『国債がマイナス金利』など大した問題ではない(続き)
前回の記事、(ウチにしては)妙にアクセスが多かったので、なんでだろ?と思ったら、あるニュースまとめサイトにリンク貼られていて、ちょっと話題になっていたようです。なかなか手厳しいコメントもあったので、その件について書いてみます。
(前回記事、未読の方はこちら)
『国債がマイナス金利』の馬鹿馬鹿しさ - 強靱化のすすめ
① パチンコ屋のたとえがヘンだ
これは仰るとおりです。前々回もパチンコ屋のたとえを使っていまして、こちらの方はまあ妥当だと思うんですけど。その流れで「今回もパチンコのたとえ話を使いたい!」というのが先立ってしまいました。事実上、日銀は政府の子分だ、と言いたいがために、こんな比喩を使いました。これの「銀行=パチンコ屋の客」のところは確かにちょっとヘン。言い訳がましくてすみませんが、自分でもオカシイと思っていました。チッ気付かれたか。
このレトリックでは、
パチンコ屋=政府 景品交換所=日銀 お客=銀行
でした。これだと、
肝心の「お金」がいったいなんなのか不明瞭。マネタリーベース?でもないし、預貯金なのか?この辺が失敗でした。前々回のレトリックが10点とすると、前回のは5点かな。もっとうまいレトリックを研究します。
(用語を忘れてしまった方は、前々回記事の「過度に単純化® された用語解説」をご参照下さい)
しかし、銀行がパチンコ客だとすると、企業や国民は「パチンコ台」ということになってしまいますね。オレ達ぁ銀行に遊ばれてんのかよ!それはちょっとあんまりだろ。ウマイんだかマズイんだかよくわからんたとえです。まあ確かに、どうせこの台出ねえよ、と分かっていても、玉を入れないと中小企業が死んでしまう、と思って仕方なくパチンコやってくれている、というケースもあるんですけど。なんだかイヤなたとえだねぇ。
② 問題の本質を説明していない
これも仰るとおり。一面の真実ではあろうとは思いますが、問題の本質は別だ、というのは確かにそうだと思います。しかしまあ、私の立場で言わせて頂きますと、前回の記事は通算76本目でして、うち半分くらいは「経世済民」「経済学」関連。なので、この記事だけ見てそういう批判をされてもなあ、というのはあります。記事一本に一テーマが原則なので。前回は、現実では何が起きているのだろうか、を分析する趣旨だったので。これ、逆もまた然りで、この記事だけ見て「そうか銀行が悪なのか!」という部分だけ早合点されても困るかなあ。
この指摘をされていた方、「国債の価値が高まっていて、相対的に貨幣の価値が落ちている」というような主張をされていました。つまり「改革者」と同じような意見。この記事読んだ上でそう仰るのですから、元々そういう意見なのですね。
それはそれでまた一面の真実でしょうが、それもまた問題の本質ではない、と私は思っています。なんせ記事冒頭で私は「中央銀行が有価証券買い続けたら値が上がるのは当たり前だ」と書いています。改めて強調したり感心したり驚いたりするようなことではないと。
状況次第では、政府や中央銀行が自国の国債や通貨防衛の為に動くのはアリでしょう。日銀のせいで国債価格が上がっている、ということは、現在の日本の実力なら中央銀行による市場防衛が可能だ、という証拠にもなっているかと。
日本の場合「平時である限りは、国債暴落も通貨暴落もあり得ない」と言い切ってしまって差し支えないでしょう。
財務大臣までもが仰っているようですが「日本の国債が信任を失う」みたいな意見は、
この人 ↓↓ の仰るとおり、ということです。*1
日本の国債や通貨の価値が本当に毀損されるのは、日本の生産能力が毀損された時です。首都圏が攻撃を受けたとか関東大震災が発生したとか。そういう時。
その話は「国土強靱化」に譲るとしてですね。
では金利問題の本質とはなにか。
ぼくがかんがえたもんだいのほんしつ
金利が異常に低い。事情があるとはいえ「マイナス金利」
にまでなっている、とはどういうことか。
これでは金貸し業が成り立たない。銀行経営が成り立たない。
金利で稼げない、ということは投資では稼げない。
投資で稼げない、ということは、つまり資本主義が成り立たたない。
いやいやいや!そんなことないだろ!株価上がってるじゃん!
いえいえ、そうではありません。それは「投資」じゃありません。
「ゲーム」です。
国債だろうが株だろうが先物だろうが「セカンダリ市場」で日々行われているのは、ほぼ「投資」ではありません。ゲームです。通貨投機(FX)もそう。
「資本主義」を騙る「マネーゲーム」がなにをもたらすのか。日本は1990年代初頭に、世界は2008年に経験しています。我々は何度も経験しているはずです。歴史が大嫌いな改革者は、そんなたかだか5,6年前の歴史すら覚えていません。「歴史とかバカなの?あの時と状況が違うだろw」とか言うんです。
バーナンキ先生のやっていた量的緩和ってのは、あの時ゲームでボロ負けした連中の尻ぬぐいでしょう。放置すれば破滅するはずだった連中が持っていた不良債権を、FRBが買い支えて、救ってあげてたんでしょう。それが結局「市場との対話」だのということになった。そしてそのうち、FRBのやり方が気に食わない時は株価や債券類の価格を落とすとか、投機筋が仕掛けることでFRBに脅しを掛けるようになり、それが常態化してしまった。バーナンキ師匠、ホントにお疲れさんでした。
日銀は完全にマネーゲームのプレイヤーになったということです。最近よく言われる「市場との対話」とは「ゆすりたかり」との対話です。こんな連中との対話には当然、余程の強靱さ、狡猾さが必要です。黒田さんも大変だねえ。それより塩崎大臣だよ。なんも分かってないだろあれ。私はもう既に厚生年金に四半世紀も加入し、何百万円も支払っているので。年金をゆすりたかりにあげちゃうとか冗談じゃねえよふざけんなよあほなのばかなのしぬのって感じ。
エーカゲン2世 (1905~1968 フランス)
しかし、じゃあ……
現代の資本主義は、いったいどうなっているのでしょうか。
について考えてみようと思います。(近日中に続きをやります。多分)
参考文献。恐ろしい本でした。
- 作者: 水野和夫
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2014/03/14
- メディア: 新書
- この商品を含むブログ (36件) を見る
*1:説明するのもアレなんですが念のため。ネゴトワ・ネティエ → 寝言は寝て言え