科学万能主義批判批判批判

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 牛乳の人は情状酌量の余地なしですが。後半ツイートのまえださんて人のほう。当時ブクマでものすごいバカにされてましたね。


 この人は確かに科学ってものがよく分かっておらず何か誤解している。言葉足らずでいい加減なツイートをしていると取られても仕方ないでしょう。なんかさんざん叩かれ説教されていましたが、それでも「自分がおかしい」とは全く思わない。自身の感覚の正しさを確信している。


 なぜかったら、私が思うに、この人が本当に言いたかったことと、何か論点がズレてるからなんじゃないかと思うんですよね。以下、私が当時の流れを見て勝手に思っただけで、実際にまえださんがどうなのかは分からんのですが。
 
 所詮ツイッターだし、言葉足りてないし、言葉選びもちょっとヘンですが、それでも、私には必ずしも「科学を誤解している」とまでは思えないのです。


真・善・美の領域侵犯の話ではないのか?

ギリシャ哲学~カント哲学で、真善美って概念が出てきます。簡単にいってしまえば、

真:科学
善:道徳
美:芸術 

みたいな感じでしょう。科学者は「真」を追求する哲学者ということです。「真」の領域に関しては「科学的態度」が全てでしょう。

 しかし、他の領域はそうではない。「善」は、歴史・伝統・慣習によって培われる。普段うちのブログでやってるような話ですな。「美」ってのは説明が難しい。これはもう理屈じゃない。美しい旋律に心が震えるような感動って経験てあるでしょ?言葉で表すのは野暮ってもんで。絵画なんかもそうでしょう。

 「善」「美」は明確な数値尺度はないんですが、こういうのを科学的な研究とか統計なんかで測定したり数値化したりってのは、なんだかおこがましい。「道徳」の領域と「芸術」の領域に「科学」を持ち込むのはうまくない。

 まあ、その「持ち込まれた尺度」が本当に「科学」なのかっつーと怪しいんですが。経済学なんて「エセ科学」の代表みたいなもん、かもしれないので、そういう「合理的であるか」「商売として成立しているか」というような尺度で、色々なものが迫害されたり苦境に立たされたり廃止されたり、というようなことが現実にあるんじゃないでしょうか。

 エセ科学がダメだってのはその通りなんですが、だからって「科学的態度」が絶対、という訳でもない。道徳や芸術は科学的に立証しようがないので科学的態度が意味を持たない。


 「道徳」と「芸術」に「科学」を持ち込もうとすると多分にニセ科学になる。現実にそれが幅を効かせている。科学的な分析が有効なこともあるんでしょうが、あくまでツールとして利用するのであって、直接的に当て嵌めようとしない、ことが大事なんだと思います。


 なんか、当該ツイートと、ここの話が一致しているようには到底見えない気がしますけれど。こういう懸念をされていたんじゃないかと(勝手に)思っています。

 「科学的態度」って万能なの?「善」や「美」はどうなっているの?と言いたかったんじゃないかと思うのです。