自由のための戦い

 鳥頭なので前回なにを書いたか忘れてしまった。というだけでは無いのですが。坂本晶さんの記事を読んで、書かずにはおれなくなってしまった。ブクマでIDコールもあったので。実のところ、公開できるレベルにあるか怪しい気もしています。だったらツイッターやメールでやればいいのですが。せっかくなので?公開で。自分の考えも文章に起こしてみないと整理できないし。後日、正式まとめを出すかもしれません。


sakamotoakirax.hatenablog.com


 「意見が異なるなら黙っていた方が幸せ」というのが現代の流行りですけれど。坂本さんなら大丈夫だろうと勝手に判断して、色々と書きます。ディベートみたいなものだと思ってご容赦いただければ幸いです。ただ坂本さんの記事自体は「理想を押し通す」のではなく、現実や歴史的経緯を見据えたものと思いましたので、そこは同意。論じたいのは、坂本さんが言及されている山猫日記さんの記事。ブクマには賛同が多いですが、私としては非常にツッコミどころが多い。


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 山猫さんはバングラデシュの話をしているので、ちょっと論点が違う点もあるのですが、でも「我々の価値を自由におく」というのは、保守派の観点からは強い懸念を覚えます。ポリティカル・コレクトネス(以下PC)であるがゆえに反論しづらい、或いは反論の余地はないと見なされ、そこを逆手に取った扇動や全体主義に繋がりかねないと思うからです。


論点は以下の三つ。
①「自由の側に立つ」とは、どこに立つことなのか
② 日本或いは日本人が、具体的にどうすればいいのか
③ そもそも「自由」とは何なのか


 今回は主に①について。山猫さんの主張は「自由」がイスラーム過激派に侵害されている。日本は自由の側に立たねばならない。過激主義と対峙せねばならない。妥協の余地は皆無である。という趣旨。

「自由の側に立つことを畏れない」


というのは、具体的にどういうことか。まずツッコミとして「畏れ」では字義が合わないと思うけれど。それは置いておきましょう。

「自由を愛する者の敵であり、文明の敵ですから、当然、日本人の敵なのです」

 
 
「日本」を「アメリカ」に置き換えると、軍隊派遣するような時に大統領演説とかで出てきそうなフレーズですね。アメリカが好むPCそのものでしょう。そして、こういうことを言って世界に働きかけているのは実のところ、アメリカだけ、です。それでも、これをアメリカの本気として字面通り取るのはあまりにも単純(ナイーヴ)ではないか。わざとなんでしょうけれど非常に抽象的、観念的です。イヤな言い方をしてしまうと、精神論に見えます。


 アメリカはどこまで本気なのか。本当にアメリカは字面通りに自由を愛しているのか。身近な例では中華人民共和国。全く自由主義ではないけれど、チベット東トルキスタンで相当に酷いことをやっているけれど。アメリカは協調路線を取っているし戦う気はない。そして、自由主義である中華民国の方は認めない。或いはエジプトのムバラク独裁政権に肩入れしていたとか。或いは、湾岸戦争前までは長きにわたってフセイン独裁政権を支援し続けていたとか。リビアカダフィ大佐とも融和策を取っていましたね。
 
 アメリカの態度は必ずしも字面通りではない。「自由を愛するアメリカ」が嘘だとは思いませんが、まんま真に受けるのはナイーヴではないかと。アメリカは意外と実利的です。
 
 「自由を世界に広める」というのは、「アメリカだけ」が延々とやり続けていることです。他の国はやっていません。建国以来二百数十年、それがアメリカの使命。「自由と敵対する悪の帝国」と現実に戦っているのはアメリカだけです。NATO諸国は消極的で、例えば、湾岸戦争は「イラクによる侵略戦争」なので国連軍として協力しましたが、イラク戦争は「アメリカよる侵略戦争」なので協力していません。明確にそういう態度です。


 イラク戦争は、国連安保理の常任理事五カ国のうちロシア、中国、フランスが強硬に反対。ドイツも反対。唯々諾々とひたすらアメリカに従ってきたのはイギリスと日本だけ。でも日本は憲法9条があるから軍は出せない、と言い訳してきた。(山猫さんが本当に言いたいのはそこなのかな、という気もしますが。よくわからない)

 で、実のところ、アメリカ、イギリスも後になって「イラク戦争は誤りであった。大量破壊兵器など最初から存在しなかった。あれは侵略戦争だった」と公式に認めている。イラク戦争に賛同した日本は「侵略戦争に賛成した」ことの重大さを分かっていない。日本だけが分かっていない。


 そしてアメリカはこの戦争で、そもそもはわりと親米的であったイラク・シリア地域のスンニ派勢力を敵に回した。ISILとはイラク戦争で居場所を失ったスンニ派が過激化したもの、ISILの勃興はアメリカの振る舞いが原因です。で、民主的に誕生した現在のイスラーム・ダアワ党 を中心とした現イラク政権はシーア派です。シーア派といえば長年アメリカ・イスラエルと対立し続け、何かとペルシャ湾封鎖だとか脅しをかけてくる現代の「悪の枢軸」のイランと親和性が高い。現にイラクは親イラン化しつつある。で、アメリカは結局、目の敵にし続けていたイランの協力を仰がねばISIL問題の収拾できなくなり、イランに対する経済制裁を解除した。


 このアメリカの大失態に対して腹を立てているのが、親米であるイスラエルサウジアラビア、トルコ、パキスタンといった国々。イラクシーア派の政権ができてしまったことに失望している。もうアメリカは当てにならないと。ほぼ確実にイラク政権とは対決姿勢を取るようになるでしょう。実際に現在でも、サウジアラビアパキスタンは、ISILやターリバーンを裏で支援している可能性が非常に高いのです。そしてロシアは裏では、シーア派勢力に肩入れする。

 もうアメリカは事態を収拾できない。イラクフセインだけではない。リビアカダフィ、エジプトのムバラク、シリアのアサドを倒すことで、自由は守られ、広まったのでしょうか。

 イラクを始め、ベトナムアフガニスタンパキスタン(ターリバーン)、シリア、リビア、イエメン、ソマリアグルジアウクライナ。アメリカによる「自由のための戦い」は、何一つうまくいっていない。ことごとく失敗している。アメリカは世界でいったい何をやりたいのかよくわからない。


 イスラーム過激派が悪いことをしているのは確かでしょうが、果たして「絶対悪」とまで言い切っていいものかどうか。そして「自由」を掲げるアメリカがそんなに立派な国なのか。絶対善の国なのか。諸悪の根源はむしろアメリカ側にある可能性について、多少なりとも検討した方がいいのではないか。

 いや、「自由」という理念に「絶対善」があるのであって、アメリカが「絶対善」だというわけではない、ということなのかもしれません。ではいったい、誰がその「絶対善」を行使し広め世界各地で戦うことを担えるのでしょう。日本であれば「絶対善」を世界に対して行使できるでしょうか。

ヨーロッパのテロ

アメリカではなく、ヨーロッパはどうか。

 ヨーロッパ諸国は確かに今、テロの危険に晒されています。でも、まず原則として外交問題とは考えていない。移民問題だとか、国内での不正行為や犯罪という、内政問題として対処している。内政問題なのか、外交問題なのか、対処の仕方としては明確に分けて考える必要があります。外交問題としてなら、経済制裁とか国連軍の派遣とか戦争もあり得ます。


この点について山猫さんは、具体的な対処方法として、

「卑劣な殺人者には予防と取り締まりで対処する外はない」

 としています。実際にこれしか書いてません。内政問題として考えれば、確かにこれしかない。そしてこれは別にイスラーム過激派に限った話ではない。強盗、殺人、放火などの普通?の犯罪と同じです。検察警察消防司法などの範疇。実際に日本国内でテロが起これば、そういうことになるでしょう。これが国境であれば海上保安庁。外国であれば外務省と現地警察との連携。国レベルでの不法行為となれば軍隊(自衛隊)も検討。とまあ、そういう話になる。


 私はそれで正しいと思いますし、日本国として、それ以上のことはやるべきでないと考えています。とても常識的な範疇です。あえて書くようなことではありません。じゃあ、なぜわざわざこれを書いたのか。


 山猫さんが言いたいのはそういう常識レベルの話だけでは無いのでしょう。でも結局はハッキリとは書けなかったのかもしれない。世界のテロと強硬に戦うべき、というような論調ですが。しかし、話がどこまでも漠然としている。

 本心は別のところにある。とにかく自由の側に立って戦え、と。私が読んだ限りでは、精神論みたいのしか感じられなかったのですが、拡大解釈すれば、予防的に海外に出て「敵」を叩きに行くのもありなのか、という気もします。外国にいる過激派を撲滅せよ!ということなら、そうするしかない。


 それは昭和維新期の大日本帝国と似た発想です。過剰防衛になるかもしれません。当時のスローガン「八紘一宇」は、英語で言えば「グローバリズム」です。当時の日本だって、そもそもは自由のために戦いだったはずなのです。本当にそうなのです。これは次回にでも?書くかも。


 でも、山猫さんの話は、大日本帝国のような「過剰防衛」よりも、もっと積極的なものだとも考えられる。自由の名の下に積極的に敵を叩け、撲滅しろ。ということならこれは「強いアメリカ」の発想。大米帝国のグローバリズムのことです。


 もちろん山猫さんはそこまで言っていません。私が勝手に書いているだけです。でも「自由のための戦い」を掲げているのはアメリカだけ、ゆえに山猫さんの言っていることはアメリカにしか通用しない、そんな国は世界でアメリカしかない、という話。


※ ご参考。アメリカの現状とはどんなものなのか。タイムリーな動画が!
www.youtube.com

今回のまとめ

 私の感覚では「自由の側に立つ」=「アメリカ側に立つ」=「アメリカ一極集中の世界に賭ける」ということに、自動的になってしまう。山猫さんにそういうつもりが無くても、現実的には世界の構造上、そういう意味にしかならない。ヨーロッパをはじめとしたアメリカ以外の国々はそういう発想を持っていない。そしてアメリカ一極集中支配の世界はもう崩壊している。となれば多極分散構造が今後のスタンダード、いわゆる「ウェストファリアンシステム」が世界の常態となる。グローバルスタンダードは崩壊していく。そこには「自由の側」という立場が、おそらく存在しない。


 そもそも「自由」とは何なのかについて、論じる必要がありますね。「自由」とは大事なことのはずです。私もそう思います。自由を守るにはどうすればいいのか。難しいですが、近々やるつもり。


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