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ユーモアの源泉

 最近はてなでチョー話題の例の案件に言及するとフーターズオフに参加する資格が得られるらしいので何か書こう、とも思ったがもう遅いか。まあ別に面白い話でもなかったしだいたい私は本場アメリカのフーターズに行ったことあるんだぞ、とプチ自慢。*1


delete-all.hatenablog.com


 本件、フミコフミオファンとしては困惑するほかなかった。上の記事を読んだところでは、なんか言及しておかないとやっぱマズイかなー、というような、けっこう腐心されたのかな、という印象を受けた。まあもし万が一、次の機会があったとしたなら、もう無理に不自由な記事は書かなくていいんじゃないかという気はした。やっぱり「自由」に書けないとね。

全くままならない、悲しきサラリーマン生活。せめてブログくらいは、自由をつくり、自在に書きたいよね。


 さて、いちばん違和感あるのは、やっぱり全体的な村祭り感。「はてな」っていう枠組み。なるほど確かに「Everything you’ve ever Dreamed」というブログは、はてなブログサービスを利用している。フミコさんは確かに、はてな界上位3Σっつーか、実質的総合的には恐らく現在トップの「はてなブロガー」ではある。10年くらいブログやってるらしいし、確かに立場上は「古参」ではある。けれど、そういう立場上の物言いはしてないし、「はてな」に対しても特に思い入れも無さそうだ。

 それゆえなのか、古参者には一目置かれているし、新参者にも人気がある。はてな外からも人気がある。っつーか、外のファンの方が多いのか。なんつーか「はてな」って枠組みとは関係が無い、もっと普遍的な、単なる?人気者・個人ブロガーでしかないというか。「はてなブロガー」って枠組みでとらまえるのが、なんかもう違う気がする。


 だから急に、古参者でありながら「村祭り」の「御輿」に担ぎ上げられても、なんか違和感が先立つというか困惑しかしないというか。取りあえず「はてなブログ」使ってるし、いちおう合わせておかないとアレかね、マズイのかね、という程度の対応だった気がした。これでいいんかね。こんなんでみんな面白いんかねえ。
 
「しかし……これはナンセンスだ!」



 私がフミコさんのブログを読んでいると、どうしても思い出してしまうのがマーク・トウェインだ。「トム・ソーヤーの冒険」「ハックルベリー・フィンの冒険」の作者ね。ガキの頃に読んだ。


彼の残した名言集がこちら。

matome.naver.jp

二つをご紹介。

ユーモアの源泉は歓びにあるのではなく、悲しみにある。天国にはユーモアはない。

人類は一つのとても効果的な武器をもっている。それは笑いだ。


天国にはユーモアがないなんて。ユーモア好きな人は天国には耐えられなさそう。退屈すぎて。フミコさんは地獄へ行くしかないね。ってそういう話ではなく。天国には悲しみがないからユーモアなんて必要ないんですね。
 
マーク・トウェインさんがそう言ってただけです。気にしないで下さい。
この人です。(責任転嫁)

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 ユーモアの源泉とは悲しみにある。これは真だよ。これみんな気付いてるのかな。すごく大事なことだよ。

 フミコさんのブログでは時折、結構キツイ毒が撒き散らされている。毒量はよくコントロールされてはいるものの、毒が強すぎてあまり賛同できないような記事も見掛ける。もし私が身近な友人であったならば「なんか近頃、毒が強すぎね?」とか言うかもしれない。まあ私はいち読者、いちファンに過ぎないので、そんな記事の時はブクマ・スター・ツイートをしない程度だ。

 ユーモアの源泉とは、悲しみと怒り。皮肉。暗闇。猛毒。怨念。やり過ぎれば、ますますカルマを背負っていくことになる。それをご本人もよくよく分かった上でわざとやってる。たとえ賛同できないような書きっぷりでも、そこには一縷の真実が託されている。ゆえに私は何も言うことが出来ない。そんなとき、フミコさんの口癖?を思い出す。

人と人とは分かり合えない、ということを分かり合うしかないのだ。


悲しいけど、これが現実なのよね。
そういった意味に於いては、そうだ。
私はフミコさんとは分かり合えている気がするのだ。



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自由をつくる 自在に生きる(読書感想) - 強靱化のすすめ
 

*1:一昨年仕事で行ったケンタッキー州の田舎町。まあ、単なるハンバーガー屋だった。禁酒法の名残のある地域だったせいかな。いわゆるWASPの街