「男性性」とは何だろうか

まずは前回の言い訳

 まったく、インターネッツの話題の移ろいの速さときたら。もはや牛乳石鹸すら賞味期限切れの様相。石鹸は食べ物じゃないが。

 いやね、前回の「自死ミソジニーは可燃性が高い」って書いていた箇所は、最初は「自死とフェミは~」だったんですよ。でも、現実の炎上を見るとフェミニズムと言うより単に怨念のぶつけ合いであって、ポコナソみたいな似非フェミと一緒にすんな、とか怒られてしまうかも、と思って「ミソジニー」と書き直してしてたんですけど。いやいや「ミサンドリー」燃える燃える。

 
 久々のぽこなん砲炸裂!後は野となれ山となれ、誰が何を書こうが燃える燃える燃える。楽しい夏祭りだったらよかったけれど、きっとみんなに残ったのは、通常の3倍のPVと、それと引き替えの徒労感と挫折感と嫌悪と諦念ばかりだろうぜ。イヤな祭りだねえ。

 私はてっきり、あの人はもう「疲労hate-ko」枠入りで、もうみんなかかわらないようにしてるのかと思ってた。忘れちまってたんだなあ。牛乳石鹸社がいっさい動じなかったのがせめてもの救い。私にとって納得感の高かったのはこれだな。


www.buzzfeed.com


 そうそう、そうなんだよ。時代考証がおかしい。主人公の父親はおよそ団塊世代。しかし、旧態依然とした「昭和のガンコ親父」ってのは主に明治末・大正生まれだから、親の親世代。ボーダーラインは昭和5年生まれあたりで、昭和二桁世代以降は教育勅語もよう知らんし「男の背中」がイメージされるような父親ではない。



さてさてフェミ案件と言えば、はてなでは2015年3月のルミネ炎上で決着がついている。
ルミネのおさらい。

※うちの記事
fnoithunder.hatenablog.com

 当時の流れ覚えていないし、何を言いたいのかよく分からん記事だな。可燃性を下げようと論点ぼかしに腐心してるのはよく分かる。ぜろすけさんのブログは消えているが、移転先に同じ記事が残っているので気になる人は探して読んでみよう。可燃性がとても高いようなので、念のためリンクは張らないぜ。


主流論点はこんな感じ?

A:ミソジニーミサンドリーは似非フェミだ。フェミと一緒にしてはいけない
B:フェミに似非などねえよ。お前のやっていることは分断工作だ。邪魔をするな
A:ルサンチマンを利用するのは、本来のフェミニズムにとって有害ではないか
B:ゴチャゴチャうるせえよ。お前は何も分かっていない
A:目的が正しければ手段は選ばないと言うのか
B:言いたいことはそれだけか。もう黙ってくれないかなド素人さん


 Aはぜろすけさんで、Bはきりんがどうとか(忘れた)さん、はてなフェミの大御所枠みたいな扱いの人。私はAの人びいきだったのでこういう印象になってるのかもしれんが、だいたいあってると思う。結果はBサイドの圧勝。ここで答えは出ている。フェミは理屈じゃないんだよ。
 
フランス革命もそう。自由だ平等だ友愛だのきれい事を言ってるがそんなのは建前。
根源は大衆ルサンチマンの爆発。




などと言及していると、何を書こうがとにかく何でも燃える、もうやめよう!









「男性性から降りる」とは?

 やめると言ってまだやめない。エマ・ワトソンさんの「男性は男性性から降りてもいいのです」って話は意味がないなあ、と思う話。出遅れ帝。

 すごく根本的な部分。女性の役割の根本、女性性の根本として、出産・授乳のあたり、いわゆる「母性性」って、絶対的なものじゃないですか。男性にはどうにも絶対に果たせない役割。この、根本的な部分の「女性性」を規定しているのが、そもそも人間ではないし男性でもないし社会でもない、強いて言えば神なんですわ。


 これを重荷に感じるとかイヤだとか嫌悪する、ここから降りたいという女性がいても構わないとは思う。個人の自由だと。ただ、根本的にはとにかくデフォルト値がそうなのであって男性が規定したものではないんだ、というのは、書いておいてなんだが、触れちゃいけない話なのかもしれんのかな、よくわからん。このデフォルト値を都合良く利用する「女性の敵」がそこら中にいる、というのは分かるんだ。よく気をつけて欲しい。


 ただ、こういう意味で「女性性」が絶対的価値であるのに対して、「男性性」ってのはそれに対する相対でしかない。たとえるならアレだ、男性にも乳首がついているけど、なぜ存在しているのかサッパリわからない。アレが男性性の象徴。そもそも男性自体が、なぜ存在しているのかよく分からない。存在するだけでは存在に意味がないのだ。


 男性は、相対的に見れば、確かに女性よりは体力や腕力があることが多いので物理的に優位ではある。でも、例えば狩りやら農業やらって別に男性でなければできない事ではない。女性単独でも充分できる。

まあ、つまり、女性は存在そのものが絶対的であって、そのこと自体が重荷にもなる。


 対して、男性は存在が相対的で、そもそも意味がない。ので、なんとか意味づけをしようと必死になっている。俺は有能である、頭がイイ、力がある、生産性が高い、イケメンである、イクメンである、などなど。イケメンやイクメンは男性性なのか?という疑問もあろうかとは思うが、男性の振る舞いの個別について「男性性」であるかどうかなどの区分けなど意味はない。根源的に無価値な男性が、女性に望まれようとして自身の価値を求めたなら、それも「男性性」の発露とみなしてよろしかろう。

 男性性とは後付けの価値であり、根本的に虚構だ。そこから「降りてもいい」と女性に言われてもな。必死で作り上げた虚構世界から降ろされたら、それこそ存在に意味がなくなる。本当に意味がない話だ。


 生まれてきたこと自体が尊いんだ、価値があるんだ、ということなのかもしれんが、それなら「生まれた価値」を産んだのは女性だしな。女性だけだしな。


……などと適当につらつらと書いてみたが、読み直してみると何だか底の浅い原則論だねえ。こんなんどうとでも言えるしどうにでもツッコめるな。だからエンドレス炎上。スマンかった。もっとウチらしい話に振っていかなければ。

※ここまで前振り。


やり直し

 もっと普遍的で根源的な、「人間としての価値」みたいなことなのかもしらんが。そうなるともう、具体的には何のことを言っているのかサッパリ分からない。あまりに人工的で、かつ宗教的だ。私には異教徒の戯れ言のように聞こえる。私は、アメリカ由来の自由的民主的ポリコレ的なもの全てが、プロテスタント教条の拡大解釈だと思っている。エマはプロテスタントなの?



 これは元は欧州発の価値観ではあるのだが、米で発達して純化されたものだと思うの。欧と米では異なる。カトリックの緩さとプロテスタントの激しさ。神なき時代の神に、人間がなろうとしている。アメリカのやっていることは自己の神格化であり絶対化、人間の神化、まさに現人神。ポリコレの発想は神の施しだよ。理性による人格の絶対化。
 
 ポリコレの実践的な答えってのは表面的だと確かきゅうべえが言っていたんだが、それは人を神扱いするがゆえに、なんでも受け入れるなんでも耐えることができるはず、だからなんだよな。

 これがヨーロッパだと、自由と民主主義の根源にあるのは、本当はルサンチマンだと覚えている。ポリコレなんて、その後ろめたさを糊塗するためのにきれい事に過ぎない、とフランス人は知っている。のか……??


……みたいな話を分かりやすく書いてみたい、とは常々思っているのですが、とっても難しい……



※このぐらいまで論理展開をブッ飛ばしてしまえば「コイツは何を言ってるんだ?」となって相手にされなくなり、炎上に至る確率がグッと下がります。読者もますます減ってしまいますが……



※うちは牛乳石鹸バスサイズだよ