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メロンについて検討する

保守思想

メロンについて考えるブログをご紹介。面白いですよ。


plagmaticjam.hatenablog.com


伊藤貫さんの仰っていた、議論における、いわゆる「3P理論」

① Philosophical Level
② Paradigm Level
③ Policy Level

を意識的に書き分けつつ、この3つを連携させて論説を展開するという希有なブログです。

 いやいや3Pどころではありません。その他にも、まず問題提起[④ Problem]をし、そして①~③を踏まえた上で現実的な対応としての[⑤ Pragmatical]なアイデアを示したりとか、ブログを書く上で必須と言える公共空間[⑥ Public]での役割と、個人的[⑦ Private]な表明のセンスとか。合計7Pくらい?

 その辺ちゃんと意識しつつわきまえつつ大胆な表現を、平然とやってのけるッ!そこにシビれる!あこがれるゥ!はてなでは無双な気がしている。なんか、たましい削って書いてる感じする。結構消耗する書き方なんじゃないかと思う。たまに燃えがちなこともあるし。まあ近頃の印象では、以前よりは気楽に書かれている感じ?


あら?なんか褒めすぎで気持ち悪い?失礼しました。


 実は今までも、何度か言及しようと思って記事を書きかけたことがあります。すごい面白いこと書いてる、とか、なんかひとこと言いたくなった、とか、その論説にはスキがあるんじゃない?とか思ったりして。しかし、結局いつも中途半端になってうまく話がまとまらず断念しています。

 なぜかといえば、大概はPhilosophicalなテーマに踏み込まなければならないからで、この辺のことを皆に分かりやすく書くのは明らかに俺の方がヘタだ。どうしてもなんだかとりとめのない話になっていく。んで書いているうちに話が脱線して、はて、いったい俺は何を書きたかったのか。何か意味のあること書いてる気がしない……となってしまって。なので、せいぜいがブコメで一言書くのが精一杯という。いつも一筋縄ではいかないんだよね。


結局俺は保守主義の視点からしか書けないし、絶望を振りまくのがメインになってしまうんだよな……と思い知らされる。


なんかそんな感じ!




今回は、新年だし、せっかくだし、何か書いてみましょう。

1/6の記事で扱っていた「日本死ね」案件についてやってみましょうか。大学の話はまた難しそうだしなあ。
(今回も結局また脱線して、とりとめのない話がダラダラ続きます)

個別案件として

 日本死ね!みんな知ってますよね。有名だし。知らない人は適当にググってみてね!
 
 これ、具体的な行政の動きをちゃんと追って調べてみれば、行政は段階を踏みつつ、それぞれなりにずっと改善を積み重ねてきていた訳だし、決して無闇に叩いて構わないものではなかったようだ。ご本人はともかく、ロクに調べもせず、「これだから日本ダメなんだ死ねよ」というノリと勢いだけで批判同調してよいものではなかった。「個別の案件」に対する個人のスタンスとしてはね。こういうのはマジメにやってる現場行政官のやる気を削ぐことにもなりかねない。
 
 ハッキリ言えば(同調者に限っては)小池の豊洲叩きとあんま変わらん。ルサンチマンの発散、八つ当たり。或いは、モノを知らない余裕のあるヤツが遊んでるだけではないのか。近頃は「不寛容社会」なんていうけれど、国や行政に対する不寛容ってのは来るとこまで来たな、って感じた。


 つーか俺が思うにはだな。そもそも論として、現代政治Paradigmの根本としての、ホッブズやルソーの「社会契約」としての国民国家論が矛盾をはらんでいるんだから、こんなのそもそもうまくいくわけねえんだよ。ハイエクフリードマンの「自由主義国家論」なんてロボットが行政しない限り成立しねえよ。ヨーロッパの連中はそれが分かってるから、なんとかギリギリ回ってるんだよ。これは欧米に対して日本が遅れている、という問題じゃないんだよ。むしろ逆。日本がNaive過ぎんだよ。信じ過ぎなんだよ。それが分からんから日本はダメなんだよ日本死ね!という話を一度したいと思っている。(でも難しくてできない)


 そういう意味では「日本死ね」って、個別案件としては大して意義がある気がしないのだけれど、でも「日本死ね」が現象としてブームになった、ということについては大いに検証の意義がある。id:plagmaticjamさんも、これは個別行政だけの問題か?という、Paradigm視点からの指摘をされている。


 ゲマインシャフトの話が出ていたけれど、確かに帝国時代の日本は、ハイスピードで構造が改革されていたにもかかわらず、意外とゲマインシャフト的なものが残っていた。戦後の日本でも、大戦で多くが破壊されたにもかかわらず、まあまあそれなりにゲマインシャフトは機能していた。新たにできた都市や郊外の工業団地などでは、ゲゼルシャフトが新たな中間共同体として機能するようになった。いわゆる「日本的経営」ってヤツで、それが当時の日本人にとっての誇りだった。だから1990年代くらいまでは、今より圧倒的に不自由であっても「日本死ね」のような案件は出てこなかった。(当時のヤツらが不自由に甘んじていたからだ、と言ってしまえばそれまでだがな)


 だからいきなり現状を「日本」のせいだ!「日本が悪い!」としてしまうのは安直な気がする。でもこの四半世紀の構造改革で、「日本がダメだ」「日本を変えるのだ」と言って、どちらのシャフトも随分と破壊してしまった。「既得権益」だとか「歪んだ市場」だとか「抵抗勢力」だとかいう言葉で。あいつら卑怯だインチキだと、自ら破壊し続けてきた。その先に目指しているのは、結局は全てカネで解決する平等社会になるのだ、ということを自覚していたのだろうか。どうして「自由」と「平等」が両立すると信じられるんだろう。なんかさ、延々ぶっ壊し続けてきて、機能不全になったら「死ね!」ってのもなあ。いやもう死んでるだろ……もうやめてやれよ……って感じする。


 私が思うに、この人(日本死ねの人)は安倍政権の掲げる「市場原理」のParadigm由来であるPolicyのひとつ、「一億総活躍社会」推進に大いに賛同してるし(無自覚なんでしょうが)Philosophical Levelで竹中さんや大田さんと差異がある気がしない。実質的に勝ち組や強者のたぐいだし、自由主義、民主主義、個人主義市場経済の最先端を行ってるから、こういう問題意識が出てくる。自分の能力、スピードについてこれない「日本」が許せない。

 これって結局「安倍・竹中・大田・世耕」なんかとPhilosophical Levelでは同じだけど、でもヤツらじゃチンタラして実行力がないのがダメなんだっていう問題。問題の本質は「アベ政治」だとか「自民」とかじゃないと思うんだよな。左翼って言い方もアレなんですけど、理想の政治を実現するにはまず余計なものや古いモノは壊して、新規に始めないと、理想のモノは作れないんだ。アメリカのように。安倍さんはそういう人だよ。そういう意味で、同じ穴のムジナって気がする。アベより頭がイイってことなんじゃないの。



 僕が一番気になったのは結局この「死ね」といわれている「日本」って何だ?ということ。みんな「日本」て何だと思っているのだろう。「安倍はバカ」とか「自民はクソ」とかの延長で言ってるのか、それだけではないのか。結局どうにもこうにもならない歯痒さみたいな事なんだろうか。


 この「日本」て、地勢的、文化的、歴史的に、我々が先祖代々数千年にわたって受け継いできた「日本」のことではいんだよな。だって、そんなものはいよいよ死に体だし。まだ殺し足りない感じなんかな。まあ、コイツを殺すことによって新しい「日本」が出来る、のかもしれないのだが。それはもう「日本」ではないな。


 地域の廃れっぷりとかファスト風土化、止まらない都市化現象なぞを見るにつけ、古来より受け継いできた「日本」は、なんつーか、死んでるっつーよりもゾンビ化してる感じなんだよね。ゾンビなど殺してしまえって、でもゾンビは死なない。なんかそういう問題のような気がするんだよね。捨てようにも捨てられない。殺しても死にきらない。

 もう「日本」は取り戻すことも出来ないし蘇ることもない。でも当面は死ぬこともなく、ただドロンドロ~ンと溶け続けてゆく。そうだ、これを「歴史的ゾンビ」と呼ぶことにするよ。


 最も分かりやすいのがあいつ、改革万歳のグダチャンだね。(知らない人はマジでググったりしないほうがいいです)日本では歴史の連続性がほとんど失われてしまったし、この百数十年、ひたすら破壊してきたわけだし、それを「構造改革」と称して今でも積極的にやっているのが安倍さんなんだけど、日本人の問題としては「歴史の断絶が日本固有、かつ最大の問題である」という意識がないところだろうか。

ヨーロッパの場合

 国にもよりますけれど。現代の「国民国家」の仕組みはヨーロッパ由来ですし、民主主義の制度は、古くはローマ帝国時代からの伝統です。血みどろの殺戮を繰り返しながらも、それは全て彼ら自身がやってきたことであり、2500年もの伝統の上に現代の国家制度がある。ので彼らは「日本のような酷い歪み」だとか「アメリカのような徹底した設計主義」がありません。いま流行りの「ポリコレ」なんかも2500年の歴史からすれば大した問題ではないから効力も弱い(国にもよるけれど、イギリスやフランスは大いに軽視される傾向)。古き良き伝統を守ろう、という精神がある。歴史は連続している。っていうか、自由や民主主義に2500年の歴史があるからね。全然新しいモノじゃない。全てがつながっている。正しいとか間違ってるとかじゃない。そういうものなのだ。だから「歴史的ゾンビ」がいない。

American Protectorate

 ヨーロッパとは全く別の意味で、アメリカには歴史断絶問題がない。*1「古き良き」という概念がない。アメリカには「歴史的ゾンビ」がいない。グダチャンはそれがうらやましくて仕方がない。アメリカは、何もないところにピューリタンが新規設計して出来た国だ。誰かがいた場合は皆殺しにして全て破壊して。産業革命以降から始まり、完全新規設計されてきた超大国。だからしがらみも伝統も歴史も何もない。

「日本国」

 で結局、日本は抵抗むなしく、そのアメリカンフロンティアに取り込まれてしまった。1946年以降、いわばアメリカの一部、それもフロンティアとして。アメリカが国連憲章を適当に改変コピペして、保護領内に実験的に新規設計したのが「日本国」だ。でも、その後すぐに東西冷戦が顕在化し、激化してゆく。ゆえに、ソビエトに対抗するために設計変更し、エンハンスしてきた。「日本国」に住む人々も状況に応じて、積極的にその役割を果たしてきた。

 そして、欧米のさらに先を行くフロンティアとして、自由主義、民主主義、市場経済の最先端を歩んできた半世紀。


 1946以降の日本てのはそんなもんだ。国連憲章の改変コピペが「日本」にうまく嵌まらないのは当たり前だし、だからソビエトが崩壊した1990年代以降、「日本国」の存在意義は失われた。それゆえの生存戦略として、とにかく徹底的にアメリカ化を加速してきた。必死でアメリカにすがってきた。捧げ続けてきた。何度も書いたけれど、クリントン時代のアメリカにとって日本は邪魔者でしかなくなったし、ブッシュ以降は搾取対象でしかなくなった。


 その結果がゾンビだ。これでもまだ続けるのか。どんだけ改革しようが伝統破壊しようが、どんだけアメリカンフォーマットで新規設計しようが、アメリカやヨーロッパにはならない。ゾンビはいつまでも追いかけてくるよ。ここは日本だ。

もういい加減まとめよう

 ああああ、やっぱりとりとめのない話になってしまってしかも5000字を越えてるし。メロンについて検討してないし。スマンかった。皆分かってると思うし当たり前なんだがここに書かれていることは一面的だから鵜呑みにしないようにね。ただ、そういう一面があるということ。いずれ、政治における合理主義の失敗についてやろうと思う。政治おける合理主義は絶対に成功しない。それは悲しいほどに何度も何度も何度も歴史が証明し続けている、ということを忘れないでほしいのだ!優良種たる我らこそ、人類を救い得るのである!なんてことは、ないのである。ジーク・ジオン!
 
 

*1:厳密に言えば南北問題として、アメリカ南部には歴史的乖離の問題はあるのかもしれないが、詳しく知らないので今は書けません

「響け!ユーフォニアム」終了

 ああああ、年が変わってしまった。皆様、今年も世露死苦です。新年一回目は何から始めようか。3週間も書かずにいると書きたいことがたまってくるのと同時に、書くのがおっくうにもなってくる。書き方もよく分からなくなってくる。自然消滅終了しそうな勢いだ。

 
 とりあえずは、あれだ、前回紹介した響け!ユーフォニアムの黄前久美子さんの話でもしておこう、なんて思っていたのですが。これが思いのほか難しく。以下ネタバレを含むっていうより観てない人には何のこっちゃワケ分からん、ような気がしますので、引き返すなら今のうちですゴメンナサイ。長いです。


 物語なんてのはガキの頃から、絵本・小説・漫画・映画・アニメ・ドラマ・ゲームなど、さんざん、きっと延べ幾千も見てきたけれど。で、中には主人公が「ストックキャラクター」で分類すると自分と同じ系統かな、と思うことは、ごくまれには、あったのですけれど。


 でもねー、「うわああああコイツ完全に俺やないか!」と思ったのは黄前さんが初めてです。すごい再現率です。主に髪型、とかいうのは置いといて。お前のような銀髪老眼のJKなどおるものか、なんてツッコミは置いといて。このブログ書いてるのは具体的にどんなヤツなのか興味ある、なんていう物好きな方がもしいらっしゃいましたら、この作品を見ると何となく分かるかもしれません。分からないかもしれません。これ観てた人(いたら)どうです?「えー、なんか意外」それとも「あー、なんか分かる」どっちでしょう? 凄く気になるので、よかったら教えてください。


 先週最終回を迎えてしまったし、三期は無いだろうし、後にも先にもきっとこんなふうに感じる作品は出てこないと思うので。書くなら今しかないな。最終回でこんなに寂しい思いをするなんてのは久しぶり、ガキの頃、きっとザブングル以来じゃないかな。つーか、だいたいが久美子ちゃん最終回だからっていくらなんでも寂しがり過ぎだろどんだけ寂しがりなんだよアンタやっぱりそんな奴だったのかって感じでいや参った。



では簡単にご紹介。


 既にあちこちで言われてますけれど。二期五話は本当に見事だったと思います。どうしてこれをアニメ一話に割り当ててやろうと思ったのか。これでいける、と思ったのか。別に私は京都アニメーションのファンでもなかったのですが。この心意気は凄い。アニメで表現するのには全く向いていないことを、あえてアニメでとことんやってみる、という。これは小説の描写表現などにも通ずるところがありますね。感動した。何度も何度も見てしまった。ちゃんと魅せるもの創った。
 
 取りあえずニワカに、楽器の聞き分けがそこそこ出来るようになりました。ホルンめちゃくちゃうまいじゃない!あんな一番遊んでた奴らが、よく頑張ったなあ、みたいな。しかもモブだからロクにセリフも無かったのにねえ。

でもこれは一期からずっと見てこないとあんまり良さが分からないかもしれないね。

 あとあれだ、またニワカですが、最終回の「三ヶ月の舞」の演奏で麗奈のソロのバック演奏、ファゴットだったところサックスで代替してたのかな?合ってる?詳しい人に確認してみたい。


あ、ここから本題ね。

 「響け!ユーフォニアム」とは、JKの学園もの、部活ものアニメ作品です。最近のJK部活もので大ヒットしたのと言えば「ガールズ&パンツァー」が挙げられますね。ガルパンはてな精神科の先生も仰ってましたけどフォーマットは少年漫画で、いかにも少年ジャンプ的な作品です。私の知るところでは往年の人気作「キャプテン翼」とか「魁!男塾」とかに近く、いわゆる「友情・努力・勝利」がテーマの作品、と言っていいでしょう。

 「響け!ユーフォニアム」は全く違います。OPなんか見るとさわやか青春ものみたいですけれど実はそうでもなく、いわば「愛憎・執着・葛藤」がテーマ、どろんどろんした感じ。姉とのディスコミュニケーションぶりとか他人事とは思えず、見ててつらくなった。特に一期のカオスっぷりはなかなかのもので、このカオスがコスモスへと向かっていく様が生々しく描かれます。主人公の久美子は、このカオスからはいつもちょっと引いたところにいるのですが、結局は巻き込まれていくというか、皆との関わり合いを通じて、友情とか信頼、「特別な関係性」を育んでいく、という物語。
 で、私から見ると、とにかく久美子ちゃん考えすぎ。年がら年中考えすぎ。他の視聴者さんがどう思ったかは分からないのですけれど……


 一期では、自分自身のことを考えていることが多い。自分と楽器、吹奏楽、部活。或いは自分と友達、先輩、先生。あくまで自分とのかかわり合いを通じて物語が進んでいく。のに対して二期は、ほぼ自分とは直接関係ない他者の事情ばかり考えています。他者同士のいざこざや葛藤、他者の家庭の事情、他者の恋愛など。まあ、姉やあすか先輩のエピソードは自分と無関係ではないけれど、あくまで主体は相手方。
 
 おかげで二期は「他者イベント回収のため」としか言いようのない、「奇行」としか言いようのない、久美子のヘンな行動が目立ちます。偶然立ち聞きする、偶然忘れ物をする、夜中に何度も徘徊する、台風の中散歩に出かける、無闇やたらに走り回る、などなどなど。 

 そんななので、原作が用意されていた二期であるにもかかわらず、不自然なエピソードやシチュエーションありきの強引な演出が目立つ。なんで鎧塚先輩は久美子に対してあんな饒舌なんや……姉が「人物」というより伏線の「小道具」みたいな扱いになってないか……姉との和解は結構だけど、それはないやろ……とか。他にも色々。声優さん(特に黒沢さん、早見さん)の演技に頼り切ってしまっている感あり。一期に比べると構成がちぐはぐ。予定調和的でありながらまとまりがない。


 しかも久美子、結局は居合わせただけであんまり役に立ってないパターン多いし。希美先輩のエピソードとかもうちょっと何かさせてやってもいいんじゃないの。更にはあすか先輩にそれ(役に立ってないこと)を突っ込ませたのが何ともメタな感じがしてしまい、作品としてちょっとそれはどうなの?という気がしてしまった。あすかの性格のせいでもあるのだけれど。なんか物語外から視聴者がツッコミしてるみたいに見えてしまった。俺がそう思ってたからかな。役に立ってないこと自体は構わないし、敢えてその辺狙ってやったのだろうとも思うのだけれど。狙ってたなら、その割にはストーリーとしてはあまりうまくいってない気がした。


 しかしこれもまあ「現実的」と言えばその通りでして、その場その場でそうそう役に立てるものでもなく。でも、長い目で見れば事件を通じて先輩や友達といわゆる「特別な関係」を育んでいるわけで。

 つまり、久美子は特にリーダーシップがある訳でもないし、人心掌握に長けている訳でもないし、問題解決能力が高いわけでもないし、特別に演奏がうまいわけでもない。にもかかわらず、部内の「特別枠の人」から特別視されてしまうことで、実は意外と部内では特別な存在になっちゃってきてる、というような。


 そういうところを狙って描いている、というのも、きっと確かであろうと。私の期待が大きすぎたせいでハードル上げてしまった、というのはあると思います。これは、つまり、最終回に久美子があすかに、あえて「嫌い」と言った心境と同じようなものなのです……ということで。とても良い最終回でしたよ。



……さあて、だいぶ長くなってきたけど。どうしよう。


実は作中で、久美子が言われてたこと、心に刺さっています。それをここで書けるか、なんですが。友達の麗奈と(①~④)あすか先輩に(⑤、⑥)こんなこと言われてたの。

① 性格悪い
② いい子ちゃんのふりしてる
③ どこか冷めてる
④ なんか見透かされてる気がする
⑤ 頭いいのに愚かだね
⑥ 結局は見てるだけ、何もしない


……私もほとんど同じようなことを、ごく近しい、信頼している人物、しかも複数から言われてたのを思い出してしまった。もっと厳しい感じで。20年以上も前のことですがね。


 その辺のことを書こうと思ったのですが。自分語りって苦手で筆が進まない。だいたいこのアニメ見てない人の方が大多数だろうから、よっぽどうまく書かないと読者の90%以上が置いてけぼりになっちゃうし。というわけで、どうするか検討中。


 実はちょっと、観てた人に問いかけてみたいことがあります。上の①~⑥ってさ、久美子だけではなく、あすか先輩にもそのまま当てはまるでしょう。むしろあすかの方にこそふさわしい形容というか。この二人って表面的にはあまり似てる気もしないけれど、実は似た者どうし、でしょうか。どう思います?



とりあえず適当にPVはって糸冬 (続くか分かりません)

www.youtube.com