西部邁さんの自死に幇助者がいたことについて

たまにはなんか書こう。


 けっこう以前から「そういう疑いがあり警察が事情を調べている」っていうニュースは聞いていたけれど。そんなはずないだろう、と思っていた。

 「人間は一人で生まれ、一人で生き、一人で死んでいくんだ」

なんていっていた人なんだから。そんなことあるはずがない。


 なので、本当に自殺幇助で逮捕者が出た、というのには驚いた。まあ自殺幇助といっても具体的に何をしたのかは今のところまだ分かりませんが。


 まあでも、日頃から「死ぬ死ぬ」言ってたこともあるし、そろそろ死ぬらしい、と知っていた人も多いようだし。逮捕された人のうちの一人は、ああ、あの、西部塾の塾頭の人だ。西部邁ゼミナール最後のゲストの人。この結果を知ってしまうと、ああそうだったのかと、なんか分かったような気もしてくる。ああ、なるほどそうなのかなあと。いやまあ真相は分かりませんけどさ。


 きっと、誰かには見届けて欲しかったんですね。一人で死ぬのはやっぱり寂しい。でも誰かを道連れにするわけにもいくまい。じゃあせめて介錯人、ったらおかしいかな、なんというか見届け人が欲しかったんだろう。誰かに看取って欲しい。やっぱり寂しかったんだ。寂しがり屋だって誰だったかが言ってたし。
 あの青山さんて人、なんというか、気弱な感じでおとなしそうで、いかにも西部さんの「付き人」というか「従者」というか、そんなイメージだったし。まあイメージですけどね。あの人なら確かに引き受けてくれそうだ。西部先生がそうおっしゃるのでしたら、喜んで引き受けましょう、と言ったかどうだかは分かりませんが。そんな感じ。


 この件、西部さんの弟子で、雑誌「表現者」の後継者でもある藤井聡さんは「言行不一致だ、とんでもないこと」と、激怒しておりました。佐藤健志さんも以前から「保守主義者の行動として破綻している」と、どうにも納得がいかない様子でしたが、今回の件ではもはや怒りを通り越して呆れ果ててしまったご様子。


 西部さんの自死について、例えば「言行一致である、立派な死に様であり、生き様である」なんて言ってる人も結構いましたけれど、私は前に書いたとおりで、自死をやたらほのめかしていた時点で「困ったじいさんだ、かっこ悪いからやめてくれ」という感じでしたので、自死について立派だとか尊敬するとかは無くて、ただただ困惑するばかりです。
 
「言論は虚しい」「無駄だった」なんて、そんなことをぼやきつつも、分かりつつも、それでも西部さんは、死ぬまで、ずっとそれを続けていくんだろう、と当然のように思っていた。でも西部さんはやめてしまった。自ら死ぬことで、言論をやめてしまった。私はそう思えた。これがどうしても納得がいかない。
 このブログを書き続けるのだって「まあ無駄なんだけどな」と知りつつもぼやきつつも、ボチボチ続けていこうと思っていたのに。近頃は分かっていたはずのニヒリズムに囚われてしまっている気がする。
 
藤井さんたちだって、西部さんの遺志を引き継いで、これから日本の危機と対峙していこう、ってことろなのにねえ。



そうだ。そのうち、表現者クライテリオンの話もしたいなあ、と思ったが、そういや自殺幇助のもう一人の人はMXエンターテインメントの人だったよな。この雑誌どうなるんだろ。ちゃんと続けられるんだろうか。