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既得権益とは何だろうか

経世済民

 先般、4/24の記事で日本の対外戦略は「グローバリズム」ではなく「インターナショナリズム」を目指すべきだ、ということを書きました。これを提唱しているのは、国土強靱化の藤井聡先生、その一例として、中山恭子先生の論説を紹介しました。

国家の目標 - 強靱化ノススメ

 しかし、現政権が目指しているのはあくまでグローバリズムであり、はっきりした国家の目標や戦略を持たない我が国は、グローバリズムとは非常に相性がいい、ということを書きました。今回は、その詳細のお話です。


 「グローバリズム」っていうのは、「インターナショナリズム」とは真逆、国ごとの個性を無くして「グローバルスタンダード」で世界を均質化する、って方向です。
そういう「グローバルスタンダード」が皆の利益になる部分があるならば、「スタンダード」を作ればいいでしょう。けどそんな分野は、大して多くないと思います。船や飛行機の交通ルール、港湾や空港の建設規格、通信、工業規格、国際標準単位系、などでしょうか。

しかし「グローバリズム」の世界観では、中山恭子先生やfreetermasterさんの提案にあるような、国としての強み、各国固有の文化のことを、「非関税障壁」と称して、邪魔だ、撤廃しろ、というような主張がまかり通っています。極端な例を挙げると「日本語のせいで日本で商売できない。日本語は非関税障壁だ。日本は日本語を撤廃しろ」なんて言ってくる。
そりゃ、いきなり撤廃なんて無茶なので、じゃあ仕方がない、一般競争入札の公共発注の仕様書は、ひとまずは日英表記にしなさい、とか。そういう方向に行くようです。日本で商売したい外国人から見ると、日本語ってのは、卑劣な「岩盤規制」なのです。日本は日本語に守られているのです。「日本人が日本語しかできないからと言って、日本での商売を独占するなんて卑怯だ、既得権益だ」というわけです。

 発展途上国や、ヨーロッパの中小国だと、企業にしろ学者にしろ作家にしろ芸術家にろ、自国だけで賄うのは非常に困難です。映画もゲームも本も漫画も、自国語だけ知っていれば十分に楽しめる。たくさんの本が翻訳されていて高度な勉強もできる。だから優秀な研究者、技術者、作家も芸術家もたくさん育つ。最初から自国語で書かれた高度な論文もたくさんあって、手軽に読めたりする。そんな国は滅多にないのです。日本語Wikipediaが充実しているとか、アラエスでいつでも勉強できるとか。私がなんの努力もしないのにこれらが存在するわけです。これらは私の「既得権益」なのです。日本人の「既得権益」とは、先祖や同胞の努力の結晶であり、賜物なのです。


 百年後には「日本語の規制緩和規制撤廃」ってのも非現実的な話では無くなるのかもしれませんよ。これ、外から見て「日本語しか使えない規制」を緩和しろ、撤廃しろ、日本語をやめろって意味で書いていますが、「日本語の規制緩和」って言葉の意味がよく解りませんね。今時の規制緩和って大概がそんな意味不明なものばかりだと思います。「規制緩和」と言っている人が、具体的には何を差して言っているのか、よ~く確かめてみて下さい。

 さらに無茶な例をあげると、日本は地震大国ですよね。日本では橋やトンネル、建築物を造るとき、耐震化設計は非常に重要で、厳しい仕様要求、いわば規制があるわけです。これも「地震を言い訳にして、むやみやたらに厳しい『岩盤規制』を設けて、外国企業を締め出している。卑怯だ、既得権益だ」なんて言われる可能性もあるわけです。地震既得権益って何だよ!と思うでしょうが、外から見れば、ある意味既得権益なんです。

 「日本語の規制緩和」や「建築基準の規制緩和」が、日本人の利益になるとはとても思えません。しかし、グローバル企業や投資家の利益にはなるのです。非常に短期的、瞬間的なものですがね。四半期毎のキャピタルゲイン、役員のストックオプションが利益の基準なのです。そんなのしか見ていないんです。百年に一回あるかどうか、の地震津波対策なんか、四半期単位で見れば、99.75%以上の確率で無駄になるので、やることができないのです。そんな無駄ことをしていたら、利益率が下がって、期末の株価が下落してしまいます。「建物が地震でぶっ壊れるのが心配だと言うなら、地震保険に入っておけばいいじゃないか」というのがグローバリストの言い分です。耐震設計など不要なのです。そして、本当に地震が起こってまずいことになったなら「市場の失敗」だの「自己責任」だのと、言い逃れするのです。いずれ地震が来ると解っていて、そんなところに住んでいるヤツが悪い。グローバルなこのご時世に、住処を移動できないのヤツの自己責任なのだ!

 2012年末にあった笹子トンネル崩落事故、の様なことは現代主流派経済学では「市場の失敗」という位置付けになります。これの原因は、本当は、間違いだらけの財政立て直し「橋本行政改革」、官から民への「小泉構造改革」、民主党のムダ削減「コンクリから人へ」。延々と誤った政策を取り続けた結果なのです。笹子トンネルで亡くなった人の自己責任なんですか?これこそがまさに「痛みを伴う改革」、痛みの正体なのです。そんなのがまかり通ってきたんです。

「自己責任」ってのは結局のところ誰も責任を取らない、ただひたすらの無責任。保険に入っとけって、保険で命は帰ってこないのに。そんな常識すら通用しないのが、グローバリスト達なのです。

(次回に続きます)