「聲の形」再考

前にさんざん書いたヤツ。

fnoithunder.hatenablog.com


Blu-Ray 予約購入したので。私は「初回限定」に釣られてしまったけれど。
 


 やっぱり劇場で観るのとは違う。当たり前か。ちなみにうちの環境、ディスプレイはBenQの21.5“で一万円くらいのやつ、スピーカーはクリエイティブの2.1chで3000円くらいだったかな。音が出さえすればいいような格安品とは違うけれど。とってもチープな環境であることには違いない。
 
 それはともかく原作との差異は気になってしまった。「元はもっとえげつない感じじゃなかったっけ。もっといっぱいしゃべってなかったっけ。何か違うところと繋がってるような。これ殴るとこじゃなかったっけ」などなど。

 巻き戻してセリフ確認したり繰り返したり。原作漫画も読み返して比較検証して。映画館じゃ絶対にできないことをやってしまいました。


う~ん……やっぱりこれ、残念だなあ……


 はてな有名人だと、フォッケウルフ?𩸽オーカミさん?当てこすりもいい加減にしろって感じですが、映画について確か「西宮硝子がいい子ちゃん過ぎ、『障害者=聖人君子』っていうステレオタイプそのもの、どうしようもない駄作」のような評価してたんだけれど……反感を感じつつも、なんか、そう言われてもしょうがねえのかな、という気がしなくもなくなってきた。

 いやそれは言い過ぎだろ。いやしかし原作知らんで映画だけ観ると、そうなのか……なぜ硝子が「死のう」に至ったのかよくわからんし。説明不足って次元ではない。この辺の改変がうまくいってない。


 これは「この世界の片隅に」と同じパターンか。映画だと駆け足になってしまって、エグみ毒みが薄まって、美化されて。制作サイドの自己陶酔が鼻に付く。まあ自己陶酔じたいは別に構わないのですが、でもそれを客観視できてない感じなんだよな。そこがマズい。

映画館で観ると「なんかいいものを観た、感動した」ような気になるものの、結局は心に残らないという。


 オーディオコメンタリとか、「映画ができるまで」とか、映像特典など観て、実際に山田尚子さん(監督)始め制作スタッフの声を聞き、顔を見てしまうと、怒りや無念も薄れて「頑張ったんだなあ」「まあいいか」って思ってしまうのだけれど。意外にも悠木碧さんの話が面白かったのが収穫。



しかしやっぱり惜しい、悔しい。知らない人には申し訳ないけれどやっぱり書いておきたい。言い出したらきりがないけれど。

これだけは言っておきたい

5年ぶりに将也と硝子が再会するシーン、およびその周辺事情。なぜ変えた?

① 硝子はいったんは逃げ出すものの、結局は硝子の方から将也に話しかける。
→ 逃げるのはやめたものの。話しかけるのは将也の方からになっている。
 
② 将也は過去について文句も含めて色々と話した挙げ句に「友達になれるか」と言う。
→ ロクに会話もせず「友達になって欲しい」で終わり。ホントはそんなつもりじゃなかった、というのは原作も映画も同じだが……
 
③ 硝子は将也から届けられた筆談ノートを見て涙ぐむ。過去の辛かった出来事を思い出した様子。
→ 涙ぐむのは同じだが理由が変わっている。将也に「友達になって欲しい」と言われての嬉し涙に見える。いやそこはそうじゃねえ。ここがフォッケ氏のような方からの叩きどころになってしまっている。
 
とても重要なポイントなのに。これ話が変わってる。よくもまあこれでOKにしたな。ここはどうしても納得がいかん。


 硝子の筆談ノートは原作では最も重要なアイテム。小六の時に将也に捨てられ、硝子は回収しようとしたものの、でも結局は捨ててしまった。硝子はここで挫折している。明示されてないが、過去に一度だけ、硝子が泣きながら、結弦に「死にたい」と告白したのはこの件。これを将也が回収していた、というのが重要。


……まあ、これは原作でも分かりにくいかもですが。映画だと曖昧だし何か違う。


「少女漫画」をよく知らんくせに言ってしまうのですがこの話、ジャンルは「少年漫画」でありながら、少女漫画的なんだとも思うのです。ヒロインがいっさいしゃべらない、いっさいのヒロイン視点がないという。唯一無二無双。ゆえに原作者なりに徹底して計算尽くで作られているのが……なんか色々とおかしくなってるよなあ。

この「察して女王」っぷりをどこまで察することができるかという、のが、まあ、一つの楽しみ方というかなんというか。


 原作にあった結弦との会話、将也とのメールのやりとり、直花への手紙など、大きく端折られてるし、友人関連の騒動や葛藤、出来事も減ってる。尺の都合上、色々とカットされるのは仕方ないのは分かるが。それをばあさんの死で代替してしまうのは無理があった。おかげで「死」への筋道もなくなっちゃってるんだよな。

よかったところ

 西宮姉妹と将也の三角関係(頂点は硝子ですが)。友人関係を大きく端折ったので最も重要なポイントになる。将也と結弦の関係の変化。結弦からの許しと信頼。純化されてきれいになってはいるけれど。姉妹喧嘩も大きくカットされてたのは残念だったけれど、それでもよくてできていた。嫌悪も苛立ちも示しつつ、いい子ちゃん過ぎる結弦。いい意味で。

ポリコレ

 制作サイドもメジャー映画でやったがゆえに扱いが難しかったか。基本的にはアンチポリコレな話なんだけれど、だからって別の解決策や正解への筋道が提示されるわけでもなく。その辺、特に硝子ママと直花の態度やセリフがソフトになったり曖昧になったり。結弦や将也も同様の傾向あり。やっぱりメジャーでやるのは(現代では)無理があったのか。


 筋の通った明確な思想やパラダイムが下地にあるわけでもないので。前回のガンダムと違って、文化・歴史・思想・哲学などを絡めて、感想を展開するのは困難だし、一般論化するのは難しいし、この作品でそういうこと考えるのは野暮なのかな。個別案件の一つとして、参考にならないわけではないのだけれど。
でもなあ。

「色々と考えさせられました」
 
で終わりにしてしまえば簡単でいいが。


いったい何を考えたのか。
「障害者」を描きながら、なぜアンチポリコレなのか。
なぜアファーマティブ・アクションが失敗するのか。

自分の考えを、ちゃんと言葉にした方がいいよなあ。

(今回はここまでで終わりです)


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