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ああディスコミュニケイション

 最近話題になっていたこと、色々と思うところはあって何か書きたいという衝動はあったものの、ちっともまとめることが出来なかった。「メディアクリエイター」とか「青春基地」とか。「おばさんたちはinstagramに来ないで」 てのも類似案件なのかな。


 「常識良識作法セオリーなんざクソ喰らえ」とか言うのは若者の特権かも知れないとも思いつつ、対して常識良識を振りかざすのは大人の責任なのかも知れない。最近はそんな様子がネットのおかげで可視化されてる。

 高校生は子供だが、大学生はどうなのか。いったいいつ子供は大人になるのだろう。私はいつ大人になったのだろう。まあ大人と子供は断絶しているものでは無いし、あんまり別物として扱うのもヘンだよね。

 死んだ魚の目だとか「そんな大人になりたくない」などと、いい歳こいた若者がわざとらしく大人を蔑視するのは、そんな大人が数年後の自身、すぐそこの近未来の自分と繋がってしまっている、ということに恐怖しているからなんでしょう。もう、いよいよ子供ではいられないんだ、という事態に対する抵抗、恐怖。

ああ?心外ですかそうですか。まあ諦めるこったな!フハハハハハハ!!


 そんなのが許されるのは中二までだ!という人もおれば、学生までと考える人もいる。自身の経験からすると、自分が「大人」になったのって、24~5歳くらいだったのかなあ、なんて思う。しかし大人ってなんなのだろう。


 ここでどうしても思ってしまうのが、最近の「大人」はそんなに「大人」なのか?ということだ。


fnoithunder.hatenablog.com


 この記事で私は、若者と老人のやってることに差異がない、と書いた。三十になっても四十になっても六十になっても相変わらず「意識高い」ばかりで、良識ある大人とは思えないような人もいる。子供のような大人がいる。そういう人が幅をきかせ、世を支配しているじゃないか。四十過ぎてイデオロギー囚われている事に気付きもせず。瞳を輝かせて夢を語って。六十にもなって「ワクワク」してる「意識高い」奴らって「大人」なんですかね。
鳩山さんとかケケ中さんとかミキ谷さんとか。安倍さんとか橋下さんはちょっと違う気がするけど、でも結局はその子供のような大人連中に操られちゃってるしな。共依存関係。そうしてないと権力者としての地位が保てない。なんか違う話になってしまった。



 先日はてなブログでも気になった記事があった。あらすじとしては、
 「とある若者のブログ記事にリンク張って言及したら、その言及された若い人達が「なぜこの文脈で言及されたのかわからん」「ホントに僕の記事ちゃんと読んでる?」とか思ったようでそれをブコメに残された。そのコメントを見て、言及やブログ文化について最近の若い奴らはよくわからんなー、って思ったっていう、そんな感じの記事。私と同じくらいの年代の人の。


 気になって私も一通り関連記事を読んでみた。

 なんでこの流れでしっきーを出した?とは思った。なんか違う話になってない?記事を書く切っ掛けになった、というのは分かるけど、もう少し言及相手に気を遣った方がいいような。まあ、私は小心者なのでね。少なくとも最近の若者の文化や傾向、という問題だけでは無いのでは。それにあの流れなら、勇気をもって「ブコメで不快感を表明する」というのもコミュニケーションの一つじゃないだろうか。それに対して世代論で不快感だけ表明するのもどうなのだ?

 私の半分くらいしか生きていない若者でも、力のある、重みのある、気合いの入った記事を書いている人が何人もいる。そんな人がウチの記事読んだりしている。見られているうぅぅ。そんな訳でなめられたらアカンとか思って、スゲー気合い入れて書いてしまうけどな。特に言及は。

 ああ若者側の肩を持ってしまった。いや正直にそう思ったんだ。別に若者に媚びてるわけじゃないんです。まあ、私は歳は取ってはいるがブログ歴は2年程度だし、10年もやっている人達とは感覚が違うのかな。いやそういう問題でもないのか。



やっぱり世代断絶は悲しい。いや世代に限らんのですけど。最近強く思う。伝わるように書こうって。