人類の歴史が気に入らない

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日本社会?


主語が小さい。もっと大きく!


問題は「人類の歴史」だ。

人々を縛るもの

かつて人間を規定していたものは何か。

身分制度だ。

では、身分を規定していたものは何か。

「地域」と「家系」だ。

では、地域や家は何に規定されていたか。

その土地や国の、慣習、文化、伝統、歴史だ。

人々は、そういうものに縛られ続けてきたのだ。


近現代の歴史

土地と歴史、身分に縛られ続けてきた人々の解放。歴史からの解放。自由の獲得。他者に侵害されることのない自由。全ての人々へ。全てを平等に。

「自由」と「平等」の獲得。それが近現代史の目的なのだ。

そして、

「自由」の獲得はイギリスの名誉革命
「平等」の獲得はフランス革命
「地域」からの解放は産業革命に始まる。


 日本とて例外ではない。明治維新以来、このヨーロッパから押し寄せた価値観に適応すべく必死でもがいてきた。見よう見まねで倣ってきた。つまり我々は、なんだか(いびつ)ながらもイギリス由来の「自由」とフランス由来の「平等」のさなかにいる。


 あえて「歪」と書いたが、それは日本に限ったことではない。あちらとて同じ事だ。むしろ先駆者であるがゆえ、その苦悩の深さと歪さはヨーロッパの方が格段に上だ。自由と平等を求めるがゆえヨーロッパは幾度もの世界戦争を繰り返してきた。17世紀の30年戦争。18~19世紀のナポレオン戦争。20世紀の2度にわたる世界大戦。その歴史は幾千万の犠牲の上にある。しかしそれでもなお、ユーロシステムはその理想の高さに耐えきれず疲弊し、倒れつつある。移民労働力に頼りきった、(結果的として)周辺地域からの徹底搾取なしには成り立たなくなったドイツ経済を中心としたEUにもはや明日はない。持続可能性は皆無だ。繰り返される不毛なる歴史。


 我々は「自由」と「平等」を獲得し、我々を規定していた「身分」から「解放」されたはずなのに。



 実のところ、このいっさいの規定のない「自由」状態に、我々耐えられていない。そもそも我々の中身は空っぽだったのだから。空っぽな自分に気付くことに耐えられない。気付いてしまった自分に耐えられない。何者でもない自分に耐えられない。何をも意味しない「自由」に耐えられない。


 だいたい、「他者」からの「自由」なんて嘘っぱちだ。フィクションだ。俺は他者に頼らねば全くもって生きていくことができない。微塵も生き延びることができない。米も車もパソコンも炊飯器も電気も作れない。浄水もできない。原油も掘れないしガソリンも精製できない。豚の飼育も屠殺もハムを作ることもできない。身の回りのことの99.9999%を、誰かにやらせているから、頼っているから、現代を生きていけている。これはカネを使うことにより、「誰」かを特定せず意識せずにやらせることができる、というシステムだ。現代の産業化システムとカネとは「誰にも頼らずに自分の力だけで「自由」に生きている」と錯覚させるための素晴らしいアイデアだ。

 そういう意味で「カネ」が画期的なのは「自由に流通させることができる無記名債券」の発明、なのだが、この話は今は脇に置いておこう。


 とにかく「他者」や「家」や「過去」から「自由」になるためには、「自由」を侵害されないためには、カネが絶対に必要なのだ。カネを得ることによってのみ、人は「自由」に生きられる。だから人は「自由」を得るためのカネを得ることに縛られる。「カネ」に縛られる。全ての人々は「自由」でなければならないのだから。


ようは我々は、家や土地や歴史ではなく「カネ」に縛られるようになった。という話だね。


 「自由」などまやかしだったのだ。人類は「自由」に耐えられないのだ。自分をいっさい規定せずに生きていくことなどできるものか。自分を規定してくれるものとは何だ。「家」や「地域」だったものが、今では「学歴」や「会社」になった、というだけのことではないのか。それですら評価軸は、結局は貨幣にあるだろう。カネが全てなのだ。




「自由」や「平等」それ自体は何も意味しない。何の価値もない。人を規定するものとは、地域であり過去であり文化であり歴史である。それはそれぞれの文脈の中にある。しかしそれらは、名誉革命フランス革命産業革命、幾多の革命と戦争により破壊された。全ては失われたのだ。


それが人類の歴史の「目的」なのだ。我々は目的を達成したのだ。



やったぜ!!!


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※参考文献

自由とは何か (講談社現代新書)

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問題は英国ではない、EUなのだ 21世紀の新・国家論 (文春新書)

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