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告白

 あれは去年の夏だった。いつもの通りに暑く、セミの声がうるさくて。古い列車のディーゼルエンジンの音。線路の軋む音。

 

 あの日、この場所で、思いがけずあの人に会った。尤も、思いがけなかったのは私の方だけで。あの人は私に会うためにここへ来たのだと言った。

 そう言われて私の胸は否応なく早鐘の如く鳴り響いた。告白されてしまったらどうしよう。もちろん答えは一つしかないのだけれど、でも久しぶりに会ってそんないきなり、そんなことになったらどうしよう。なんて。心の準備なんて出来ていなくて。有頂天のでありながら、でも逃げ出したくもあって。彼の言葉の続きを早く聞きたくて。はやる気持ちを抑えて。祈るような思いでいたら、いつの間にか自分の胸元で指を重ねて手を組んでいて、まさに彼に祈りを捧げるような格好になっていた。

 とうとう私は告白される。恋人が出来る日が来たんだって思った。しかもずっと憧れだったあの人。こうして記憶をまさぐっているだけで、あの時の思いがよみがえり、胸がキュンとなる。苦しくなる。

 

あの時の色づいた私は無意味なものになった。

あの日以来、あの人に会っていない。

 

「おねーさん、すいませーん」

「あ、はい、ただいま参りまーす」

 

 不意に呼ばれ、慌てて車内販売のワゴンを押していく。いけない、つい考え事をしてしまった。私は今、列車の車内販売をしているんだった。仕事に集中しなくちゃ。片田舎のローカル線とはいえ春の行楽シーズン、三両編成の列車の乗車率は七割ほど。普段よりもずっと多くのお客が乗っている。お昼時で弁当やお茶、ビールなどがよく売れる。この鉄道の稼ぎどころの一つだ。忙しく過ごしていると、列車は観光名所の最寄り駅に到着した。ここで観光客の大半が下車する。

 

 列車は再び走り出す。終点はもう少し先。車内はガラガラになり、少し落ち着く。車窓には美しいリアス式の海岸が広がる。崖っぷちを彩る青々とした新緑。ところどころに山桜がボチボチ咲いている。沖合には黒い軍艦が五隻ほど浮かんでいるのが見える。列車の進行方向と同じく、東の方へと向かっている。そのうちの一つはとても大きなものだった。去年の夏、彼を乗せていってしまった巨大なあの軍艦に、よく似ている気がした。文殊という名の軍艦に。

もしかしたら、あれに彼が乗っているんじゃないだろうか。ようやく帰ってきたんじゃないだろうか。そうだったらいいのに。そんな想像をしてしまう。尤も私は軍艦の事なんてよく知らないのだけれど。

 

 列車が終点の西舞鶴駅に到着する。ここでお昼休憩だ。私がこの後に乗務担当する列車まで、まだ三時間もある。それまで駅事務の手伝いやら折り返し列車の車内清掃やら。要するに雑用係。結構ヒマだ。

 

「初美ちゃんお疲れさん」駅事務室へ入ると、笑顔で駅長さんが私を労う。穏やかな人でなんだか安心する。私の父親より年上で六〇歳くらいの人。お昼のお弁当を食べながら、そういえば駅長さんて軍艦に詳しくなかったかしら、と思い立って尋ねてみた。

「今日、おっきい軍艦が見えたんですけど、あれって『文殊』ですかね」

「ああ、今日は大きな軍艦が入ってくるみたいだね。でも艦名なんてわからないよ」

と残念な返事。駅長さんが軍艦に詳しい、なんて私のご都合主義的な思いつきだったみたいだ。

「初美ちゃん、軍艦なんて気になるの」

と逆に質問されてしまう。

「いえ、別にそういう訳じゃ。去年、東舞鶴の軍港から文殊っていう大きな軍艦が国連平和維持軍に出発していったから、それが帰ってきたのかな、なんて」

「ああそうか、初美ちゃん、彼氏が平和維持軍に出征しちゃったんだったっけ……」

どこでそんな話を聞いたんだろう。

「別に、彼氏じゃないです。友達です」

「行ってみたら?軍港まで」駅長さんが思いついたように言う。

「でもまだ勤務中ですし、午後の列車乗務もありますし……」

さすがにそれはまずい気がする。

「どうせ今日はヒマだし、軍港まで行って帰ってくるだけなら一時間もあれば足りるでしょ。私もなんだか今日入ってくる軍艦の名前が気になってきたし、ちょっと見てきてくれないかな」

 

 

  駅長さん、気を利かせてくれたつもりなのだろうけど。あんなふうに言われたら行かない訳にはいかないよね。隣の駅、軍港のある東舞鶴へと向かう。私の乗務しているローカル線から乗り換えて一つ先だ。駅へ降り立つと、足早に軍港へと向かう。今日は良い天気。水路沿いの桜並木を歩いていくと風に吹かれて桜吹雪が舞う。水面には舞い落ちた白い花びらが浮かび、ゆったりと流れゆく。その向こう側には鯉がでん、と泳いでいるのが見える。

 

 もしかしたら今日、彼に会えるかも知れない。そんな予感がする。自然と足が速くなった。桜並木の路地を抜け、軍港が近付く。高くそびえ立つ金網が現れ、向こう側、すぐそこに黒く巨大な艦影が見えた。これが文殊だろうか。既に接岸していて、海軍桟橋へとタラップが伸びている。

 

たまらず私は走り出す。金網に沿って走り続け、ゲートまでたどり着いた。門番の兵隊さんに息絶え絶えになりながら尋ねた。

 

「今さっき入ってきた軍艦は文殊ですか」

 

「あの、どちら様でしょうか」

と意地悪な回答。

「友達が、去年、国連平和維持軍に参加して、それで」

ああもどかしい。でも通じた。

「ああ、そういうことでしたか。残念ですが今日入ってきたのは文殊ではありませんよ。確かに形は似ていますけれど、外国籍の艦船です。文殊はもっと大きいですし。あそこ、見て下さい」

そう言って彼は艦首の錨のあたりを指差した。アラビア文字のようなものが書かれている。それが艦名ということらしい。日本のものでないことは間違いがない。

今回は避難民の一時受け入れだと彼は説明した。確かに艦のタラップからぞくぞく降りてくる人々はどう見ても軍人ではなかったし、日本人でもなかった。多くは褐色の肌をしていた。

 

「気休めかも知れませんが、文殊でしたら遅くとも今年の夏までにはいったん戻って来ると思います。機密事項なのであまり詳しくお伝えすることはできないのですが」

申し訳なさそうに彼は言った。

 

 

ああ糠喜び。文殊でもないし、彼もいない。無駄足だった。

がっくりとうなだれ、帰る元気も失って、とぼとぼと海浜公園へと向かう。少し休んでいこう。

 

 

 だいたい、恋人でもないし告白された訳でもないし。私が勝手にそう期待しただけ。相も変わらず片思いのままなのだ。彼は確かに私の勤務している列車に乗ってきたけれど。それはただ単に列車で移動したかっただけで。車内で私を見掛けて、ただ何となく、そう言えばこんなヤツもいたなあ、なんて思い出しただけだったのかも知れない。

 

 ああ、なんと恋とは儚く切ないものなのだろう。私の気持ちを知っていて「会いに来た」だなんて言ったなら許せないけれど、きっとそんなワケでもない。ただの冗談だったのだろう。あの人は何も分かってはいないのだ。でも……

こんな宙ぶらりんな気持ちで、あとどれほど過ごさねばならないのだろうか。

 

 

 海浜公園にたどり着くと、岸壁に程近い桜並木に褐色の少女が立っていた。中学生くらいの背格好に見える。桜吹雪舞う中で、物珍しそうに桜の木を見上げていた。今日やってきた難民の子だろうか。あんな少女が基地から一人で出歩くのも不自然な気がする。

 

なんだか気になって私は彼女のそばへと歩いて行った。

すると少女が私に話しかけてきた。

「これ桜か。初めて、見た。すごい。きれい」

嬉しそうに、彼女は片言の日本語を話す。少々驚いた。

「まあ、日本語が分かるの」

「ちょっとだけ。日本の兵隊さんに、教わったあるよ」

「あなた避難民の子でしょ?大丈夫?迷子になっちゃったの?」

少女は不服そうに反論してきた。

「違うよ。オレ、兵隊。国連平和維持軍。今日、休みの日」

信じられず、面食らって問い返す。

「そんな訳ないでしょ。だってあなた子供じゃない」

「オレ、一六歳。もう三年、兵隊やってるよ」

「そんな……」

 

 その話が本当なら、この子は一三歳の時から正規軍の兵隊をやっているということになる。嘘をついている訳でもないようだ。不憫に思えたが、それは自分が日本にいるからそう思うだけで。外国の常識とは、日本とは異なる、ということだろうか。返す言葉もなく、選ぶべき言葉も見つからず。

 

 

「オレ、観光列車、乗りたい。きれいな景色、見えるやつ。ここの名物、なんだろ」

私が黙っていたら少女は唐突にそう言った。

「まあ、よくそんなこと知ってるね。実は私、その列車の観光車掌やってるのよ」

「おお、マジか!まさか、アンタが、荒川サンの恋人か?」

 思いがけず少女の口から彼の名が発せられて、心臓が飛び出そうな程どきっとする。しかも恋人だなんて。私は焦って問い返した。

「荒川って、荒川亮太さん?あなた、荒川さんのこと知ってるの?彼に会ったの?」

「荒川サン、トモダチ。日本語教わったよ。恋人が、観光列車の人って、言ってた」

少女はにやにやしながらそんなことを言い出した。

「恋人って……荒川さんが、そう言ったの?ホントに?」

にわかには信じられなかった。

 

「ってことはアンタが、えと、初美サンか?あれ、初美サン、泣いてる?どうした?」

「ううん、なんでもないよ。そろそろ私、列車に戻らないと。ああそうだ、早速列車に乗ってみる?私が観光案内してあげるよ」

 

「乗る!」

 

桜吹雪の舞う中、少女は嬉しそうに私の手を取り、歩き出した。

「えと、駅はどっちだ?」

 

 

-了-

 

(約 3800字)

 

 

 

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※ 東舞鶴にて 補給艦 ましゅう

 

 

 

何とか間に合った。久々、短編小説の集いに参加。

なんだか黒歴史になりそうな予感もしますが……もう時間もないので出稿。

 

 

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お察しの方はその通り、第10回の続編です。

 

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