「第19回 短編小説の集い」 反省箇条書き
◎ 短編小説の集いは3度目。久々の投稿では、どうにも違和感が拭えなかった。投稿後に「何のために小説を書いているの?」ってところでもやもやが強く残った。
(これの続き)
◎日頃のブログ記事は読者の為に書いている、つーと傲慢ですが。自分の好き勝手自由に書いているようにしか見えないかもしれませんが、「読者あっての」という意識が強いのです。誰かのために、という意識。「公」の意識。
◎それにしたってまあ結局は、承認欲求だとかネットにおける自分の居場所だとか話の合いそうな友達だとかを求めているんじゃないの。とすれば、つまり「自分」のために勝手にやってるってことじゃないか。「鶏と卵」論争みたいなもの、という気もするけれど。
しかしこれは、コンテクストの中における自分の位置付け、であって、外側のアイデンティティの話。内なる自分など空っぽだ、アイデンティティなんて外側にしかないのだとすれば「鶏」が先なのだ、としか言いようがない。
◎では小説はどうか。これは今のところ、自分の為にやってるとしか言いようがない。明らかに「卵」が先なのである。読みたい人などいる気がしない。そんな内なる世界観の開陳みたいなもん。読んで何か役に立つとか得るものがあるとか、そんなものにはなっていない気がする。ので、ややもするとモチベーションを失いそうになる。
「卵」ってのは何者でもない。誰でもない。何者にもなれていない自分を晒すってのは非常に抵抗がある。四十過ぎてwanna be ってのはヤバイからな。何者でもない状態ってのには耐えられない。
◎趣味や遊びのレベルでそこまで深刻になるなよ。まあ、これはきっと歳のせいだ。性格のせいだ。趣味と言っても全公開されている場所に置いているので、そんなことを考えてしまうのだ。慣れるまでもう少し時間が掛かりそうだ。慣れる前に挫折してしまうだろうか。まあ、ブログは挫折せずに続いているが。ブログだって始めた頃はある意味「卵」だったよな。
◎話は変わってというか本題というか。「短編小説の集い」参加者のなおなおさん(id:naonao3939)が、投稿作品の後にこんな記事を書いていた。
そういや荒木飛呂彦さんもミステリー要素が大事だ!って話をしてたな。
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たとえミステリー小説ではなくとも、ミステリアスな要素が大事だって話。この先の展開はどうなっちゃうの?予測不可能だ!ってのは読者を引きつけて話を展開していくのには大事な要素。実際に作者の皆さんもそういう点を意識しているなー、という印象。
例えば拙作でしたら、果たして初美さんは彼に会えるのだろうか!?といった点が主軸になっています。でも、どうなっちゃうんだ?とは思っても、全くの予測不可能というわけでもなく、会えるか会えないかの二択。予測不可能と言いながら実は予測可能というか、ある程度は期待通りに進んでくれないと読者を困らせてしまいますよね。
淡い恋心のお話かと思っていたのに、いつのまにかボクシングの話になっていた、なんつったら誰しもが予測不可能!!でしょうが、完全に???状態に。ワケわからんわ。
そういった意味では、例えばなおなおさん、主催者さんの作品は、世界観というか作品のコンテクストみたいなのがしっかりあるので、読みやすいし世界観も掴みやすく、期待を裏切らないつくりになっていると思いました。このお二人はいつも安定感がある印象。
しかし、あんまりにも期待通りになってしまうと、読みやすいけど先も読みやすい、みたいなことになってしまうし。期待通りに展開しつつ、でもそうそう期待通りにはいかないよ、と読者の裏をかく、みたいな工夫が必要。
つまり「ミステリマネジメント」が大事ってことですな。
拙作はタイトルが「告白」でしたが、まさりんさんの作品では作中に「告白シーン」がありましたね。なかなか良い具合に予想外な感じだったと思いました。
とまあ、簡単ですが今回はこんなもんで。
(今回の投稿作品)