「自分の言葉」で語る「感想」と「感想の感想」と「制作側の意図するところ」について

 「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」一期と二期で全五〇話、一気に見たよ。はてなで、オレンジスターさんとシロクマ先生が熱く語っていたのを見て。こりゃあ視聴してから読んだ方が面白いぞ、と思って。視聴理由が本末転倒だけれどね!フミコフミオさんもいっちょ噛みしてたし。いってみよー!


 全部一通り見て、お二人の記事をちゃんと読んでブコメ見て、アマゾンプライムの評価も見て。シロクマ先生の「傑作になり損なった意欲作」という表現は言い得て妙だな、と思ったし、それに対してオレンジスターさんが「傑作とは何ぞや?」「自分の言葉で語れよ!」とか言いたくなるのも分かる気がしたし。


アマゾンプライムでは、一期は大好評!
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対して二期は賛否両論……いや酷評が多いか。
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「終盤は見るのが苦痛だった」
「ラスト5話は許し難い」
「それまで積み上げてきたものを全て無かったことにしてしまった」
黒歴史だ」
「こんなクソガンダムはあり得ない」


 一期の高評価、対して二期の酷評っぷりは興味深いところ。確かに二期はイマイチだった。でも、これはこれでアリだと思った。少なくとも私はこの、「ガンダムとしてあり得ない」という終わり方を愛さずにはいられない。制作サイドはこれを狙ってたんだな、と見ている人には、まあまあ、ある程度は許容できてる感じか。

 私的には酷評側の意見には納得感があるものの、高評価側はどうもイマイチだな。「狙ってやった」のなら、いったい「何」を「狙っていたのか」をもっとよく検討したほうが面白い。「現実とはこんなものだ」「最後に救いはあった」と言えばその通りだが、それだけじゃないと思うぞ。もっと意味深なものを感じたがなあ。考え過ぎかなあ。


 去年は「日本人は皆『シン・ゴジラ』を観るべき」なんて意見を見かけたけれど。だったら私は「日本人は皆『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』を観るべき」と言っておこう。

シン・ゴジラ」が日本賛歌だと言うなら「鉄血のオルフェンズ」は日本哀歌だ。これが日本の現実だ。どんなに酷評したって、現実から、過去から、逃れることは出来ないさ。



 ……とまあ、ここまで「制作側の狙い」という、割とメタな視点で語ってきたけれど。それって「作品への自分の思いを、自分の言葉で語る」ことになってるのだろうか。


 そう、作品の感想とは「百人が見れば百通り」。それが当たり前、それでいいのだ、それがいいのだ、と言うのなら、メタ視点てなんかちょっと違うだろって気がしなくもない。作品は「作者から離れたところにある」のなら、作者の思いとか狙いとか、こっち側から検討しても仕方ない、みたいなことになる気もしませんか?だって作者の狙いって基本「一つ」しかないのだから。


「自分の言葉で語る」ってどういうことなんだろうね……


なぜか、けものフレンズ

突然ですが!ガンダムの話はちょっと中断し、ここで分かりやすい例として「けものフレンズ」の、バスに跳ねられるサーバルちゃんの話をしてみます。


www.youtube.com(8秒)


ここだけ切り取ってしまうとアレだねえ……まあとにかく、これの感想として

① 屈託を感じる
② 屈託無い表現と感じる
③ 特に気にならない。面白かった

 どうでしょう?視聴者はどう感じたって構わない。視聴者の自由。っていうかさ、屈託を感じた、という人に「お前はひねくれている!屈託を感じるな!」とか言ってもどうにもならない。感想統制かよって話。

 じゃあこれの、制作側の意図を検討してみましょう。概ね四通りが考えられる。

 ①屈託を感じるように、なのか或いは②屈託無いように、なのか、それとも③特に考えなくやったのか、或いは④わざと屈託あるとも無いとも取れるような表現をして、判断は視聴者にまかせる、と考えていたか。


 私が見たところでは、この世界観ではきっと②が正解なんだろうな、と思う。そして制作サイドとしては、③特に気にならなかったという視聴者が、望ましいというか狙い通りというか。といった具合に「制作側の意図」に言及すると、明らかなる「答え」があって、原則的に正解は一つしかない。「あなたの答えは違う」と思った人もいるかもしれないが、正解は一つであることは間違いない。


 でもまあ別に、制作側の意図を汲み取れなかったからって「間違った見方」ではないし「正しい感想」なんてない。制作側の意図通りの解釈ができてたら「正解」ではあるとは思うけれど。もし「正解者」が少なかったなら、表現として不備や不足が多かったのかもしれないし。でも制作サイドが「これが分からないヤツはハナから対象外だ」という意図だったなら、それはそれで狙い通りなわけだ。

なので別にブログやツイッターで、①でも②でも③でもそれ以外でも、好きに書いたらいいと思うの。



 ……っていう話は「感情的」では無く、「理性的」な感想(ないし分析)なのよね。なので「自分の言葉で語る」って事からは何かちょっとズレてる気がして、なんだかな。別にいいはずだけれど、ちょっと気になった。


 制作意図への言及って意外と難しいと思うのだけれど。けものフレンズはファン側も嫌い側も雑で手前勝手な「制作側の意図」認定が多かった。一つだけ挙げると、けものフレンズ嫌いな人が、上のような、ちょっとキツめなシーンで屈託を感じて不快になった、というのは分かるんだけれど、更に「制作側は③何も考えていないに違いない、これはイジメを容認している、イジメを助長する表現だ!けしからん!!」とか、そんな感じの人もいたよね。ここまで言っちゃうと「感想の感想」で叩かれても仕方ないね。というか「こういったキツめの表現まで含めて『ホントの愛』があるジャパリパークなのだ」という人は、むしろ積極的に「イジメの容認とは違うよ」という「感想の感想」を表明すべきと思うの。そりゃ、相手を変えるのは無理だろうけれどさ。作品を超えて、教育や道徳という、公共の話にまで広がっているからね。


 私は、アレはポリコレフリーな表現に挑戦しているのかな、とは思った。でも「これが制作側の意図なのだ!」と断定するものではない。


話が脱線してるけど、もう少し続けるよ。
次はなぜか「シン・ゴジラ」の話。

防衛出動

 自民党石破茂議員が、感想として「ゴジラに対して自衛隊の防衛出動はおかしい。これこれこういうわけで、災害派遣になるはずだ」みたいな感想を言ってた。

で、これに対してね、「そんなことどうでもいいだろ!だから政治家はダメなんだよ、って映画でもそう言ってただろ。石破は何を見てたんだよwww」みたいな「感想の感想」を結構見かけたんだよね。ネットだけでなくTVやラジオでも聞いたし。これ結構有名な話だったので、知ってる人も多いのではないかな。皆さんは石破さんの感想、どう思った?いやあ、思う分には「内心の自由」だし、どうにもならないけれどさ。表明するのはどうなのよって話。それは「映画」を超えて「行政」の話になってるから。公共の話になってるから。

 石破さんに言うことがあるなら「まあまあ、フィクションですから落ち着いて」くらいのもんで。こういう石破さんに対して「映画をちゃんと見てなかったのかよ」なんて言うのは「おまそう*1」でしかないし、てか現実と映画の区別が出来なくなってるよね。ヤバいぜ。私は、あの映画にそんなメッセージはいっさい込められていなかったと思うし。石破さんの「感想の感想」に限らず、そういう映画(虚構)と現実の区別が曖昧になった人が多発したのが「シン・ゴジラ」の、何というか、不気味なところだったんですけれど。


じゃあ、これの制作側の意図を検討すると

① ダメな政治を描こうとした
② 立派な政治を描こうとした
③ 特に考えはない
④ とにかく徹底して現実的な描写を狙っていた
⑤ 上記①②③④の、どうとでも解釈できるように描こうとした


 場面や人物にもよるけれど、全体的に④or⑤が徹底されていた感じだったようですね。前半は④が多め、後半は⑤が多い。だから視聴者がどうとでも解釈できるし、そのように設計されているし、だから徹底して情報過多にしたわけで、解釈を視聴者に丸投げするのが制作側の意図という、前代未聞の映画。総監督自身は(思想という面では)③らしい。という意味で「制作側自体には、訴えたいものがまったく何も無いという、映画以前のもの、映画のような何か」と評したのは佐藤健志さんでした(責任転嫁)。

あとがき

 機動戦士ガンダム(略 、なかなか良かったので遠からず感想を書くつもりです。「日本哀歌」というのが私の素直な感想。確かにダメなところもありましたが。気になった方は是非観てください。アマゾンプライム会員は見放題です。オススメです。