「自由」の外部不経済問題
某おチキさんが話題になってた。きょうもえさんの記事で知りました。気になる人は下のリンク関連から調べてみてください。
末期医療に対する誤解があるとかそういう話。きょうもえさんの曰く有害ババア。その他ブコメでは「どうせ本人は問題提起をした、有意提言ができたっていうんだろうけど」「これは外部不経済」「あんなの真に受けてる奴はほっとけ」とか。よくあるパターンだな。
かなり酷いのか、結構叩かれてる。
私は原文読んでない。読む気しない。無理。
ブコメの人たちも大して読んでないのかもしれないけど。
上のブクマ元ですけど、医療従事してる現場の人までもが反論記事書いてる。これを読めば十分だと思います。
やっぱツイッターブロックとかされんのかな。
まあ結局、どれもこれもみんな「自由」に書いてるだけ。いつものこと。
そう、いつものことだ。
はたして本当にそうだろうか。
みんな自由に書いているのだろうか。
反論記事、丁寧でわかりやすい。でも、そんな露骨には出てはいませんが、怒りと悲しみ、やり切れなさが感じられる。これ、書きたくて自由に書いたものとは違う気がする。義憤に駆られ、やむにやまれず書いた、仕方なく書いた、と言った方が正確じゃないか。
「外部不経済」とはうまいこと言ったもんだ。
こういうの、良いのか悪いのか、と聞かれたら良くないと思うけど。
「文句があるならじゃあ対案を出せ!」とか言われたらね。無い。
でも放置はまずい。
「魑魅魍魎」に手斧を投げつける「獅子」に頼るしか無いんだろう。
こういう医療事情は素人にはよく分からないし、私も「なるほど勉強になりました」と正直に思うので、とてもありがたいです。でもおチキさんには全く感謝できないし。きょうもえさんの言うとおり「議論」とかいう次元じゃない。
こういうの、まーしょうがねえなってんで役割として演じられるとか?、ネタとして「読ませる記事」を書けるような人は、まあまあ、まあいいやくそったれ、って感じなのかもしれませんけど。でもねえ。
で、自分の話。
私は度々「リフレ政策批判」をやってきましたけど、一度だけ徹底的にやってしまったことがあります。これ。一回で終わりのつもりだったのに。心底頭に来てしまってQE2をやった。
あんなクソページにリンク張ってるような人には、二度と経済の話をさせてはならない。有害。とまあ、そういう動機で書きました。
この記事、理論展開が強引で隙があるの分かってて出した。実際出す前にちょっと悩んだが「どうせリフレ信奉者にはわかるまい。奴らマクロ経済のことなど分かっていない。強引だけど間違ったことを書いているわけではない」ということで、そのまま出してしまった。
これ、まあ拡散はされなかったけど。そこそこ人気あって、検索で来る人が多かった。検索ワードは「バーナンキの背理法」ってやつ。これ結局、反論ブコメもコメントも反論言及記事も出なかった(と思う)。まあ、私の勝利だ。勝って当たり前だこんなの。
こんなの「書きたくて」書いたんじゃあない。こんなもの書きたくなかったんだ。自分で見るのもイヤだった。こりゃ酷い記事だと思っていた。でも、消したいとは思わなかった。酷いが仕方ない。誰かが書かにゃあならんのだ。
でもね-。
半年以上も経ってから読んでみたら、まあ自分で言うとアホなんですが面白かった。あんなに嫌いだったのに。客観的というよりも、既に「書き手」から離れた文章、として読めるようになった、ということなのかな。
この記事を全て丸呑みしてしまうとまずいところもあるけれど。レトリックとしては全然アリ。他人が書いた記事だったら「ちょっと強引だけどおもしれーこと書く奴だな」と評価できるなー、とか思った。
誹謗中傷しない。人格批判しない。嘘を書かない。話をすり替えない。ちゃんと守ってるじゃん。とまあ、一年も経つと、なんか「良い思い出」みたいになってるね。
やっぱり、なんだかんだ試行錯誤しながら、自由に書きながら、コンテクストを創っていくのが「書き手」の使命なのかね。
なんちゃって。おわり。
※ 「ヘリコプター・ベン」こと、バーナンキ師匠
Benjamin Shalom “Ben” Bernanke (1953~ )