鉄華団とは、日本である。

前回の続き。「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」の話。
ネタバレしますので、これから視聴するつもりの人は避けてくださいね。
fnoithunder.hatenablog.com

まず予防線……

 見応えがあって面白かった。私にとって、ここまで色々と考えた作品は「聲の形」以来。そもそもオレンジスターさんの記事がなかったら、シロクマ先生との傑作論争がなかったら観てなかった作品だしリンク張るのが礼儀か、と思い。他の人の感想も読みたいって仰ってたし「ネットプロレス」の話も出てたし。でもちょっと迷った。
 
 ウチでは大概、財政、金融、経済、国防、外交、安保、政治、思想、哲学なんぞをやっていて、アニメの話はあんまりしないし、まったく得意ではない。お二人とは評価軸がかなり違うのだけれど、でも自分は論争できる水準にない気がするし。


 オレンジスターさんは大絶賛で「傑作」と評価している模様。シロクマ先生は「傑作になり損ねた意欲作」と仰っていて、これは私の感覚と近いです。プロットは凄くいいけれどシナリオには疑問を感じた部分が結構ある。


orangestar.hatenadiary.jp
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 人それぞれ。おまそう。ということで、どうか広い心でご一読いただければ幸い。私にとっては記事タイトルの通り。思想背景がモロに出ていますね。鉄華団とは日本だ、と思って見ていました。前回に書いた通り「鉄血のオルフェンズ」は「日本哀歌」だと思っています。二期の方は随分と叩かれているようですけれど。一期は素晴らしいけれど二期はダメダメ、なんて悲しいぜ……

好きになれないのは仕方ないけれど。
でもどうか、この結末を受け止めてほしい。

感想

 少なくとも、私が大人になってから見たガンダムでは一番良かった。そんなにたくさんのガンダムは見ていないのですけれど。(ちなみに子供の頃に見たのは「ファーストガンダム」だけです)


ガンダムらしくない、らしさが足りない」「ガンダムを超えるものになった」「新しいガンダムだ」「ガンダムでやる必要がなかった」など、色々と言われていますが。

 私は「ガンダム」とは戦争を描くものだと理解しています。ので、とてもガンダムらしい作品だったと思います。そして非常に日本的であったと。いかにも日本のガンダムだと思いました。あ、ガンダムは日本の作品なんだから当たり前?でも「日本」を描いているガンダムってあるのかな?よく知らないんですけれど。


 お話は未来の火星からスタートで、日本とは全く縁もゆかりもありません。でも三話にてオルガは「決して散らない、(てつ)(はな)。俺たちは鉄華団(てっかだん)だ」などと言い出します。

 漢字表記に訓読みと音読み。こんな発想ができるのは日本語だけです。「日本固有の文化」です。それを未来の火星人であるオルガは知っている。オルガかっけー!そうかオルガって実は日本人だったのか!……とは言い過ぎですが。この何かと日本語の語彙の出てくる未来の火星、なんじゃこりゃ?と思った人も多いのではないかと思います。どうやって伝わったのか不明ですけれど、とにかく日本の文化が伝承されている、そういう設定、そういう世界観、というのはとても重要です。
そして名瀬の兄貴が毛筆で「御留我 威都華」などと書いてくれた日にはもう!素晴らしい!これは日本的な世界観であるということを暗示しているのです。

鉄華団と日本の共通点

ではあらすじから、私の思う鉄華団と日本の共通点について書いてみます。

① 一期あらすじ
 不遇な子供達ばかりで結成された鉄華団。吹けば飛ぶような弱小団体でしたが、明日の存亡を賭けてバクチ同然の危険な戦いを繰り返し、それでも奇跡的な勝利を積み重ねて力をつけていく。そして多くの犠牲を出しながらも、なんとか一人前と認められるまでに成長する。ここまでが一期。


 これを日本になぞらえると、開国から明治維新、日清・日露戦争まで。鎖国の状態から突如、弱肉強食の世界秩序に組み込まれて、必死にあがき、生き抜こうとした時代。特に日露戦争などは国家存亡を掛けた、非常に危険なバクチでした。ロシア内部の政情不安もあって運良く勝てた、という面も大きいけれど、とにかくこれで世界から一目置かれる存在にまで成長しました。


② 二期あらすじ
 鉄華団は強力な組織として一目を置かれながらも、出る杭は打たれるとばかりに邪険にされ、対抗勢力に陥れられ、迷走を始める。その純朴さが仇となり傷ついていく。いつも不穏な空気がつきまとい、それでも自分たちの夢を果たそうと必死に戦う。しかしやり方を間違えた。組む相手を間違えた。ギャラルホルンを掌握し、支配者となるかに思われた、頼みの綱マクギリスも結局は自滅してしまう。所詮「火星の王」などバカげた妄想に過ぎなかったのだ。もう鉄華団には破滅への道しか残されていない……

三日月と明弘、二機のガンダムは、勝てないと知りつつも、死ぬと分かっていながらも最期の戦いに挑む。そして最終兵器ダインスレイヴにより大ダメージを受ける。奮戦もむなしく、やがてガンダムは力尽き、倒れる。
 
しかしこの戦いのおかげで、逃げ延びることができた者達がいる。
命と物語は紡がれていく。


 二期は大正~昭和初期。第二次世界大戦に敗北し壊滅するまでの日本です。「昭和維新」に失敗した日本そのものです。所詮「大東亜共栄圏」などバカげた妄想に過ぎなかったのだ。マクギリスはナチスドイツ。三日月と明弘のガンダム零戦戦艦大和の沖縄特攻。この二機のガンダムに事実上のトドメを刺したチート兵器は原子爆弾の暗喩ではないか。ガンダム二機が餌食になったのは、広島と長崎を象徴しているかもしれません。

 最後に戦死した二人が「三日月」と「昭弘」という、鉄華団でたった二人だけの「日本的な、漢字の名前」を持つメンバーだったことも象徴的と思いました。(日本名っぽい団員は他にもいますけれど、漢字表記はこの二人だけでした。あと、雪乃丞さんだけはいい年のおっさんなので例外とさせてください)

 こういう考え方を取ると、ラストで「善戦はしたものの、軍事戦略的な意味ではガンダムは役に立たなかった」理由が見えてきます。ナチスドイツや大日本帝国のような存在は「正義の鉄槌」をくだされ、虚しく壊滅する必要があったのです。


 まあ……戦艦大和だとか原子爆弾だとか、妄想たくましい奴だな、と思われるかもしれませんが、一つの見方を提示してみた、ということで、何卒ご容赦くださいませ。

難点

 シロクマ先生も仰っていましたが、死亡フラグがちょっと……メインメンバーやそれに近しい人が死んでいき、その死をもって次に進むべき道が方向付けられる、ようなパターンが多い。のはいいとしても、どうもこの因果関係がなあ。話を先に進めるために「殺している」ように見える事があるのは確かです。様式化されてしまってシナリオに説得力が欠けるところがあったとは思いました。

 ラストの、オルガ→マクギリス→イオク→明弘→三日月 のシナリオ自体には不満はありませんでしたが、でも全体的に、コンスタントに殺りすぎて、おかげで視聴者が「あらフラグ。やっぱりか。またか。こいつもか」というように、悪い意味で慣れてしまった感があるような。

しかし、分かっていながら私は、名瀬の兄貴のところで不覚にも泣いてしまいました……


作品の感想はここまで。
以下は私がこの作品からさらに派生的に考えたことです。

歴史は紡がれていくのか

 ちょっとイヤな話をします。たとえイヤな話であっても、考えておいて欲しいなと。いうのも、「鉄血のオルフェンズ」は政治のリアリズムをやけに強く意識しているところがあったので。「歴史」の話をしておきたい。


 脱出成功したメンバーやアトラの存在によって「命」は紡がれたのは確かだけれど、でも鉄華団の「歴史」は紡がれないですよね。アトラ、クーデリアのモノローグにあるように、鉄華団はその存在すら本当に忘れ去られてしまうのなら、むしろその方がきっと皆が幸せになれることでしょう。

でも鉄華団の「歴史」は「改竄」され伝承される。


 きっとアトラは暁に「あなたのお父さんはとっても勇敢な人だったよ。火星の自由と独立ために、最後の最後まで戦い抜いて、生き抜いたの」と教えるのでしょう。でも果たしてそれが通じるのか。

少なくとも「歴史」はそうではない。「歴史」を創るのはギャラルホルンだからです。

 歴史への反逆者はマクギリスであり、その片棒を担いだ鉄華団は世界秩序を乱す悪の軍団。その悪の軍団の象徴たる、三日月の駆る「悪魔のガンダム」を倒すことで、ギャラルホルンは世界を守り、平和と秩序を取り戻した。これはラスタルが目論んでいたシナリオですが、実際に作中でその通りに描かれました。だから少なくともこの世界の教科書にはそのように書いてある。「アフターの歴史観」では、ガンダム・バエル、ガンダム・バルバトスガンダム・グシオンは、言ってみれば「悪の枢軸」。それが否応なく敗者に植え付けられる「歴史」です。
 
 もっと先、例えば50年後、70年後。当時を知る者はごく僅かしかいない世界で。「鉄華団とは、戦いの中に生きた誇り高き戦士」などと言うのは「歴史修正主義」であって、「正しい歴史認識」では、三日月も明弘も「悪の軍団」の一員であり、良くてせいぜい「何も知らず犠牲になった、哀れな子供達」といった位置づけになるのではないでしょうか。


……というのは、意地悪な見方でしょうか。

 事実、47話の段階で、既にクッキーとクラッカは「悪者、人殺しの家族」なんて言われいました。そして状況はそれが決定的な方向へと進んでいます。最終話のガエリオによれば、ジュリエッタは「悪魔の首を取った、凜々しき女騎士」と言われているようです。また、ユージンは「副団長なんて呼ぶな、誰かに聞かれたらどうすんだ!」ってタカキを叱っています。この世界では、もはや「鉄華団」は「悪の軍団」以外の何物でもない。元団員にとって鉄華団の名は禁忌(タブー)です。生き延びるためには「鉄華団」を捨てなければならなかった。
 
 クーデリアは「歩き続けること。それが私たちのつとめだと思うのです。私たちの幸せを願って、散っていた家族のためにも」と言っていましたが……公式の場では「鉄華団は悪の軍団」という認識を示さねばなりません。それが「歴史」というものです。


鉄華団と日本の違い

 良くも悪くも、鉄華団には文化・歴史がありませんでした。そして最終的に壊滅し、その後継団体もありません。残されたメンバーは鉄華団の名を捨て、鉄華団とは無関係に生きていきます。鉄華団はたった一世代にも満たない、儚い団体でした。*1


 日本は違います。開国の時点で有史だけでも千年以上の文化・伝統がありました。しかし当時の日本の文明レベルでは攘夷は不可能、ゆえにみずからの文化を一時封印し、ひたすら欧米文化を取り入れ続けます。このとき日本人が編み出したのが「和魂洋才」というアイデア。日本の魂を保ちつつ欧米から学ぶ。「文化」はあくまで「日本文化」のまま、欧米から学ぶのは「文明」である、という。でもそんなことを何十年も続けているうちに、日本文化など遅れたもの、もう必要ないじゃないか、という葛藤も生まれてくる。
 
 その後、世界大恐慌から各国の対立が激化、貿易利権を巡って日本は欧米から敵視されるようになる。いわば欧米からハシゴを外された格好になり、もう「脱亜入欧」は叶わないと知る。日本はこの時点で旧来からの自国の文化と、急遽取り入れた、より進んだ(と思われた)欧米の文化、二つの文化に引き裂かれる。所詮は「和魂洋才」などご都合主義の方便に過ぎなかった。欧米文化など上っ面をまねただけで本質は分かっておらず、日本とはいったい何だったのか分からなくなってしまう。そして結局、自国のアイデンティティを取り戻すための戦いを始める。「八紘一宇」を掲げ、欧米から学んだ文化・文明をもって世界に打って出て、「日本」を「世界」に広める、という意味不明で破滅的な戦いを。そして事実、破滅する。


 これは日本が戦争を始めた直接的な理由ではありませんが文化や思想のレベルではそういう、心の奥底に押し込めてしまった酷い葛藤があり、それに耐えきれず精神的な破綻をきたした、ということはあったでしょう。シロクマ先生風に言うなら、日本は日本の文化・伝統を裏切り続けたことによる「カルマ」が蓄積し、耐えきれなくなってしまった、というような。


 そして、その後継団体として我々は存在します。そこが鉄華団と決定的に違うところ。私たちは、国としては推定2000年、有史で1300年、近代国家として140年、そして72年前には「悪の帝国」として「正義の鉄槌」をくだされて壊滅した、日本を伝承する一員です。我々は一世代で終わることは許されない。不都合な部分を「無かったこと」として捨て去ることもできない。

どうかラストの、クーデリアのモノローグを思い出して欲しい。
「私は愛しています。たとえ歴史の流れに忘れられようとも。鉄華団のみんなが創ってくれたこの世界を。あなたが残してくれた、この世界を」


 その意味を、よく考えて欲しいのです。我々は、先人達が残したこの日本を、愛するにしても嫌うにしても、決してきれい事だけでは済まされない。単に「肯定」或いは「否定」なんて言葉だけで封じ込めてしまったら、それこそ我々もカルマを蓄積する羽目になる。もう既に、相当のカルマをため込んでいるかもしれません。

 私は、日本を愛して欲しいとは思わない。嫌いでも構わない。「あの戦争は正しかった」などとすべきでもない。でもどうか、受け入れて欲しい。思いを馳せて欲しい。私たちの幸せを願って、散っていった家族たちがいたことを。

最後に

 長々と書いてしまいましたが。この作品を夕刻5時台に放映した、というのは意義深かったのではないでしょうか。これを見た今のティーン以下の世代にとっては、きっと「記憶に残るガンダム」となって、30年後には、あれは名作だったなあと、その意義について振り返り、噛み締めることができるんじゃないか。そんなガンダムになったら素敵だなあと思いました。
 

*1:もしかしたら、ライドが後継団体を立ち上げるのかもしれませんが……不穏な運命しか想像できませんね