんだと。
 私の感覚では「そんなこと言うまでも無い。そんなの当たり前じゃないか。そんなことをわざわざ口にして、検討すること自体が、逃げであり甘えなんだよ」と思う。決して自分はダークサイドには落ちないぞ、落ちてたまるか、という気概、道徳規範のほうが何千倍も大事なんだよ。

 30年以上前の話になるのか。ルーク・スカイウォーカーダースベーダーは親子であり、地続きであり、(ある意味)スペクトラムである。でもルークは、皇帝の幻惑に負けずダークサイドへは落ちなかった。そちら側へは行かなかった。これは「気概」とか「根性」とか、そんな風にしか言いようがない。フォースの力は理屈じゃない。
 ベーダー卿の事情とか悲しみとか、そりゃ考える余地はあるだろうけど。でも「自分はそちら側へ行ってはいけない、絶対に行くものか」というのは「気概」としか言いようがない。いつだってどんなときだってダークサイドへの誘惑はある。止むことは無い。辛いことがあって自分が弱ってしまうことだってある。それでも、そこで踏みとどまって戦わねばならない、という話。

 戦わなくていいじゃない、ダークサイドへ行けばいいじゃない。その方が楽なんだし。だって悪いのは社会なんだし。私が悪いんじゃないし。っていう、そういう話には一切合切与するわけにはいかんのよ。それは皇帝の幻惑なのよ。そっちへ行ってしまった人を哀れむ余地はあるかも知れんが。その心理について検討し共感・共有する余地などない。価値などない。あってはならない。


 ……っていう、この価値観、規範意識が、いまどきいったいどこまで通用するのか。ここでやっかいなのがね。岡田斗司夫さんが言ってた話。「大学新卒が3割も4割も就職出来ないとかいうのが常態化してるんだから、もうしょうがないじゃない、就職しなくていいよ。本人には何の責任も無いし」っていう件。あざなわさんが岡田斗司夫すごく嫌ってたけど、こういうの「無責任な価値観」に思えるから、なんだろうな、とは思った。コイツは甘言をもって無責任に、若者をダークサイドへ誘おう、落とし込もうとしてやがる、と。お前らそっちへ行ってしまったら取り返しのつかないことになるぞと。

 今回は「ロスジェネ」が話題の中心になっているようだけれど。特にアジア通貨危機後の1998~とか、リーマンショック後の2009~辺りの就職組がとんでもなく辛かった、というのは間違いないだろう。

 「日本国」の「春」や「夏」を謳歌した世代が羨ましい。妬ましい。お前らなんかに俺達のいったい何が分かるんだ、っていう。確かに私だってもう5年、10年遅く生まれていたなら、もっと苦しい生活を強いられていたかもしれないと思う。逆に「ラッキーな世代」だったのが生まれ年で言ってしまうと、昭和30年前後あたりなのかな。しかしなあ。これ言っちゃうとなあ。
 昭和をメインに生き抜いてきた「団塊」とかの世代だと、殺人とか交通事故で死ぬヤツとかは今の2倍も3倍もいたんだし、公害や薬害も酷かったし、医療レベルは低いし、治山治水が進んでないから台風なんかで死ぬヤツもたくさんいたし……彼らはそれほど自由では無かったし裕福でも無かった。
 それよりもっと前、例えば私がもう50年早く生まれていたなら。おそらくインドシナの山中で。インドへと死の行軍をしながら、飢えと病気に苦しみながら、米軍機の機銃掃射を浴び、20代の若さで、絶命していたかも知れない。でもこの「日本・大正生まれ・男・人類」っていう条件設定もどうなんだよ。こんなのどうとでも例えられる。詮無いんだよな、こういう世代・時代論的な話は。どの世代が楽勝だった、ヌルゲーだった、なんて話は、詮無いよ……イケメンに生まれたかったとか、金持ちの家系が良かったとかいうのと同じ。毒親だとか発達障害だとか目や耳が不自由だとか生まれつきの心臓病とか、他にも色々ある。ヒトに限定するのもどうなんだ。ウスバカゲロウに生まれていたなら、とか。

 なんか話がズレすぎて収拾つかないな。

 結局、現場としては、自分が生まれ出でた状況を、運命、宿命として受け入れ、自分の持ち場で、戦っていくしか、生きるすべは無い。残念だがいつの時代でもどの世代でも、そういうものなんだよ。冬の時代に生まれたから、ダークサイドで構わない、国がバカだから仕方が無い、俺のせいじゃないし。なんて、そんなふうには考えて欲しく無いんよ。


 今回の事件の容疑者について、敢えて、強いて、語るなら。犯罪心理学の専門家に任せるべき、としか。んで、犯罪予防や市民の安全保障へと役立てていただくしか。どうしても語りたいならば「悪趣味」だと分かったうえで個人的に楽しんでくれ、としか。ド素人がこんなのマジメに検討したってどうしようも無い。殺人者に自分を重ねて、ダークサイドに落ちかかってる自分を慰めようってだけだろう。知った風なことを書いて乙に澄ますんだろう。自己憐憫と自己満足に浸るんだろう。

 こういう心理って、はてなユーザーだとシロクマ先生とか詳しそう。でもまあ話を振っても「いや自分は犯罪方面は専門では無いので、大した知見はないけど」とか遠慮されるかも知れないが。あくまで自分の分かる範囲、出来る範囲で戦う、ってのが大人の態度であり知恵。(と、また勝手な忖度を)


 確かに岡田斗司夫さんの言っている状況は深刻で、これは統治論として「治安の悪化」「国家の崩壊」につながるから、統治者は国民に職なり役割なりを必ず与えるべし、というのはマキャヴェリの話にも出てくる。これはこれで、やらねばならないことは確かにある。ただ、殺人者と直結して今すぐ検討するのではなく、マクロ論として。


 つまり私は、道徳規範の崩壊が、現代社会の問題だと思っているのですが、これは「自由主義」と「民主主義」が道徳規範を破壊しているのだ、とシュペングラーが言っている、と中野剛志さんが言っている、とfnoithuderが言っている、と、この話をブログ記事にする力が今は無いので、すみませんが今後の宿題、とさせていただきます。

 ちょっとだけヒントを書いておくなら、前にやった「差別する自由はあるか」とかいう話。「ある!」という人がいましたね。「ない!」という人も。じゃあ「人を殺す自由はあるか」もしくは「なぜ人を殺してはいけないのか」というのはどうか。増田定期の話題。こういうのみんな、自由論、人権、民主主義、法律論でやってたでしょ。その辺からしてもうアウトなのよ。他人の自由を奪ったら。殺害したら。出頭し、裁きを受ける覚悟があれば人を殺してもいいのか。裁きを受けて刑務所に服し、損害賠償を支払えば、法的にはそれで「責任を果たした」という扱いにはなるよね。

fnoithunder.hatenablog.com

② Kyoumoeさん

 いわゆる「低能先生」の発信者情報開示請求やってたのはkyoumoeさんだったそうで。かなり直接的に低能先生と戦っていたみたいだ。この情報開示請求が通ったのが今回の凶行のトリガの一つになっていた、ようには見える、けど。やっぱり私は全然事情が分からないし、やめよう。こういうの結局は後付けの話だしな。私はkyoumoeさんのブログは毎度見てたんだけど今回の騒ぎが起こるまで「低能先生」の存在を全く知らなかった。

 kyoumoeさんも「自分が人を刺す側の人間」になる可能性について言及しています。こういう感覚は理解できる(気がしている)。この人はずっと、自分なりの規範で、延々と戦い続けてきた人だからな。よくやるなー、とは思っていたけれど。結構ありがたい存在だった。クタビレの人とかと戦って釘刺してくれてたからな。私はエネルギー不足だし臆病だしはてな威信値は低いし、だいたいが面倒くさいし、とてもじゃないが戦えない。

 今回の件を切っ掛けに、「今日も得るものなしZ」のブログをやめるという。うん……残念だけど、寂しいけれど、何だか悔しいけれど。それがいいと思う。疲れたでしょう。

 きょうもえさんの記事が出てもなお、きょうもえさんではなくて、犯人側に寄り添うの人が意外と多いのが理解不能。上の方でも書いたけれど、確かに「犯罪者と我々はスペクトラムである」というのは結構当たり前なケースも多い。私も「殺してやりたい」とか、考えたことはあるし。妄想したことはあるよ。ここで書いた話。

fnoithunder.hatenablog.com

 イジメの首謀者たちを。通学路とかで待ち伏せして、ロケットランチャーで5,6人まとめて吹っ飛ばすとか。どんなに爽快だろう。ざまーみろ!何度もリアルに想像したことがある。「ナイフで刺す」とかは怖くて想像できなかったな。まあ、その程度の話だ。実行できない限りは結局こちら側だ。こちら・あちらは(現時点での)状態論だ。動的なものだ。これは、固定的に収束する話じゃ無い。常に規範を意識し、考え続け、戦い続けねばならない。そりゃまあ、時には弱ったりするし。休むことも必要だし。自分の道徳概念が修正を迫られることだってある。「道徳」だからって凝り固まってはいけないのだ。

 kyoumoeさんは、こちら側にとどまり、戦い続けるんだ、という「気概」のある人だから、まあ心配には及ばないというか、俺なんぞにどうこう言われるまでもないんだろうとは思いますけど。

 だいたいが、こういう「気概」を持つ人の、はてなのツートップがkyoumoeさんとhagexさんだったんだよ。二人を同時に失うってのは、はてな民にとっては、とくにブロガーにとっては深刻なダメージになるかもしれない。

③ 増田、tyoshikiさん

tyoshiki.hatenadiary.com

ここだけはリンク張る。読んで欲しいので。
かわんごさんは関係なくて、記事冒頭の増田。犯人に寄り添う典型。

あー、この増田あれか。やっぱアイツか。Nか。文体、論旨、雰囲気がそっくり。自身のブログでも似たようなこと書いてたし。というわけで、この増田は「N」さん、という前提で勝手に進めます。まあ、熱心な信者がマネしてる可能性も無くは無いが。tyoshikiさんもこれ「N」だろ、って分かってて、そういう前提で書いてる気がするこれ。という、勝手にまたそういう前提で進めますが、そう思って読むとなんだか切なくなると言うか、tyoshikiさんの悲しみが伝わってきてしまうというか。

 Nは、データや図表を用いて分かりやすく解説したりするのが上手で、凄く聡明な人だな、と思っていた。いわゆる「ロスジェネ」世代らしく、色々と苦労しているようだった。Nのブログは人気があって、私も購読してた。他のはてなブロガーに例えると、しっきー氏に似てるかな。ただまあ、ちょっとね。私的には問題を感じていて。言ってしまえば恣意的誘導がけっこう見られる。自分の論説の弱点や乱暴な部分も分かっていて。いけると踏めば多少雑でも押していくし、さすがにここはマズいかな、となれば、わざとぼやかしたり、結論まで書かずに読者側に投げたり。まあ、結論誘導してから投げてるから結局「自分の頭で考えて、私と同じになりなさい」みたいな誘導がすげえうまいな、と思った。けっこうズルい。そうやってある程度は読者をコントロールできるんだ、ってのをわかっててやってる。この辺がしっきーと違う。しっきーはできると分かっててもそんなことやらない。諦念やニヒルさを感じることもあるけれど、危うさを感じることははあるけれど、でも規範を失ってはいない。彼なりの「気概」を持っている。

 Nのブログを読んでいて、色々苦労してる人なのは分かったが、このまま放っておくのもマズいんじゃないか、と思った。優秀な人らしいのに、なんかヘンな方向に進んじゃってる。んで、何か私に出来ることは無いだろうか、など思って、何度かブログでリンク張って言及したことがある。なんか結構厳しめに批判してしまったんだが。なんとかこっちの意図が伝わってくれないだろうかと。時々ブクマでも何か言ったりして。Nの記事について私と同じタイミングでtyoshikiさんも言及しててね。そん時に「あの人、このままだとマズくない?ヘンな方へ行っちゃってるよね」とかハイクで話したんだった。

 その後もなんか不安な気持ちでNをウォッチしていたんだけど。なんかの記事を読んで、俺は諦めてしまった。ダメだコイツ。もうダメだ。助からない。どうにもならない。あちら側へ落ちてしまった。あちら側の人間になってしまった。所詮は俺のような立場で何か出来ることなど、あるはずが無かったんだ。そんなの分かっちゃいたけど。残念だ。残念だよ。悲しい気持ちになって、俺はNのブログ購読をやめた。もう見ないようにしよう。かかわるのやめよう。できるだけ視界に入れないようにしよう。まあ、結構な人気ブログだから、時折はてブロやブックマークのトップページに上がってくるから、見ちゃうこともあるんだけれど。今回もあがってきたしな。

 だからそんなわけで、tyoshikiさんが、Nやしっきー氏、三沢さんとかに対して、厳しい言及をしたりすることがあるのも、私と動機は同じなんだろうなと思っている。


 ……これって結局、hagexさんやkyoumoeさんも、同じなんじゃないかという気がしている。hagexさんとか、いくらなんでもはあちゅうに粘着しすぎだろ、とか思ってはいたんだけど。noteを何千円だか支払って買うとか、どんだけ好きなんだよ……とか思ってたけど。宮森画家なんかほっとけよ、別に実害も無いだろ、とか思ってたけど。そこには、「なんとか軌道修正して欲しい、道理をわきまえて欲しい」っていう思いがあったんじゃないか。そんな気がしている。

 俺はNを「見捨てて」しまったけれど、でも、そもそもが無関係なんだから見捨てたもへったくれもねえというか「見捨てた」っていう語感からして思い上がりなんだよな、って思っていたんだけれど。本当にそれでよかったのか、っての、今はちょっと悩んでいる。これが「可愛くない」から助けてやらない、ということなんだろうか。なんつーか、助ける側も「可愛く」なくなっちゃうな。

 これ、難しいなあ。以前に「俺はお節介やきのスピードワゴン!」って自己紹介をしたことがあったけれど、結構みんな気付いてくれるのよね。あ、今スピードワゴンいた!クールに去ってった!って。お互いに可愛く過ごせればいいんだがなあ。

④ fnoithunder

 ここまでさんざん規範だ気概だ道徳だと書いてきたけれど。実は今は結構自分の規範が揺らいでいる。もう何度か書いているけれど。西部さんが自殺してから。俺のやっていることは無駄なのか。虚しいことなのか。いったい何の意味があるのか。などと。
 しかし、中野剛志さんは言う。これから冬が訪れようとも。国が滅亡へと向かおうとも。それでも自分の持ち場で、全力を尽くせと。自分の宿命を受け入れ、戦えと。

 分かっちゃあいるんだ。最初から分かっていたことなんだ。でも、なんか今は少し弱っている。だからまあ、ちょっと休んで、自分のこともやったり書いたりしてみようか、なんて最近は思っていたんだが。いやしかしこれがなあ。自分のことをここに書いたって、それこそ意味がないじゃない。俺の日記なんてそれこそ誰も読みたくないし。なんて思ってね。ますます意味が無い、やる気が出ない、みたいなことに。
 
 あんまり気張りすぎず、でもやることはやっていこう。