国家の目標

 私が初めて自動車を買った頃の話です。安~い中古の軽自動車で、カーステレオはラジオしか付いておらず、運転中はいつもFMラジオを聞いていました。
 それまではFMラジオなんて全く聞いたことが無かったんです。当初はラジオDJの人が、ずっと一人で話してるの聴いて、すげーなあこの人!って思ったのです。TVやAMラジオだと、一人でしゃべっているのはニュース類の読み上げくらいなもんで、大概は複数の出演者がいて、交互にしゃべったり、相づちを打ったり、会話したりが普通です。ところがFMラジオのDJは一人でしゃべりながらも、リスナーに語りかけるが如く、会話調子で話す。でも聴いていると一人の声しか聞こえてこない。ので、最初はすごく違和感がありました。どういうモチベーションなんだろう、とか、この人いつもハイテンションだけど、つい、フッと我に返ったりして、一人でしゃべり続ける虚しさ、みたいのを感じたりしないんだろうか、なんて思うことがありました。


 で、最近はそのDJの気持ちが、少しわかったような気がする、のです。まあつまり、このブログですな。私は語りかけるような調子で書いているし、ブログはそういう書き方の人が多い。けど実際にレスポンスがあるのか、というと具体的にはあまり無い事が多い。ので、読者がどう感じているのか、よく解らない訳です。「コリアンネタは荒れそうで怖いです」なんて書いても、実際に荒らされたことはないし。でも、記事を更新すれば、(あんまり多くはないですけど)確実に読みに来てくれる人がいる、ということは、それなりに「コイツの作文はなかなか面白いぞ」と思ってくれているに違いない!と信じて、まあ、書き続けている、というわけです。

たま~に、記事のコメント欄に感想を書き込んでくれる人もいます。これは結構嬉しいもんでして。前回の記事ではfreetermasterさんがカキコミしてくれました。未見の方は是非、前回の記事、及びコメント欄をご覧下さいませ。

戦後は破局へと回帰する - 強靱化ノススメ

私の論説とは違った視点での切り口です。とても有意義な論点、と思いました。ので、私なりの見解を返事として書き込もう、と思って色々と考えていたら、結構長くなってしまいました。ので、せっかくなので記事にしてみました。日本の国家戦略についての話です。

freetermasterさんの指摘する、

日本の実際の強みに即していて、なおかつ世界に訴える固有の価値観を打ち出せるか否か

という点、これがまさに、今の日本の課題なんだろう、と私も思います。


国土強靱化の師匠、藤井聡先生は、freetermasterさんの仰るような指摘を「インターナショナリズム」と表現し「グローバリズム」とは違うものなのだ、と仰っています。まずは個々の国の自立と尊重。そこから国際関係が始まる。これが「インターナショナリズム」であり、本来あるべき姿なんだ、って主張です。詳細は追々紹介していこうと思います。

 今回は、参議院議員中山恭子先生の論説をご紹介します。一見おっとりした感じの、優しげな、実は日本一のおばあさんです。北朝鮮拉致被害者奪還、1999年に発生したウズベキスタンでの日本人拉致事件解決に尽力された、強靭なお方です。

中山恭子 - 公式ホームページ
中山恭子 - 2013年5月9日「たたずまいの美しい国、日本へ」


 この論説記事、全文読んで頂ければ幸いです。以下、一部を引用致します。

 日本が長い歴史の中で多種多様の異文化も咀嚼(そしゃく)し熟成させた文化は、豊饒(ほうじょう)さと包容力を誇る。湿潤な風土は、物事を白か黒かで割り切ることのない精神性も育んできた。その日本文化は21世紀、ポストモダンの時代に国際的に大きな存在感を示し平和に貢献し得る。我々は自らの歴史と文化の深みと価値に気付かねばならない。


 いかがでしょうか。

 二千年以上に及ぶ歴史を持つ、我が国の文化とは何か、我々が先祖から受け継いできたものとは何か。世界に発信できるものとは何なのか。
私としては、まずは中山先生の仰るような観点から、国としての目標や方針を考え、議論する必要があると考えます。すると自ずから、今の憲法自体が、そもそもおかしいことに気付きます。すなわち、国連憲章の理念をベースにアメリカ人が英語で作文し、取り急ぎ日本語に直訳したようなものが、我が国の憲法たり得るはずがないのです。現行憲法は1946年時点での「占領基本法」に過ぎません。私は憲法改正には大反対です。破棄すべきものと考えます。

 新たな憲法を立てるのは、二千年の歴史の重みを考えると、確かにおいそれとはいかないでしょう。産みの苦しみを味わうことになるのかもしれません。私個人の考えでは、確かに憲法制定など恐れ多いので、聖徳太子の「十七条憲法」をベースに現代風に焼き直し、あまり細かいことは憲法には記さずに、法律任せでいいんじゃないか、なんて思っています。そんな感じなら、日本国が存続する限り、千年後でも通用するんじゃないか。憲法とは、日本国の伝統や文化、国柄を表すものです。時代の変化に対応できなくなってきたから変更しよう、なんてものではないと思うのです。
 憲法ができれば、国家としての目標も明らかになってくる。そして戦略を練り、計画を立てる。個別の具体論はそれからでしょう。


ところが戦後日本は、「国家の目標」自体が「危険思想」だ、ということになり、タブーになってしまった。外交にしろ教育にしろ経済にしろ、「国の目標・方針」がないので、いきなり場当たり的な個別具体論や調整をやってるケース、或いは単にアメリカの言いなりになってしまうケースが多い。

この「国家の目標・方針」がないっていうのは、「グローバリズム」とは非常に相性がいいのです。「グローバリズム」っていうのは、「インターナショナリズム」とは真逆、国ごとの個性を無くして「グローバルスタンダード」で世界を均質化する、って方向なのです。


……この辺の話を始めると大変長くなってしまいそうなので、次回以降に譲ろうと思います。今回は是非、中山恭子先生の論説をじっくり読んで頂きたいなと思います。