正しさライセンス

 正しさなんてのはコンテクストの中に暫定的な答えがあるだけなんですがしかし、もうそんなコンテクストなんて断絶しているし「コンテクストガ-!」などと言ってるヤツは絶滅危惧種でしかも老害扱いされるのがオチなので私のような老害、ではない正しい人の正しさの話をしてみよう、という魂胆。俺が正しいと思っているとは限らない正しさの話。いったい俺なんぞに何が分かるって言うんだ。

こういう話はplagmaticjam氏の方が得意なんではなかろうか。



 近頃流行りの分かりやすい正しさと言ったら「政治的正しさ」と「経済学的正しさ」でして、ちなみに「経済的正しさ」ではありませんのでお間違えの無きよう。はてなを見てるとだいたいこの二つのせめぎ合いになっていて、どちらサイドも割と安易に振りかざしてケンカしてる感じがするので、まあブコメなんていつだってそんなもんですが、でも昔はそうでもなかったらしいんですが、お心当たりの方は自分がどうなのかよく考えてみてはいかがでしょうか。ちなみにどちらの正しさも「自由主義自由経済」由来であって、皆が自由を手に入れるために必要な正しさということです。

 最近の事例では、例えばバニラエアで奄美大島がどうとかいう。今さらこの話を持ち出すのは出遅れティアヌス帝でしたっけ。


 車椅子の人は事実上、奄美大島へ行けなかったのに、という問題。バニラエア側は「そういう人は事前連絡して下さい」とアナウンスしていたが、事前連絡すると搭乗を断られてしまうという。

 これは「政治的正しさ」の観点では全然ダメダメで、隙だらけというより全面的に隙ゆえに叩き放題なのでさぞや気持ちよかったことでしょう。こんな自明なことをなぜお断りしていたのか、と言えば奄美大島の空港に対応設備がなかったから。
 
 もちろん介助者がいれば、或いは空港ないし航空会社の職員が介助すれば、物理的に搭乗させることは可能だったでしょう。鉄道は割とそうしているし。道徳的観点からしてもそれが正しそうですが、経済学的には正しくない状況だった。リスク評価をどうするか。非常に危険な作業なので、誤って転倒、転落などした場合の搭乗者ご本人の怪我、介助者の怪我。死亡事故もありうる。重篤な事故になる可能性が高い。こうなると航空会社は「いっさいの責任を負えません」の文言を書くだけでは済まなくなる。会社存亡の危機に陥るリスクがマジで存在する。このリスクを誰に負担させるか。この辺の想像力が欠如してるとしか思えないブックマーカーは結構多かった。
 
 要するにご本人および周辺に発生する保険料ないし設備費用を、誰かが支払えば問題ない。ご本人なのか、当該路線の搭乗者なのか、奄美大島の空港なのか、バニラエアなのか、航空業界全体なのか、地方自治体なのか、行政府なのか、ブックマーカーなのか。あの事件の時点では「自力で昇降できること」という文言でこのコストを回避していたので、ゆえに空港・航空の職員らは勝手に手助けしてはならない状況だった。
 
 自力では無理だけれどどうしても搭乗するなら、そしてもし空港か航空会社の職員に介助させるなら、そのリスクコストを全て負担するようご本人に誓約させねばならない。職員もそのリスクを引き受けねばならない。現場でそういう判断をくだせる状況ではなかった。ので勝手に乗られても非常にマズイ。まあ当然だな。今の世の中はそういう仕組みになってきている。

 こういう「正しさ」を突き詰めていくと、現実の人々の関係性は、金銭評価を通じた顧客と奉仕者のようなものばかりになり、奉仕者サイドは「ドラクエに出てくる町の人々」的な対応しか選択肢がなくなるという帰結。ラダトームの町へようこそ。


plagmaticjam.hatenablog.com


 人は政治的には善良であり無謬であり、経済学的には合理的経済主体であり無謬である、という前提で社会が設計されている。

この案件は障害者の権利問題も絡んでいて、これを持ち出すと実はケーススタディとしては分かりやすいのですが、長くなるので今はここまでにしておきます。もう一つ、最近のやつ。


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 なんかレス乞食としか思えない増田なので「よかったねー」って感じですがそれはともかく、雇用機会均等ってのは政治的正しさの話でして、増田さんの方は生産性リスクヘッジつまり経済学的正しさの話になっている。これも誰がリスクを負担するのか、ということでして「男だって怪我や病気をうんぬん」という展開なら、そのまんまリスクヘッジの話。しかしリスク評価としては「怪我や病気」と「妊娠」は別軸でして、傷病の方は既にそれなりに考慮された社会システムになっている。健康保険、労災保険雇用保険、休暇などで、例えば壮年社員が事故や脳梗塞やら心臓病で入院したら、まあ、ちゃんとした会社ならそれなりに面倒見てくれる。中小でも最低数ヶ月はなんとかしてくれる。大企業なら一年以上か。私のとこなんて三〇人くらいの会社ですが、なんとかしてたよ半年くらいは。これは勤続年数や貢献度、景気動向にも左右されるだろう。現状では企業によっても異なるし結局は個別案件扱いか。社会保険機能を企業に頼るのはあんまりよくないんだよな。日本は税金安いのでそうなってしまってる、ってのは今は別の話。

 で、後遺症で復帰できないような状況なら企業では救済できないので、障害者申請して行政府へと移管される。



 対して妊娠の方は、社会制度や企業慣習としてはまだ傷病のようには整っていないとは思う。俺が勤めているような中小企業が単独でこのリスクをどうやって、どこまで負担できるかったら大いに疑問で、事実、設計業務は男しかいないしな。結局大概そんなリスクは、ないことにするか、ご本人が引き受ける格好で、なんとなくそれぞれ個別の慣習やら成り行きでうまいヤツはうまいことやってる。

 今しがた「妊娠保険」みたいな制度とか、雇用保険に統合してしまうとか、思いつきで考えたけれど。でもやっぱり生産性リスクの部分だけを見て病気と同列に論じてしまうのは筋が悪い気がする。


 だってさー。労働災害はゼロを目指すし、健康診断だって義務づけられてるし、ケガや病気は減らそう無くそうってのが原則だけど。妊娠は逆じゃないか。少子高齢化なんだし、「産めよ増やせよ」なんて時代でもありませんけれど、社会的には歓迎されることなんだから、傷病と妊娠は全然意味合いが違う。
 
 妊娠て、当該従業員が一時的にいなくなる、という意味で、企業の「生産性」とか「売り上げ」というような、スタティックな時間軸観点からすればリスクなんですが、社会全体としてはリスクじゃなくてプラスだからねえ。


 妊娠を生産性リスクとして論じるのっていわゆる「フェアな経済」のなれの果て問題でして、こんなことやってるとますます社会がドリル破壊され歪んでいくのです。

 社会としては妊婦を排除してたら人類が絶滅じゃないか。全ての人は妊婦から生まれてくるわけだし議論の出発点が根本的におかしいんだよな。妊婦に負い目を感じさせてしまうような社会や経済は絶対に何かおかしい。そんな社会は滅びるに決まってるじゃない。アホなのか増田は。



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よっぽどMMR好きなんだな……



 現代のように、世の中が経済学やら金銭に支配されるようになる前は、人々はもっとうまくやっていたはずなんだ。だがしかし、まあ、そういう過去やらしがらみやらコンテクストからの「解放」やら「自由」やらが現代歴史の目的だからな。「政治的正しさ」と「自由経済」は歴史の必然であり国家百年の計なんでしょう。人類の繁栄には適している気がしないのだけれど。何かもうどうしようもない感じだ。


もうね、道徳とか慣習とか、議論に出てくる余地がないんですよ。


 いやね、「政治的正しさ」や「経済学的正しさ」が全然ダメだとかインチキだって言いたいわけではないのです。半分くらいはきっと正しいのです。でもね、「政治的正しさ」や「経済学的正しさ」を「常に絶対的に正しい」として絶対視したり振りかざしたり、そんな自分に陶酔したりしてるのは、思考停止であって結局は自縄自縛になるんだよってことなんです。スタティックにとらえてはいけないのです。
 
コンテクストガ-!