評価経済社会とは何だろうか
とても苦手な読書感想文……になってないな。
イマイチまとまっていません。
賛同者も多ければアンチも多いという。今年始めごろ、はてな村でも侃侃諤諤だった例のやつ。ようやく読みました。読んでいない人、岡田斗司夫さんを知らない人には、よく分からない話になってしまうかも。あしからずご了承下さいませ。
- 作者: 岡田斗司夫
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2011/02/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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読んでみてなるほど、これを受け付けない人の気持ちも分かった気がします。
どう書くか、こりゃ難しいな。
以下、双方とも、どうか落ち着いて読んでくださいませ。
とりあえず、否定派への弁明
前半は面白かった。後半はだんだん変な話が増えてきて、どうなんだそれは?と思うことも多数。それでも岡田さんなりの解釈、理由付けが必ず書いてありますので、まあまあ、そういう考え方もありっちゃあ、ありなのかなと。これを荒唐無稽だ、と言う人がいるのは不思議じゃあない。っていうか、私もそう思うところは結構ありました。
前半の、歴史や経済、文化の話にしたって、その辺をより詳しく勉強している人からすると、話が雑だとか解釈が恣意的だとか思うところもありそう。
賛同者の中には、ご都合主義で解釈したり、或いは、ろくに読まず断片だけ見て、明らかにヘンなこと言っている人もいる気がする。それゆえに「いやそれ全然違うよ。だから岡田は有害なんだよ」と言う人もいらっしゃるかと。
この辺、私なりの解釈を申しあげますと、この本の冒頭で、
「昔の人が考えた『未来像』ってなんかヘンだよね」
って話が実例付きで紹介されていまして、これ、岡田さんの真意を考えると、主に後半で説明される「評価経済社会」について、
「岡田さんが考えた『未来像』もなんかヘンかもね」
というような想像力が働くはずでしょ。そういう仕組みになってる(と思いますよ)。そういう想像力が働いていない人は、岡田さんの「養分」にされちゃうかもしれないね。よくできてますよ。
確かにそんなに強力な理論立てではないし、厳密にツッコミ入れていくと色々出てくるでしょう。でも学術書じゃないんだし、そこはきっと重要じゃない。批判のための批判になってしまっては重要なことを見逃してしまうかもしれない。私は、評価経済社会を「くだらね~」と切って捨ててしまうのはもったいない、と思っています。
文明 ≠ 文化
本書では初っ端から、今、パラダイムシフトが起きている!という話が出てきます。これは私も全くその通りだと思っています。ところが「次なるパラダイムはネット世界だ」なんて話になり、いきなりズッコケざるを得なかった、のですが、よくよく読めば「文明論的ブレイクスルー」の話をしているわけではない、事が分かるので、だったら、まあ、いいか、と思いました。
ここで言う「文明」とは 科学技術や医療の進歩のことです。
「文明」と「文化」とは全く異なる概念。
「文明」= 科学技術、医学など
「文化」= 伝統、芸能、文学、哲学、思想
というようなニュアンスです。
「文明」信仰の時代が終わり、「文化」の時代へシフトする。否応なく「文化」について個人レベルで模索せざるを得ない時代になる。ある意味で14~17世紀辺りのルネッサンス期のような。決して、情報技術という「文明」が進歩するおかげで「文化」が発達するのだ、という話ではないよ。
岡田さんの提唱する「評価経済社会」なるものが、殺伐とした、厳しいものである可能性については充分に明示してあるし、大筋としては「ルネッサンス的な混沌や停滞が今後数百年続くだろう」って話なんだから、それはその通りだと思うし。
そこをちゃんと見ないで賛同している(らしい)人がいるのは確かだと思う。
なんでだろう。
パラダイムシフトの誤謬
なんか「情報社会」を、「現パラダイムの停滞」に対する「ブレイクスルー」みたいに考えちゃってる人いません?それじゃあ現代文明そのまんまの延長であって「シフト」とは違うし。なんか安直な「ポストモダン」みたいな話になっていません?「パラダイムシフト」の意味わかっていますか?私の解釈が間違ってますか?
いやまあ、そういう誤謬を生むような書き方になっている部分は確かにあって、そこは確かにどうかと思うけど、でもちゃんと疑念を持てるようにヒントは書いてあるし。これ、論説補強のための方弁だったり、まあぶっちゃけ、気休め、慰めだったり。そういう所にばかり着目してしまうと確実に間違うのではないでしょうか。否定派は(多分)そこを問題視している。
私もひとつ、ツッこんでおきたいのは「Googleがぼくらの仕事を奪っていく」の件で、これはどうかと思いました。これは一部に留まるのではないかと。GoogleはFREEexとは違う。ボランティアではなく、広告で食ってる。Googleにカネを払っているのは、TOYOTAやHONDA、LENOVO、HP、日清、資生堂 などなどなど。何のことはない、TVやマスコミの「既得権」がGoogleなどのネット企業やセミプロブロガーのお小遣いに移転されてるって話で。Googleは「ぼくたち」じゃなくて、「既存マスコミ」の仕事を奪っている。いやこれ、厳密に言ったら確かに岡田さんの話も当たっている部分はあるんですよ。でもそれはメインじゃない。オマケです。
ご本人も、それを分かってて言ってる。言い方は悪いけれど、この辺、疑念を持ちながら読むと、ちゃんと逃げてるのが分かる。断定的な書き方はしていないし、現象のひとつとしてうまくレトリックとして利用しつつ有耶無耶にしてるっていうね。
今、主に「ぼくらの仕事を奪っている」のはグローバリズムと構造改革で、これは岡田さんのロジックにも組み込まれています。でも、これだって仕事が「海外の低賃金労働者に奪われてる」って話で、仕事そのものが減ってる訳じゃない。むしろ増えてる。仕事の「価値」は減らされてるけどね。
この辺は本当に気をつけた方がいい。今はシフトの過渡期だから、新旧双方のパラダイムロジックが出てくるのは当然なのですが、いったいどちらの話をしているのか、よく見極めましょう。
今後も、本当にぼくらの「仕事」自体をを減らしていくのは技術革新による生産性向上であって、それは古いパラダイムそのものです。情報社会の「技術革新」そのものに期待してしまったら、それは古いパラダイムに期待するってことになりますよ。それじゃあパラダイムシフトじゃなくてパラダイムパラドクスですぞ。
古いパラダイムの効用は限界に到達し、文明信仰は価値を失っていく。それが評価経済社会ではありませんでしたか?ここ、もう一度よ~く考えてみてください。
私が思うには
ここまで読んでいただいた方は、もうお分かりでしょう。私は「ネット世界」が、岡田さんの言うような「新たなる産業革命的なもの」とは、考えていません。全く逆です。一八世紀に始まった文明信仰の最後の成果物として、ぼくたちはその最後の恩恵を享受している。古いパラダイムの完成であり、置き土産。広大なる虚無空間。ネットとは、決して新しいパラダイムの中で生まれたものではない。
岡田さんも実のところ、本当は、内心そう思っていて、方弁で言っているだけ、かもしれませんよ。どうでしょうか。
今後、文明の進歩は停滞し、重要視されなくなる。でも、既存の「文明」が消えて無くなる訳じゃあない。エネルギーの問題は今後も常につきまとう。ぼくらは相も変わらず、生きていくためにカロリーを消費し続ける。文明の成果を享受するために、その数十倍ものカロリーを消費する。明かりをつけ夜中に本を読みネットしていても大変なカロリーを消費している。ハンバーガーを食べたなら、その材料の肉や小麦は、アメリカやオーストラリアから大量の原油を消費しながらやってくる。パンや食肉の工場で電気を消費し、配送でガソリンを消費し。何だってそう。リアルな世界を支えているのはカロリーであり、それを運用してくれる幾多の企業、労働者がいて、社会は成り立っている。
そういう現代文明は、パラダイムシフトしたってそのままだし、逆戻りもしない。
特に今後の数十年間は、総人口の減少よりも生産年齢人口の減少の方が速いので、しばらくはむしろ、ぼくらの仕事は増えてしまう可能性が高い。
次なる「文明論的ブレイクスルー」は24世紀です。(適当)
今しばらくお待ち下さい。
まとめ
本当に「自分のアタマで考えよう」という気概のある人には、多くのヒントが満載の、思考を鍛えられる良書だと思います。しかし、そういう気概が不足しているとマズイ。自分のアタマで考えたつもりになって、実は岡田さんの考えをただなぞり補強するだけ、に陥ってしまう、かもよ。
新しいパラダイムから目を背け、気付かぬ振りをし、古いパラダイムしがみついて今まで通りにやってたら、時代に取り残され、取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。そういう気付きはとても大事です。でも、かといって、パラダイムシフトの意味を理解せず、ヘンに先読みして、とんちんかんな妄想に陥ってしまったら本末転倒です。
未来について検討してみるのはいいことだと思いますが、それはリアリティのあるものですか。「攻殻機動隊」とか「マトリクス」とか「ドラえもん」とかと変わらない、なんてことはありませんか。新旧パラダイムを区別できていますか。そのアイデアは、古いパラダイムから本当にシフトできていますか?