損切り

 と言っても株式の話ではありませんで。「投資」の話ではあるかもしれない。先週あたりに話題になっていた件。自殺したら負けなのか、生きれてば勝ちなのか、或いは死んだら損なのか、生きてれば得なのか、に絡めて考えたこと。まあ、いずれにせよ底の浅い話なんだろうなとは思う。普遍哲学的な意味では。生きるということの闇の深さとか業の深さってのはあるんだろう。


 随分前のことだが、ある人が自殺を「損切り」に例えていた。冷静に考えてみて、これ以上生きていても損失が拡大するのは確実、と判断できるなら自殺という選択肢もありだろうと。ただし、十代の少年少女に、その冷静な判断はできないだろうな、というような。だから結局はいじめの首謀者たちに負けないで欲しい、死ぬのは損だよ、というような方向で話をまとめていたかな。そんな話をしていたのは、若干20歳の大学生ユーチューバー。ユーチューバーなんて全然興味なかったんだが、訳あって縁あって?私が唯一チャンネル登録している人。いずれここでも紹介したい。

 人生の「損切り」というアイデアは面白いなと思った。そう。「損切り」しようと思っている。自殺じゃ無いけど。株じゃ無いけど。退職しようという。もう十数年勤めた会社だ。五十歳近くなって辞めるってのは将来の損失が大きい。二十年後を考えるとね。年金とか退職金とか。三大疾病などの病気リスクとか。そういうの考えると中小企業とはいえ、現在の「正社員」という「それなりの立場」「それなりの給与」を失うのは「相応のリスク」が伴う。


かといってねえ。これから二十年間、嫌嫌、苦しい思いをして我慢して、70歳以降のリターンに掛ける、リスクに備える、ってのもどうなんだ。それがいい手とは思えなくなった。今の「立場」を失うのはもったいないのだが、「今」の「状況」は苦しいだけだ。今の状況改善を優先すべきだ。
 
 というわけで退職交渉をしてるんだが、思いのほかというか、予想外に引き留めすごい。上司である、部長、専務、社長が、それぞれの立場で引き留めようとする。それぞれの個性が垣間見えて面白いっちゃあおもしろいんだがでも厄介だ。いろんな条件を提示してきて、とにかく辞めないでくれ続けてくれと。そんなに譲歩していいのか、そんな条件出してくるならもっと早く言えばよかったな、などとも思う。とりあえず引き留めに応じてしまったものの。

 でもこれじゃ結局は損失が「100」と見込まれたのが「50」になった、という程度の話でしかない……それでいいんか?一度は辞める決断したのに。なんか騙され感ある。気が弱いだけなんだよな。ユーフォ2の久美子みたいな、自分で決めているつもりなのに、結局は状況に流されてばかりのような。それ自分の決断?など考え始めるとやっぱりダメだ。現状の仕事量を考えると人がいなくなるのは非常にマズい、やりくりできない、という「会社の状況」だけだ。少なくとも向こう半年は人が欠けるとまともに回らない。ブラック化が進行してしまう。しかしそんなのは経営の失敗だろ。毎年のように若手社員に逃げられやがって。そんなことだがら俺みたいな、年寄りだから転職活動しようにも厳しいしめんどいし、辞めたいけど辞められない、みたいなロートル社員を主力で使わねばならなくなるんだよ。アホすぎるぜ。いつまでこんなアホなことに付き合わねばならんのだ。損切りしたかったのに。なんで俺まだこの会社にいるんだ?バカじゃないのか?考え出すと止まらない。ここ二年くらいは抑鬱症状も悪化し続けているし。これ以上続けるのは命にかかわるんじゃないか、という気までしてくる。

「立場」にしがみつくのは損だ。
「状況」に流されるのは損だ。
とにかく「損切り」だ。

というわけで交渉中。自分に対する金銭的投資でも時間的投資でも、「損切り」の必要性やタイミングは強く意識しておきましょう、というお話でした。


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 是非はともかく面白いかも。私は、6つの「辞める」のうち4つアウト。特に最後の。肝に銘じておこう。