仮想世界に引きずられたのは誰か

書きたい事、書くべき事はいろいろ思い付くのに。
ちっとも書かないから溜まっていくばかり。
 
ジェンダー
はねバド!
はいからさんが通る
・勝間さん
・スーツさん
・消費税増税と藤井さん
・黒田総裁
佐藤健志さんの新刊
コンサータを手に入れた
 
などなど。
なのに、また新しいネタが入ってしまった。先にやります。
「新しいネタ」って、何十周目だキズナアイ
 
plagmaticjam.hatenablog.com


非常に面白い観点です。コメント欄に書こうと思ってたのですが、膨大になってしまったので。私としては総論賛成だけど個別分析は大いに異なるのでその辺を。ただ、Vチューバーって私はキズナアイしか知らないし、今回の騒動で調査がてら初めて見てみた、というだけなんで認識不足かもしれません。或いは世代による認識差なのかもしれません。

まず思考実験。

 例の、NHKのノーベル賞特設サイト案内役を、キズナアイではなく「実在女性」にやってもらうとする。カワイイ系の女子アナであるとか、井上和香さんとか小林麻耶さんみたいな、ジェンダーロール的に古そうな彼女(以下「彼女」とします)を起用したらどうなるだろうか。役割としての範囲内で「バカっぽい振る舞い」や「色っぽい振る舞い」をしても許されそうではある。そういうキャラだからということで。「こういうクソバカ女のせいで女性の地位が上がらないのだ!」とイラつく層は一定数存在するであろうけれど、あからさまには声は上げにくいと思われる。嫉妬と思われるの癪だし、悔しいが押し黙ってしまわざるを得ない。声を上げたとしても「またか」「嫉妬乙」「別にいいじゃん」って感じで話題にならないんじゃないか。その辺も含めて「彼女」の器量の良さ、したかかさ、と世間には認識されているから。彼女が「役割」をもって一定の地位を獲得した芸能人であり「実在」だからこそ。ブコメで叩くにしたって、特段落ち度があるわけでもない人気芸能人を「バカだクソだ」と殴りにいく人はあんまりいなさそうだし話題にもならなそう。「あームカつく!」と内心でフラストレーションをため込むのみ。
 
 対して「キズナアイ」は「エロい絵」「グロテスクな絵」。単なる絵であって「非実在」だからこそ、殴ったって傷つく「彼女」は実在しないし、殴り返されることもない。よしんば反撃されても「非実在彼女」を擁護するような奴らは「クソキモオタ」に決まっている、とレッテル貼って殴り返し、優位に立つこともできる。全ての批判者がそう、ではありませんが。「碧志摩メグ」「駅乃みちか」なんかも同じ。ラノベの表紙絵も同じ。いくら「彼女」を殴っても「彼女」は痛がらないから、心置きなく殴れる。殴り返されない。これは千載一遇のチャンス!となりやすい。


 「実在」と「非実在」では「非実在」の方が圧倒的に殴りやすいんです。そういう意味で、キズナアイなどのキャラクタの「非実在性」「抽象性」の、長所、分かりやすさを活かし、頼って、あてにして、自分の内面にある物語を構築し、自分自身の抽象世界にハマり込んでしまっているのは、殴ってる人なんですよ。ブレンダが特に酷かったですが、アレは相手が非実在だと認識するからこそ、あそこまで際限なくムチャクチャやってしまったのであって。相手が実在の美人タレントやカワイイ系女子アナだったら、多分何もしなかったし、できなかっただろうし、あんなに拗らせて醜態をさらすこともなかったでしょう。相手が実在であればこそ、殴れない。思いとどまらざるを得ない。相手の、自分の「立場」をわきまえざるを得ない。それが「辛く、悲しい、不条理な現実を生きる」ということです。
 
 抽象存在を殴りに行くのは、本当は、ある種の現実逃避なんです。仮想だから殴っても平気だ、というのがまずトリガーとしてある。でも、そもそも内心では、自分は正しいはずなのに、なんで世間は分かってくれないんだ、という感覚がある。間違っているのは向こう。だから「キズナアイ」を殴ることは間違っていないはず、正しいはず、なのに。なのに殴り返してくるヤツがいる。何なんだ。あいつら何も分かってない。私が正しいのに。

 そう。あなたは正しい。確かに「現実」は正しくないことだらけ。現実は不完全だ。不条理だ。だが、それが現実だ。不完全な、どうしようもないものだ。



 抽象世界だからこそ、認識がズレて、混乱し、暴れまくってしまう。仮想世界に引きずられ現実と非現実が分からなくなってしまっているのは、負の感情、怨念を持ってる側じゃないか。「人が嫌い」「アイツ嫌い」という感情そのものが、ダイレクトに引きずり出される。相手が「人」でないからこそ、仮想世界だ(と錯覚する)からこそ、思い切り、際限なく、ぶつけてしまう。とりとめなく内面をさらけ出してしまう。恐るべし非実在



 殴ってた人は主に「キズナアイ」の「見た目」か「安っぽい役割」を問題にしていた。或いは「性的消費」など言ってるのもいた。この「性的消費」言ってるのが一番ヤバい。それこそまさに自分の仮想世界の話なのに。そりゃ別の誰かの脳内にも確実にあるだろうが、その誰だか分からない誰だかの脳内妄想を、誰だかの内心を、罪悪として?禁止する?処罰する?どうやって??キズナアイで何をどう??

 殆どがユーチューバーなど見たことないんじゃないかと思った。そのくらい「キズナアイが何者か知らない」殴り方だった。実のところキズナアイは「単なる絵」ではなかった。というのは先日書いた通り。よって、いつものごとく今まで通り「見た目」で殴りにいったら思わぬ反撃を食らって大混乱に。


 対して、キズナアイファンのほうはそもそも、仮想世界に対してはエネルギーが総じて低いように思う。現実世界で消耗してエネルギー不足だからこそ、仮想世界でぼんやり過ごす。キズナアイなんて、おおむね暇つぶしやら息抜きに、いぬねこ的感覚でカワイイなどと思いつつ、なんとなく生暖かく眺めてる程度、の人が多いんじゃないのかなあ。キズナアイ「ご本人」もそんな程度のつもりでやってると思う。


fnoithunder.hatenablog.com


 今回の騒動に限って言えば、キズナアイはVチューバーの先駆けとして、意識高い感じで勢力拡大していこう、とすれば殴られることもあるし。あえて貧乏くさく一張羅アッピールしてた、ところも有るようですが、野心があるなら「フォーマルな衣装」も必要だったな、といったところ。私はキズナアイについては非常に「人間的」と思いました。キズナアイプロジェクトの主要員が5人なのか10人なのか分かりませんが、その程度の「法人存在」であると。





 そんなわけで、いずれにせよ所詮は人間がやってることだし、実際に動画を見てみても、特段にVチューバーやアニメキャラの言動や行動が、例えば「実在ユーチューバー」やら、或いは実写のドラマ、映画、バラエティ番組に出てくる「芸能人」やらに比較して「過激である」とか「やり過ぎ」という印象は、私は持ちませんでした。ただそうは言っても、芸能人やら歌劇団やら人気ユーチューバーの人にしたって、美的にも表現的にも、選ばれし、抽象された存在ではありますし、フィクション世界を構築する要素ではあると言えましょう。
 
 身の回りで直接に接するリアルな人々とのかかわりが嫌いで煩わしくて、自分の生活とは関係の無い「自分好みの抽象世界に逃げ込んでいる」という意味では「Vチューバー」ってコンテンツは、人間が演ずるTV番組等と源を同じくする「フィクション世界」のバリエーションのひとつ、と思います。まあ、これを言っちゃうと漫画や小説だって同じくバリエーション、ということにもなってきますけれど。或いは私が好きな鉄道やバイクなどの「非人間」に対してエネルギーを注ぐのも同じことかも知れません。当人がどこまでドップリ浸かってしまうか、現実とフィクションをちゃんとわきまえていられるか、というところに行き着くのでしょうか。



 私はplagmaticjamさんが本記事で書かれていたことは「キズナアイ」よりも「初音ミク」の方がよく当て嵌まっているように感じました。アレは人間のような雰囲気は持ってはいるけど、非実在、というより全く人間でない。シンセサイザーです。自動音楽装置です。あの辺に「不気味の壁」を感じなくなったなら、まさにplagmaticjamさんの仰る通りのことなんだろうと。
 
 現状ではVチューバーは法人格的存在であり、それが「売り」でもあるんだけれど。でも将来的にはね。キズナアイが動画で相手にしている、本物のAIである「りんな」や「siri」みたいのがユーチューバーデビューする日がいずれ来るならば。それはVチューバーとは「似て非なるもの」になると思います。全く別物の、自動人形的な何か。それが商業的に成功するようになるなら。「不気味の壁」を意識すること無く、受け入れられるなら。恐ろしい恐ろしい。



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