レイニー レイニー

 六月末に短編小説の集い「のべらっくす」の企画参加で、雨のレースを題材にした短編小説を書きました。


fnoithunder.hatenablog.com


で、つくづく思いだしたのです。

そういや俺ってバイクとかレースとか大好きだったんだなあって。何を今更って思われるかも知れませんけど。40歳過ぎてから、あんまりバイクも乗らなくなってきたしさ。

 なんか久々に、押し入れの奥の方にしまってあったおもちゃ箱を引っ張り出してきた感じなのです。どこに何をしまってたか大体は覚えていたので、すぐに色々なことがよみがえってきました。


 私がバイクに乗り始めたのは18歳の時。当時ではありがちな話で、免許取ってバイクや車に乗るようになると雑誌なんかの影響でレースに興味を持ったりするっていうパターン。1989年からはいよいよ日本でも世界GPがTV放映されるようになって、いっつも見ていました。TV大阪系で、日曜日というか月曜未明の0:50から1時間。関東ではTV東京で放映しててね。録画はしてたけど、気になって眠れなくて夜中起き出して見てしまったり。見てしまうと興奮してますます眠れなくて。GP500中継のあった月曜はいつも寝不足でね-。大変でしたよ。


 そんなわけで最近は、Youtubeやニコ動で当時の映像を探してみたり。随分と昔に買ったレースのDVDを探してきて観てみたり。その他、当時のレースのDVDをアマゾンで大人買いしてみたり。



で、Rainy Raineyですよ。

どこかで見たような画像。

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Wayne Rainey & YAMAHA YZR500

 1990年、ベルギー。雨のスパ・フランコルシャンサーキット。彼の名はウェイン・レイニー(Wayne Rainey)。アメリカはカリフォルニア出身。この画像、一年前からツイッターアイコンなので、見覚えある方もいらっしゃいますね。レイニーがGP500に参戦したのは1988~1993の6年間ですが、私は1990年型、ゼッケン2の時のYZR500とウェイン・レイニーが好きなのです。


ベルギーでのことではありませんが(ある意味)彼の名言。

「明日のレースが雨だろうが晴れだろうが、明日はレイニー・デイさ」

もちろんRAINEY DAY、俺が勝つぜ、って意味ですよ。

誰ですかアメリカンオヤジジョークとか言ってる人は!?


そんなわけで、敢えて雨のレースの画像を使っております。

この年の彼は本当に強かった。鈴鹿の200Rをウイリーしながら猛然とダッシュするレイニー&YZR。ラグナセカコークスクリューを駆け下りていくレイニー&YZR。本当に美しかった。晴れだろうが雨だろうが速かった。強かった。

 この年、全15戦で優勝7回2位5回。圧倒的な強さでワールドチャンピオンを獲得。以後3年連続タイトル獲得。当時「世界最強のライダー」と言われる。


 私が尊敬する人物って色々な人が思い浮かぶのですけれど、唯一、一人だけ、挙げるとするならばウェイン・レイニーをおいて他にありません。今にして思うと、私はバイクレースが好きだった、というよりもウェイン・レイニーが好きだった、と言った方が正確かも知れません。

常にベストを尽くす。チャレンジし続ける。決して諦めない。彼の強靭さ、直向きさ、「生き様」に憧れていたのです。


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当然、このDVDは昔から持ってた。

ウェイン・レイニー Wayne Rainey~不屈のアメリカン・スピリット~ [DVD]


そしてこちらも必須。レイニーの最大最速のライバル!
スズキRGV-Γを駆るケビン・シュワンツ。(Kevin Schwantz)

ケビン・シュワンツ物語 [DVD]


共に1988年からGPにフルエントリー。
この時代の最強がレイニー、最速がシュワンツ、で間違いない。


1989 鈴鹿決戦 [DVD]


スポンサーが、1988~89はヤマハLucky Strike、スズキ=PEPSI、1990以降はヤマハ=Marlboro、スズキ=Lucky Strikeとなっているので、バイクのカラーが変わっていますのでご注意を。


 ちなみに1990年前後ってーと、「バリバリ伝説」ワールドGP編の連載やってたころ。あれの舞台設定は1988年で、主人公「巨摩 郡」のライバルはLucky Strike Roberts YAMAHA のルーキー「ラルフ・アンダーソン」ってヤツでしたが、このキング・ケニーロバーツの愛弟子、という設定はウェイン・レイニーと同じです。


しかしまあ、当時のライダーをバリバリ伝説に準えるなら、

ケビン・シュワンツ = グン
ウェイン・レイニー = ヒデヨシ

って感じだと思います。


 尤も、作者のしげの秀一さんは専らホンダ党のようだし、イメージされていたライダーはレイニー/シュワンツより二世代前の主役、ホンダのフレディ・スペンサーなのは間違いないです。そしてライバルはヤマハケニー・ロバーツ



 1990年にウェイン・レイニーがチャンピオンを獲得してから既に四半世紀。当時29歳だった彼は、もう54歳。いったい今はどうしているのだろう。


そんな訳でこんな本も買ってしまった。

RACERS Vol.23 Marlboro (SAN-EI MOOK)

RACERS Vol.23 Marlboro (SAN-EI MOOK)


この本のインタビューによると、彼はヤマハでの6年間のキャリアのうち、1990年型のYZRが最も気に入っているそうだ。

以下、上の雑誌からスキャンした画像。

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1990年、1991年型YZR500はチャンピオン獲得記念と感謝の意をこめて、ヤマハからレイニーに寄贈され、今は彼の自宅に飾られている。


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 写真を見ての通り、彼は半身不随、車いすです。1993年の終盤、WGP4連覇を目指してのレース中の事故によります。第12戦、イタリアGPミザノサーキット。直前の第11戦チェコGPで優勝し、ついにライバルのシュワンツからポイントリーダの座を奪取していた矢先のこと。

 ミザノでの事故の時、彼はランキングトップ、レースでもトップ疾走中のことでした。
そんな状況で、突如彼のレースキャリアは終わった。


 この時のTV中継を私は見ていました。

 レースを見ていて非常にイヤな予感がしていた。コケそうな予感がした。非常に危険な状態であると思った。当時の私は何を感じ取っていたのだろう。今になって当時のレース映像を見ても、特に「無茶な走り」をしているようにも見えない。ただ、絶好調だったカダローラ、ファステストラップをマークしながら追い上げていたライバルシュワンツに対し、レイニーはそれを更に上回るペースでジリジリと引き離しに掛かっていた。これはレイニーのパターンではない。速過ぎる、どこか無理をしている、と。何が何でも、絶対に勝つのだと、全てを賭けた走りに見えたのです。


 1993年は、ついにレイニーの宿敵ケビン・シュワンツが初のタイトル獲得。しかし、アメリカ国内選手権時代からずっと、いつも隣にいた、尊敬すべき、憎ったらしいライバル、そして目標でもあったレイニーを突如喪失してしまったシュワンツは、モチベーションを失ってしまう。ウェインのケガが治るんだったらタイトルなんていらない、とまで言う。翌1994年シーズンはなんとか闘いきったものの、タイトル防衛ならず。1995年のシーズン第3戦、鈴鹿を最後に引退を決意。まだ30歳でした。


私も、ぽっかり心に穴が空いてしまった感じでした。
 1994年以降は、私も割とフツーなレースファンになってしまったかな。夜中1時過ぎにTVを見ることは無くなった。録画オンリーになった。そして、シュワンツが引退すると共に、レース自体あまり見なくなった。あまりにもホンダが速過ぎてレース自体がつまらなくなった、というのもあります。1992年以降はホンダの強さが際立ってくるのです。レイニーとシュワンツがあまりに凄かったのでヤマハやスズキでもなんとか勝てた感じでした。


後書き

 うーん、元々は例の、短編小説の集い「のべらっくす」一周年特別企画記事、のつもりで書き始めたのですが、単なるおっさんの思い出話になってしまいました。「のべらっくす」は殆ど関係ない話になってしまったので、リンク張るのはやめておこう。また改めて書きます。はて、いったいなんでヤマハ党の私はホンダライダーの小説を書いたのだろう。



※ レイニー&シュワンツの凄さが分かる動画。歴史に残る名勝負、1989年の鈴鹿

 前年、前々年、前々々々年チャンピオン、ローソン、ガードナー、スペンサーが全くついていけなかったという、まさに「バリバリ伝説」な感じ。序盤は静かな展開ですが中盤以降はマジパねえっす。14週目がハイライト。是非見てみて下さい!(全部で20分くらいのダイジェスト版です)


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