経世済民

いやまいったな。ブログ記事書けない。色々ございまして。まずい。書けない。何でまずいのかわからんけど。大スランプ。
経済ネタはいっぱいある。アベノミクス第二ステージとか、TPPとか、中華経済とか、株価下落とか。政治ネタも、安保とかおおさか維新とか。しかし、どの話をやっても明るい話にならないな。諦観、挫折、怨念に満ちたものになってしまいそう。


例えばこんなの。魚拓とってたんですよ。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150531-00000106-sph-soci - 2015年6月1日 22:53 - ウェブ魚拓


だって辛坊さんこんなこと書いてるんだもん。

断言します。少なくとも数年以内に彼がどんな形にせよ政界に復帰することはありません。なぜそう思うか? これについて別に本人と話したわけではありませんし、特別な根拠があるわけでもありません。でも、私には分かるんです。

数年以内の復帰はありえないんですって。

これは5/31の記事。確かにこの頃はマジメにこんなこと言ってる人結構いた。そんな馬鹿な。ありえねえよ。何言ってんだ。
このネタ来年きっと使えるだろうなあ、と思って魚拓取ったのですが。


8/29の記事。三ヶ月も経ってないのに。

www.nikkan-gendai.com


大阪都構想に再挑戦するのは我々の使命」か。ソース「ゲンダイ」ってのが残念ですけど。今では本格再起動が当たり前になって派手に内輪もめ。よくもまあこんなデタラメを。これ大して問題視されないってのは、あまりに予想通りだからか、何でもありの「自由社会」だからなのか。カオスだね大阪。まあ安倍政権も50歩100歩か。

やっぱり「二重行政のリスク問題」はいっぺんやっておいた方がいいかな。馬鹿馬鹿しいけど。

 橋下さんてアナーキストだよね。アナーキストがいるのは構わないというか当たり前だし言ってることも分かるが、政治家やっちゃあ駄目なんだよな。壊すだけだから。しかし現代では大衆ルサンチマンが「正義」だし。ゆえに橋下さんが「正義」そのものだと思う人も多数いるってことなのだろうか。

酷い世の中になったもんだというか、酷い世の中だからこの人に期待が集まるのか。


 新自由主義全盛の現代。


自由主義を徹底していくとカオスになって収拾が付かなくなる、てのは歴史のとおりです。今はそういう時代です。ゆえになにが正しいのかを考え、提示しようとする人が表れる。実は「はてな界隈」も同じようなもので、まー私もそんな一人です。マクロ経済メインでやってた私が時折村案件を扱うようになったのは、実は同じことだと気付いたからです。

 私の考える正しさとは「歴史的経緯」とか「伝統」からくるものです。これは「ポリティカル・コレクトネス」(以下PC)とは全く違うものです。PCって基本的には「進歩主義」から「設計」されたものなので「伝統」とは対局にあるものなんですが、が、が、がしかし……自由主義の立場の人に一緒くたに扱われてしまって悲しい。全然違うのにい~。この話はまた別途やります。



 リーマンショックで死んだと考えられた新自由主義は全く死んでいない。「フリードマン主義」からなぜか「ケインズ主義」だと文言を変えつつ大躍進。はてなでも猛威を振るっている。新自由主義系の人ははてな「古参」でも無自覚含め結構いましたが。チキ★りん師匠とか、ぐだ★ちゃん師匠とか、でま★コイ師匠とか。論立てが強引だったり隙だらけだったりなので、皆さんブコメで散々突っ込まれてたし、私も何度か反論記事を書いたことがありますけどまあ私のようなザコが書くまでもなかったですな。


しかし、現状は厳しい。


 なぜか先日ウェーイリーダー扱いされてしまった人気ブログがありましたけど、あそこ時折、新古典派とか科学的な観点から色々と経済解説されていてね。上で挙げたいいかげんな古参の人と違って隙がない。見事。よくわかっていらっしゃる。
 でも私が学んできた中野剛志さんや佐伯啓思さんの話とは全然違う。相反する話ばかり。「中野学校」の生徒として看過するわけにはいかない!のですが、しかし仮に私が反論記事書いても「反論のための反論」みたいな、説得力のないものしか書けないぞきっと。なんか降参ムード。どうせきっと1/100くらいしか読まれてねーし!しかしブログ続けるのは中野さんとの約束だし、[要出典] たとえ負けると分かっていても、なにか書かねば。困ったな。
 じゃあどの辺から手を付けていくかってーと、これは根本的な話からやらないとならなそうです。プラトン哲学の「真」「善」「美」の話。


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Plato (BC427~347 ギリシャ)


 ざっくりお話しますと「真」ってのは自然科学系を探求する話。「善」ってのは道徳の話。「美」ってのは審美眼の話。プラトン哲学だと科学者も思想家も芸術家も、みんな哲学者です。この三つのバランスが大事なのですが、いつも崩れてる。今は科学全盛時代ですが。中世欧州だと科学者なんて悪魔・基地外扱いでしたからね。

 今は科学全盛の時代、それゆえの問題。経済学が自然科学の如き扱いになってる。「経世済民」てのは本来は「善」のカテゴリ。道徳として考えなければならない。なのに「真」のカテゴリとして扱われてる問題。まーカネ持ってるヤツには都合がいい状態になってるね。改めてこの辺からやってくか。


今回はこれで終わりです。
基本に立ち返ってみようと思います。