お金とは何か

お金は使うと消滅する!


そりゃ当たり前だろ、と思った?

そんなワケないだろ!と思った?


「お金」とは何か。明確に、ちゃんと説明している経済学者とか哲学者はどうも見あたらないらしい。少なくともアダム・スミスマルクスケインズハイエクといった大御所は、キチンとは説明していないのだとか。お金の本質とは何なのかを説明するのは実に難しいことのようだ。
スミスの「国富論」によれば、

① 物々交換を効率化する
② 価値の貯蔵
③ 価値の計算

などが挙げられているらしい。
しかし、どうやら貨幣のこれらの機能は、後付けというか、貨幣が発明された後から付加されてきたもののようだ。


21世紀の貨幣論


これ面白そうなのですが、書評のたぐいしか読んでいません。
高くて躊躇する。難しそうだし買っても積ん読になりそう……
そのうちにね。と思いつつ二年もたった。

そこのアナタ!
一瞬「ダジャレ」とか空目しませんでしたか!?



 どんな世界の地域でも、どこの未開の部族でも、大概は「貨幣」的なものが存在しているそうです。世界の各地で、貨幣は同時多発的に発生していたらしい。その起こりはどこもおそらく似たようなもの。現代の「お金の本質」の説明は無理っぽいので、今回は、じゃあお金とはどうやって発生してきたのか?という話をしてみましょう。(登場人物は実在の人物やブロガーとは関係ありません)

Once upon a time in hatena……

 
むかしむかしある村に。
 五条くんが住んでいました。そこへ友達のしずかちゃんがやってきて魚をくれました。たくさん獲れたから分けてあげるって。五条くんは喜んで魚を受け取りました。
「ありがとうしずかちゃん!このお礼は必ずするよ。秋になったらお米をあげるね!」
五条くんちではお米を作っているのです。
 
 お米がないと冬を越せません。だから五条くんのところにはいろんな人が色々と持ってきてくれます。アキラさんは作務衣、ゼロ師は薪と炭、フミちゃんはトマト、という具合に。


 五条くんが秋には米を収穫するだろうと皆知ってるし、越冬のためには米やら薪やら必要ですし。皆、友人達を頼りにして、支え合って生きているわけです。これ、リアルタイム物々交換にはなっていませんね。いわゆる「信用取引」ってやつです。昔は「信用取引」が当たり前でした。口約束ですが、昔は紙もペンもPCもなかったし。よっぽど信頼関係があって親しい間柄ならそれでいいでしょうけれど。信用マーカーとして「貝殻」やら「石ころ」なんかを併用するわけです。東洋では貨幣として貝殻なんぞが使われていた、なんて話は皆さん聞いたことありますよね。
 
 そう、五条くんは「秋にお米をあげるね!」と言った相手が誰だったかを忘れないように、念のため貝殻とかを渡すわけです。「お米引換権」として。これはお互いの信頼関係のある限りにおいては、夕べのシジミ汁から取ったものでも構いません。五条くんはしずかちゃんにシジミの貝殻を5枚渡す。秋には米5合と引換する、という約束で。これが「お金」の元祖です。「債務」が発生したときにお金が発生します。お金とは元は「約束手形そのもの」なのです。


 さて五条くん。秋になって無事に米を収穫できました。でまあ、米の配達は大変だし、みんな取りに来てくれるわけです。しずかちゃんからシジミの貝殻5枚を受け取って米5合を渡す。五条くんはしずかちゃんとの約束を果たし、債務は消滅しました。


 さてこの戻ってきたシジミの貝殻。しずかちゃんが持っていたときはお米引換権という「貨幣」だったけれど。「五条くんちのお米引換権」なんて、五条くんにとって意味ないですよね。捨てちゃいましょう。


冒頭の「お金は使うと消滅する!」というのは、そういう意味です。発行者に戻ると本当にお金は意味を為さなくなるのです。消滅するのです。「約束手形」ですからね。当然です。


 さて、この五条くんとしずかちゃんのやりとりを、端で見ていたよそ者のこかげ氏。「そうかシジミの貝殻を持って行くと米になるのか」なんて思って自分ちのシジミ汁から貝殻を取り出し、五条くんの所に持っていき「お米をよこせ」と言ってもね。「誰だお前?」となってしまいます。これだと、五条くんちの貝殻だけが本物の「お金」でこかげ氏のは偽物、だから米が貰えない、という気もしますよね。しかしこれも一概には言えません。これはあくまで、五条くんとこかげ氏の間に信頼関係が無いことが問題です。


 こかげ氏は「貝殻」ではなく、何か使えそうなもの、役に立つものを持って行けばいいわけです。こかげ氏はお酒を造り、春に五条くんのところへお酒を持っていった。お酒が大好物な五条くんは喜んで受け取る。

「おお、わが心の友こかげよ!、秋には米を分け与えると約束しよう!」

と貝殻を渡す。こかげ氏は、実はこの貝殻を捨てちゃってもいい。秋になったら、自分ちのシジミ汁から貝殻を取り出して五条くんの所に持って行く。すると五条くんは「春にお酒をもらった、こかげ氏」ということで米を分けてくれる。「あのとき自分の渡した本物の貝殻を持ってきたか」なんてことはどうでもいいのです。「お前の貝殻は偽物だ!なんか違う気がするぞ!」なんっつって債務を踏み倒す方がマズイ。酒を貰ったのは事実です。「あいつ酒もらったくせに!酷い奴だ!」なんて評判になってしまったら元も子もありません。「信用」を失ってしまう。大事なのは「シジミの貝殻」ではなく皆との「信頼関係」なのですから。


てなわけで、
世界各地において、貨幣とは「信用」を可視化したもの、というのが発生源のようです。



 貨幣とは本来なんなのか、というのは、非常に大事な話です。この話って「建前」では無いのです。「いくら借金が増えてもちっとも日本の財政が破綻しない」のは、貨幣とは「所詮は夕べのシジミ汁」というフィクション性と無関係ではありません。ボチボチやっていきましょう。





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whatsmoney.hateblo.jp