マクロ経済学とはなんだろうか

マクロ経済学」について私が勉強し始めたのは、民主党による政権交代が現実味を帯びてきた頃でした。本当に政権交代が実現すれば、本格的に日本の危機が訪れる予感。とはいうものの、当時の麻生総理のやり方があまり正しいようにも思えない。「古い自民党」だとか、また、家がセメント屋だというので土建国家やら利権政治の権化のように言われたり。

 小泉構造改革に逆行するような政策も多かった。そりゃあ、景気対策として一時的には効果もあるんだろうし、必要なことなのかもしれないが、持続性があるとは思えない。長期的には小泉さんのやり方しかないんじゃないか、という気がしていました。特に気になったのは、麻生さんやその友達の三橋貴明さんたちが言う、財政赤字の解決策について、

「お金がない?だったら刷ればいいじゃない!」

ってどうなのよ?マリーアントワネットかよ!

 日銀なんて日本政府の子会社みたいなもんなんだからお金刷れば解決じゃん、と言われても。ミクロ経済しか解らない、しがないサラリーマンとしては、

そんなのインチキじゃん、考えが甘すぎだろ、とかね。

 

 

f:id:fnoithunder:20140130001415g:plain

 

 しかし、じゃあ、八百兆円(当時)にも上る「国の借金」問題はどうやって解決すればいいのか。そんなところが切っ掛けでした。しかしまあ、とにかくマクロ経済ってのはなかなかイマイチよく解らないし面白くない。なんだか随分とヘンテコなものなんだなと、ド素人の私はその程度の理解しかできませんでした。

 経世済民

少しずつ解ってきたのは、自民党西田昌司参議院議員の動画が元でした。

国会で民主党の安住大臣や野田首相、日銀の白川総裁などと経済について議論しているのを見て、だんだん解ってきたことがある。「経済」には二種類あるのだ。実際に私の手元にある辞書を見てみると、最初の二項は以下の通り。

 

けいざい【経済】

1 (―する)(「経国済民」または「経世済民」の略)国を治め、民を救済すること。政治。

2 人間の共同生活を維持、発展させるために必要な、物質的財貨の生産、分配、消費の活動。また、それらを通じて形成される社会関係をいう。

(1988/国語大辞典(新装版)小学館 1988)

 

一般的に経済とは上記の2の方をいいます。日常的に誰もが行っている経済活動そのもののことで、誰もが感覚的に知っている。直感的に理解できるものであろうと思います。学問的には「古典派経済学」がベースにあって、経済を自然現象の如く考えるのが基本のようです。経済とは、自然の摂理に従って自然に動いていくべきもの、という感じかな。

「古典派経済学」の観点だと「行政府」とは非常に不自然な存在で、非効率なことばかりをする。ので、経済を歪め、悪影響を与えてしまう存在である。よって原則的には、行政府は経済に関わってはいけない。軍事警察消防だけをやっていればよい、ということになっている。なんならそれらも民営化してしまってもいいだろう。官から民へ。まあ、小泉構造改革そのものですな。

 

もう一方の、上記の1の方はというと、経済とは「経世済民」である。世を正し、民を救済するのが「経済」である。という考え。政治の力で経済的に民を救わなければならないので、上記の「経済活動」とはかけ離れたような、一見矛盾したようなことでも、断じてやらねばならない時がある。いずれ結果として国家の成長、信頼へと繋がっていく。

麻生さんや三橋さん、西田さんは、そういう意味合いで「経済」という言葉を使っているのだ、というのが解ってきた。

 

要約すると、

① マクロ経済とは「経世済民」のことで、いわゆる効率ばかりを追求するミクロな「経済活動」とは別の道徳があるのだ、という流派

② ミクロ経済の延長にあるのがマクロ経済であって、とにかく自然の摂理に反してはいけないのだ、という流派

 

の二つあることがわかってきた。

 ( ①のベースにあるのが「ケインズ経済学」 ②が古典派経済学、それを発展させたものを新古典派経済学というようです。より詳しく知りたい方は、三橋貴明先生に聞いてみましょう )

 ミクロ経済モデル

さて、ではまずミクロ経済モデルのシミュレーションです。

 Kエンジニアリングなる従業員10人の小さな会社があった。社長は自分の家や土地などを担保に銀行から資金融資を受けて会社経営に充てていた。

しかし200X年。リーマンショックの煽りを受けて仕事は減少、銀行の貸し渋りもあり、徐々に経営は苦しくなっていった。社長は資金繰りと営業に奔走したが、資金も仕事も、従前の70%程度を確保するのが精一杯だった。このままでは10人の従業員を養っていくことができない。

社長は断腸の思いで、2人の社員を解雇し、残った社員の給料は10%削減することにした。Kエンジニアリングは、これからは8人でやっていくこととなった。

 

とまあいう具合に、ミクロ経済モデルとしてはありがちな感じだと思います。実際に私の勤める会社はこんな感じだったな。会社の生き残りを考えればやむを得ない決断であったろう。

 マクロ経済モデル

これをマクロ経済として考えると、どうなるか?

Kエンジニアリングは実は大K民国という国、社長は大統領兼任で国民が10人。だったとする。仕事が減ってしまったので、大統領は国民2人を解雇することができるか?

いやいや、国民を「解雇」ってどういうことよ?ありえんでしょ。

 

「従業員」は2人を解雇すれば8人になるが、「国民」は10人のまま。国民を2人減らすには国外追放?餓死するまで放置プレイ?それとも思い切って処刑する?いやいや、仕事がないからっていきなり処刑だなんてそんなひどい……

とりあえず2人を仕事から外したところで、この2人にはさしあたっての生活費として失業保険を給付し、次の仕事を斡旋してやらなければならない。それが国家というものである。

 

  というわけで、会社単位なら不景気時には解雇や整理、効率化などによるスリム化で、ある程度問題解決していくのだが、国家でそんなことすると失業者が増えるだけなので、事態はますます悪化するのは明々白々である。だから国家とは、こんな時こそ、断固として民間会社とは真逆の発想をしなければならない。例え禁じ手だ!と批判されようと、借金を抱えようと、とにかくまずは国民を救済するのが国家というものなのです。

 

にもかかわらず……

上述の大K民国では国民10人だったが、これを一億人規模でやってきたのが日本である。行政改革だの構造改革だの規制緩和だのってヤツ。こんなことを1997年頃から

ずーーーーーっとやり続けている。

つまり「②」の意味でマクロ経済を捉え、経済を改善するつもりでありながら、逆に事態を悪化させてしまったのが自民党行政改革とか構造改革。「ムダ削減!」と言いながら、益々構造改革を急激に進めたのが民主党政権、というわけですな。そしてそれを熱狂的に支持した国民が多数いたのも確かな事実。

不景気状況でミクロレベルの改善を行政府が行っていけば、どんどん正規雇用は減り、国民所得が減り。デフレが進行していく。失業者が増えていく。そうやってとめどなく悪化し、疲弊していく。

 

無駄が多いからダメなんだ!国が身を切れ!まず議員定数を減らせ!公務員を減らせ!公共事業なんかやめちまえ!ムダなんだよ!残った奴らの給料も減らせ!とにかく効率化しろ!なんつーか、もの凄い怨念です。怨念戦隊!ルサンチマン

1990年代には日本の年間自殺者2万人だったのが近年では3万人を超える。増加した1万人とは、いわば国家に解雇された国民、とも言えるのではないか。処刑されたも同然です。地方中小ゼネコンの社長や従業員、土方相手のサービス業者とか。

こうやって文字に起こしてみると、なんかもの凄い当たり前の話のようなのだが、結局、構造改革とはこういうものなんですね。なんでこんなことを国家を挙げて15年も続行しているのだ??

しかし今に至ってもマスコミも御用エコノミストも主要な政治家も構造改革規制緩和がダメだ!なんて未だに言わない。逆ですな。まだまだ改革が足りない!さらなる「改革」が必要なのだ、規制緩和だー!って論調がまだまだ圧倒的に多い。

政府はまだまだそんな感じ。しかしなぜか、自民党の方は逆の人が増えてきているような。野党の方は構造改革派が多いですね。みんなとか結いとか維新とか。

 

でも10年前の、小泉政権の頃ってそんなに景気悪くなかったろ、という気がするぞ。っていうか、「いざなみ景気」とか言われてなかったか?話が違うじゃないか?

 (次回へ続く)

 

経世済民」の視点で経済を解説!三橋先生の著書 ↓

図解 逆説の経済学――メディア・評論家に歪められた真実

図解 逆説の経済学――メディア・評論家に歪められた真実