「地政経済学」とは何だろうか

 読了しました。買ったのは1月だったんですが、読み始めたのは5月頃でしで、6月は他の本を読んでたり、7月は仕事ばかりだったりで、読んでた期間は正味2ヶ月くらいかな。「経世済民」について、おぼろげながら感じていたものが明確に文章化されていた。内容をちゃんと把握できたのか、と言ったらかなり怪しい。一度読んだだけで全体を評するのは無理だ。かといって、これを現時点で再読したところで、あんまり理解が深まる気もしない。今の私にはまだまだ無理か。アマゾン書評を見ると絶賛ばかりで、はてなで言うところの、いわゆる「互助会」ちっくではありますが。


富国と強兵―地政経済学序説

富国と強兵―地政経済学序説


 いきなりカネの話をするのもアレなんですが。当初は4000円て結構するなあと思ったけれど。文章量だけなら新書で4~5冊分くらいのようなので、まあ普通なのかな。でも読んでみた感覚としては、値段が三倍くらいであっても充分に安い気がした。これが日本語で出てる、私のような者にも気軽に読めてしまう、ってことがすげえ。……まあ、「気軽に読める」本ではないけれど。この本読めるのって日本人だけだもんなあ。ありがたやありがたや。そのうち英訳とか出るのかな。出て欲しい。ドイツ語もフランス語もスペイン語も出て欲しい。ピケティくらい広まったらいいのにねえ。


 はてな界隈でも書評を見かける。主に経済通の人達が貨幣論関連を絶賛。ここは本当に多くの人に知って欲しい、理解して欲しいとところ。まあこれは、中野さんにしてみれば経済の入り口、前提論に過ぎないのだろうけれど。現代経済学はここに欺瞞があるので、日本経済復活!に本気で取り組むなら、ここから変えていかなければならないんだよな。


では、簡単に語れる本でもないので、かいつまんで。私にとって一番心に残ったところ。

 コモンズの「制度経済学」の話。「制度経済学」なんて言ったら、保守界隈やらネトウヨ界隈やら現代経済学界隈やらでは、左翼だサヨクだアカだレフトだ共産主義者だ!などと問答無用で叩くないしバカにする人が結構いるので困ったもんだ。そりゃ完全思考停止だろう。

 今じゃあ「保守政治家」の代表であるはずの安倍首相が、かつては共産主義者の専売特許であった「構造改革!」やら、ついには「革命!」とまでスローガンを声高に叫ぶ時代だってのにねえ。ついに来るところまで来たって感じです。「もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました!」なんて典型的な地球市民じゃないの。レフトの極みは安倍さんだろ、なんて話はともかく。
 
 私が以前書いたこれを、経済学的に論じているところがあってね。
これマジパねえっす!マジ感動!って語彙力なくてすみません。

fnoithunder.hatenablog.com


 あとは戦争経済の話がすごい。ここまで冷徹に分析されているものは初めて見た。ていうか前代未聞。私が知らなかっただけかもしれんけど。ピケティも言ってたんだったか。戦争とその脅威の存在が平等化と福祉国家化を促進するってのは恐ろしくも悲しい話である。それが現実。国民国家制度や福祉制度自体が、戦争遂行システムを平和的に転用しているだけに過ぎない。例えば累進課税。実のところ、富裕層は兵役に動員される可能性が低いことが多い。当然、血税(兵役)を支払う人々は不公平に感じる。ので、その不公平の是正として富裕層により多く税金を負担してもらおう、という制度設計をしやすい。国家存亡の危機なんだから、そのぐらい当然だと。富裕層も呑まざるを得ない。

 高所得者の課税率って、どの国も戦時や戦争危機時は凄いようだ。第二次大戦から冷戦期のアメリカの法人税率や高額所得税率が凄かったのも同様の理由。冷戦期のアメリカの人民平等意識や国民連帯などを見てもよくわかる。国民の連帯ゆえにアメリカは大きく発展した。


 しかし、そのアメリカも行き詰まってくる。元になった原因としてはベトナムやアフガン戦争の泥沼化による一体感の揺らぎ、中東の不安定化とオイルショック。これも戦争、いわゆる地政学的要因。

 そしてソビエトが崩壊し「世界戦争の危機的状況が去った」と考えられた1990年代以降は国民国家システムも急速に崩壊。法人税所得税は大幅に減じられ、2010年代になるとアメリカやイギリスでの格差の拡大は100年前の水準を超えるまでになった。

 戦争の脅威が去り、平和が訪れ、国民国家統治システムが用済みになり、連帯が失われ、福祉システムが崩壊し、貧困が蔓延し、テロの脅威がせまる、なんてディストピア!トランプ大統領爆誕やBrexit現象、それ自体を叩いたり嘆いたりしても意味がないのは、そういう訳です。

まとめ

本文引用 P.577

本書が主題とした「地政経済学」とは、「富国」と「強兵」、すなわち経済力と政治力・軍事力との間の密接不可分な関係を解明しようとする社会学である。地政学なくして経済を理解することはできず、経済なくして地政学を理解することはできない。これが地政経済学の大命題である。


政経済学とは、地政学と経済学の統合。
しかし現代経済学に比すれば、それだけにとどまらない。


 現代経済学は「社会科学」というよりも「自然科学」の様相を呈しています。その割にはいわゆる「科学的態度」が欠如していて、ゆえに「似非科学」的なんですが、ここに目が向けられない。浜田さんも岩田さんも竹中さんも、本来ならリケジョのあの人なみに叩かれても仕方がないレベルなんだけれど。でも「社会科学」だから、なんでしょうか。「政治」だから、なんでしょうか。ご都合主義にも程があるんですが、まあそれはともかくとしてですね。どうしても経済を語るにおいて「進歩主義の呪縛」から逃れられない人は多い。

 最新の科学が最も優れていると、当然のように考えてしまう。学者や評論家ほど「100年前200年前の経済とか、バカなのwww意味ねえwww」という態度の人は多い。「経済学」が「文明」の範疇であるのなら、確かにそうなのでしょう。きっと「最新の科学」が最も優れている。


 しかし残念ながら「経済学」とは自然科学ではない。「文明」ではなく「文化」の範疇にある。「文化」は進歩しない。言ってみれば、せいぜい「栄える」ものであって「進歩」という概念で語れるようなものではない。そして近代文明への過信と勘違いから、文化は衰退していく。


 この「衰退する文化」とはつまり「経済」であり、「人の営み」そのものである。経済学を「文明」として扱うのは誤りなのである。その誤り故に文化は衰退していく。経済的貧困と人心の荒廃は同源なのだ。


 つまりっすね。何が言いたいかって、現代経済学とはスタティックで時間軸がない。理論と理想だけがある。非常に平面的に見える。いわば二次元的。

 地政経済学とは、地政学と経済学の統合、さらに思想と哲学、歴史と未来予測までもが統合され、常にダイナミックであり、理想型や完成型などは存在しない。四次元的である、なんつーと言い過ぎかもしれませんけれど。非常にやっかいな読み物でした。オススメです。