「聲の形」省察

 こんなん泣くわ!


 どうなんだこれ。泣いたからってオススメって訳でもないところがやっかいだ。

 オーバー5000字です。ネタバレはあんまりなしですが皆無ではないので、これすごく楽しみにしてた!という人は映画観てからの方がいいかな。別にそうでもない、よく知らない、という人はぜひ読んでください。作品の感想というよりも、これを観たら色々と考えてしまった、という話です。


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 ↑「あ~恋をしたのは~」とかaikoさんが主題歌を歌っていて、告白シーン出てくるし、なんだまさかあのエグい話が恋愛ものに改変されているのかそんなわけあるのか、など思っていたのですが、そんなわけありませんでした。おススメ度98%って出てきますけど。俺的には50%だ。



 連載版の原作(漫画)は単行本で読んでいました。あんまりにエグいし「名作」とは思わないけれど、でも作者の強い情念に惹かれて読んでしまったというか。難しいテーマに真っ向から取り組んだのはすごいと思うし、それだけの情念があったと思うし。でも決して褒められた作品でもない気がするし。内容やメッセージ性がダイレクト過ぎというか。読後感はあまり良くなかったな。深夜アニメの枠ならヘンでもないし、その方がセクションとしては合ってる気がするんだけど。メジャー映画でやってうまくいくのかこれ。尺も足りないだろ。


 てなわけで「君の名は。」と違ってとっても気になる作品だったので、公開2日目に見に行ったよ。原作にはわりと忠実だけどなんせ尺が短いのでダイジェスト版という印象も。エグみ成分はかなり減ってる。友達みんなひどかったからね。そういうところが大幅にカットされてる。鯉にパンを与えすぎなのはまあ仕方ないとしても、風景や場面にあまり特徴ないしアクションもないし映画でやるのは難しかったかな。イマイチまとまりない気はした。原作好きな人はいいんじゃないかな。知らない人が見るとどうだろこれ。よくわからん。映画見終わってから、原作読み直してしまったけど。

 原作のイメージが強烈すぎて、映画版を客観評価できなくなってる。俺自身が「読者」というより、なんか勝手に「原作者」サイドの気持ちになっちゃっているようなところがあって、あんまり客観的に見れてないのかも。



 で、また感想の感想、の話になっちゃうんだけどさ。やっぱりこれ荒れてるのね。感動ポルノとかなに言ってんの、って気もするけれど。俺の勝手な解釈を書きますけれど。


 ヒロイン西宮硝子が、都合のよすぎるいい子ちゃんで気持ち悪い、なんなのアレ、というのは分からんではない。都合よく転がされてるヒロイン、モチーフとして利用されちゃってる、そんな風に見えなくもない。原作でもそうなんだけど、っていうか原作の方が顕著なんだけれど、硝子の心情描写がほとんど無くて分かりづらい。でもこれ意図的に、硝子視点をいっさい使わず、分からないように徹底して描いてるでしょう。あえて不親切。そこは察してくれよ。察してちゃんとか言うなよ。わざとなんだよ。話せないってのはそういうことなんだよ。なので、なんか不自然で物足りない感じはするんだけれど、原作については2~3回よく読めば分かってくるんじゃないかな、主役二人の言動・行動はわりと自然に描かれていたんじゃないか、ということに。でも友人達はこの二人から離れるほどに、カリカチュアライズされたヘンな人になっている気がする。

 ……でも確かに、残念ながら、映画の方はちょっと色々と雑になってる気はする。原作では丁寧に見えなくしていた部分、バランス悪くしているのかも。もしかしたら映画単体ではあんまり成功していないのかもしれない。だとすると原作の良さとエグみがイマイチ伝わっていない気がして歯痒い。

……あとやっぱり、ある程度は当事者としての経験がないと、わからないのかな……


 で、硝子ちゃんの話に戻るけど。なんであんな、受け身ばかりで主体性のない感じになっちゃうのかと言えば、実際に人間は自尊心を保てないような状態が常態化すると、きっとああなっちゃうんだよね。生存戦略として、ただただ必死で取り繕うようにヘラヘラ愛想笑いをする、全てのプライドを失って、なんでもかんでも自分が悪い気がしてしまって、ひたすらごめんなさいごめんなさい、となってしまう。そんな風になっちゃうんだよ。なんというか、ある種のストックホルム症候群のような。いやまあ「悲しき適応」というだけの意味ですが。


 作中でもそれを「気持ちわりい」「何考えてんだ」「うざい」とか言われていて、つまりわざとそのように描かれているわけでして。この自尊心の喪失による「気持ち悪さ」がイジメをエスカレートさせる要因にもなるわけで、つまり、感想としてそのまんま「気持ち悪い」「硝子嫌い、ありえない」などと述べてしまうのは作中のいじめっこと同じセンスなのであって、しかもそれに気付いてないのならば「いじめられる方に問題がある」というような意味にもなってしまうわけで。そんなことまでをもあぶり出してしまうのがね。罪作りな作品だよこれ。よくできてるよ、なんて言っていいのかね。


 更に、更にこれエグいところがあってさあ。こういう話をしているとさ。おまえ偉そうに語ってるけどホントに分かってんの、じゃあお前は当事者としてはどうだったんだよ、と。自身の当事者性について問われているような気にさせられてしまうんだよ。

 ツイッターやブログ記事の感想を追っていると、実際に「自分はいじめ被害にあった」というようなことをカミングアウトしている人が結構たくさんいたんだ。そうしないと自身の言葉の説得力を担保できない、そんな気にさせられてしまうんじゃないか。浮ついた言葉、所詮は他人事と思ってんだろ、のように取られそうな予感がして、具体的に自身の当事者性について語らねばならないような気にさせられてしまう。そんな気がした。俺もそんな必要性を感じてしまったのだよ。ただ感想書くだけでいいのか。それだけでは自分の言葉が重みを持たないのではないか。そんな気にさせられてしまうのです。

 でもみんな本当はどうなのよ。今さらそんな、具体的なイジメの経験やら踏み込んだ話までは、ホントは書きたくないよね。きっとそんなことは、もう思い出したくもない人が多いだろう。封じ込めたはずの過去のつらい記憶。もうとっくに忘れた気になっていた古傷を今さらネットに晒すなんて。あの頃の、消えてしまいたくなるようなつらい気持ちをまた掘り起こすなんて。本当はしたくないはずなんだ。


 ちょっとやってみましょうか。俺にとっては30年も40年も前の話。

 例えば、だ。小3の時の担任が大変な暴力教師でさ。しかもなぜか俺が目の敵にされて、しょっちゅうビシバシ殴られてね。「お前は学校に来なくていい」なんて言われて。泣いて帰って、んで親に「もう学校には行かない」と言ったら親父が「行かなくていいぞ」と言ったんだ。そんで一時期、不登校になったんだったな。なんて話を書いた方がいいのかね。

 或いは、だ。中2の時はホントに酷かったな。不良グループにさんざんイビられた挙げ句にクラス全員にシカトされただとか。そういやあの頃、プロレス技やらせろとか言われてしょっちゅう暴力を受けていたNやK、あいつらのほうが辛かっただろうな。俺じゃなくてよかった、なんて思っていたかもしれない。十万単位でカネをせびり取られていたOはどうしただろう。当然親のカネをくすねていたわけで、あれ随分と問題になってたはずだったが、どうなったんだったかな。よく覚えていない。毎日毎日7つも8つもカバンを持たされて不良グループの後をトボトボと下校していたJはどうしただろう。あいつは毎日がつらくて耐えられなくなって家出したんだった。一人で田舎のおばあちゃんの家へ逃げてしまって、結局どうなったんだったかな。みんな友達だったはずだ。クラスは違ったんだけれどJとは特に仲がよくて、夏休みには仲良しの何人かで泊まりがけの旅行に行ったりしてたのに。そうだ、俺が計画を立てたんだったな。夏休みくらいまでは友達同士で楽しく仲良くやってたはずなのに。なんであんな酷いことになってたんだろう。みんな自尊心を失って、みんなが対人恐怖みたいになって。暗くうつむいて、びくびくしながら過ごすようになっていた。息を殺してじっと耐えていた。やり過ごしていた。早くクラス替えになって欲しい。早く高校に行きたい。この学校から逃げたい。ただひたすらそう願っていた。

 俺も酷い目にあったけれど、でも随分とマシな方だったんだ。よくもまあ、あんなヤクザ予備軍みたいなのと同じクラスで1年間もやっていられたものだ。いやクラスはあんまり関係ないな。学校全体が荒れていた。俺の学年は特に酷かったんだ。普通の公立中学なんだけど。学級崩壊どころか学年崩壊、いや学校崩壊レベルだったな。

 そんなだったから神奈川県ではおなじみア・テストの成績が俺の学年は異様に悪かった。志望校ランクを下げざるを得なかった奴はかなりいたはずだ。人生を狂わされてしまったという奴が。そうだよ俺だって本来の実力なら……


 などと、思い出しながら色々と書いてみたが。30年以上も前のことなのに苦しくなる。胸くそ悪くなる。やっぱこういうのは思い出したくないし、あんまり書きたくないよね。なので原作のまとまり方、終わり方はなんか気にいらんのですが、まあ、あのくらいのファンタジーを許せる程度には充分に時が過ぎた。漫画だし。だけど、俺の人生に実際に出てきた、上の先生や不良グループは許すもへったくれもない。卒業して「無関係の関係」になってほっとした。「死ねばいい」と思う必要がなくなった、という程度だ。それだけだ。今後もずっと永久に無関係のはずだ。



 でだな。これに、また更に更に更にやっかいなところがあってね。こういう体験談を書かれると、皆さん反論しづらくなるでしょ?仮に、なんかコイツ変なこと言ってない?とか、この部分はウソくさくない?って思ったとしても、酷い目にあった被害者を更に殴ったらまずいか、みたいな感じでさ。この現象をうまく使えば相手の反論を封じ込めることが、簡単にできちゃうんだよね。被害当事者性をアピールすれば無敵の人になれる。

こういう体験談は自己絶対化に使えるのよ。簡単に。


 実際にさ、自分が受けたというイジメやイビリやDVの被害を頻繁に持ち出しては、私は、マジョリティサイド、鈍感な差別者、純朴な抑圧者、不勉強、無知、バカをいくらでも叩いていいのだ、どんだけブチのめしても構わないのだ、私にはその権利があるのだ、徹底的に叩きのめしてやるわ、目には目を、hateにはhateを3倍返し!みたいな人いるじゃない。すぐそこに。そう公言してたんだっけ?よく知らんのですが。差別もイジメも絶対悪、それに反対する私は相対的に絶対善。ゆえに私に逆らう者は絶対悪だわ。絶対聖戦士(ジハーディスト)の誕生だ。


 こういうのを「武器」にして相手をブチのめしていると、もうみんな口をつぐむか、さもなくばケンカするかしかなくなっちゃう。つまりこれ、原則として言論エリアに持ち込んではいけないことなのです。「提起」としては必要なんだけれどさ。「議論」に紛れ込ませてはいけないんだよ。


 或いは、書いた本人にはそんな意図がなかったとしてもさ。イジメとか差別とか自殺とか、センシティブな問題を扱うと、その人を絶対化して持ち上げよう、守護神とかシンボルとして奉ろうとする人が出てくる。まあ俺なんかはザコブロガーだからそんなことは起こらないけれど。読者が何千人もいるブロガーってはてなブログには結構いるじゃない。そういう人が当事者として自殺問題を提起してみたら、ワラワラとはてブに人が集まってきて、便乗して相手サイドをとことん叩きに行っちゃうみたいの、よくあるでしょ。


ってなわけでですね。

1段階:作品としてエグい。
2段階;感動ポルノって批判はイジメに荷担するような仕掛けになっているかも
3段階:当事者性を告白させられてしまう。つらい過去を掘り起こされてしまう
4段階:被害者性を使えば簡単に自己絶対化できる、敵を封じ込められることに気付く
5段階:カミングアウトした当事者をシンボリックに利用する人、便乗する人が出てくる

というところまでえぐり出してしまうという、なんとも異様な作品なのさ。
なんか大げさかな。


このエグさに興味が沸いた方はぜひ原作をご覧くださいませ。100%おすすめです。映画もいいと思いますよ。



※ ご参考 教師が子供を目の敵にするという、身につまされる話。そりゃ、ここまで酷くはなかったけれどさ。

死にぞこないの青 (幻冬舎文庫)

死にぞこないの青 (幻冬舎文庫)