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現実逃避

 お久しぶりです。
前回(10/17)・前々回(10/14)と、政治・経済ネタを扱う上での考え方について書きました。これ、ブログに限らず、現実世界で議論する場合でも同様の心構えが必要と思っています。
 

 私は今年の1月から本ブログを始めましたが、以降現実では、政治・経済の話を徐々にしなくなってきました。話がそういう方向に行っても、早々に切り上げてしまいます。どうせ右派も左派も私の話などマトモに聞きやしない。たとえ論破したとしても相手が納得するわけでも無し。どうしても声を荒らげてしまうので、相手も不愉快になるだろうし。どっちにしろお互いにフラストレーションが溜まるだけ。もうこのテの話をするのはやめよう。そう心掛けるようになりました。

 ネットで自分の好きなよう書き散らかして、ここを気に入ってくれた人にだけ読んでもらえればいい。現実でけんか腰になって誰にも伝わらない話をするよりよっぽど有意義だ。学んだことや考えたことを文章化することによって、自分なりに理解も深まるし。


……しかし、これって議論がヘタな言い訳なのでしょうか。
ある意味現実逃避なんでしょうかね。
まあ、本当に全く話が通じないのは「真の改革派」の人だけなんですけどね。

ところが

 去る10/18、なんかの拍子に政治経済の話題になってしまいまして。しまいには「最新の経済学」とやらが出てきて。「経済学」についての私の認識は前々回に書いたとおり『相当馬鹿馬鹿しい』ものです。実際、本当に馬鹿馬鹿しい話でした。心底ウンザリしました。

 あー、思い出しただけでもムカムカしてくるぞ。なんであんな話をさも有意な事のように捉えるのだろう。改革派は頭オカシイぞ。まあつまり、自称「保守派」の私が「改革派」の人とリアルで議論をした、という話です。(以後、「改革者」と呼びます)
 「経世済民」の話は有意と思いますし、本ブログのテーマでもあります。しかし現代の経済学は「経世済民」と掛け離れています。なんの役にも立っていない。
 
 その議論中、アメリカのクルーグマン教授の話や、1997年の消費増税失敗の歴史的経緯から鑑みて「消費税10%で日本オワタ」という話をされた人がいたのですが、対して改革者は「歴史とかバカジャネーノ!?」ってな感じのこと言っていました。
 私は歴史から学ぶ事は大事だと考えています。本ブログはそういう趣旨です。しかしまあ、真の改革者にとって歴史ほど馬鹿馬鹿しくて邪魔くさいものはありません。
 
 あの場に居合わせた方で、これを読んでいる方もいらっしゃるでしょうか。いつも生意気な態度ですみません。『非伝統的な金融緩和』、いわゆる異次元緩和とか『国債市場』とか『国債金利』とか『マネーサプライ』とか、「経済学」には疎いとか興味ない人には、話が解りづらかったでしょう。専門的な用語が出てきたので、なにやら難しそうに感じたかも知れませんが、別に難しい話はしていません。非常に単純な話。改革者にとっては有意なことらしいですが。とても馬鹿馬鹿しい話。なので、くっだらね~、という態度で話をしてしまい、相当な怒りを買ってしまいました。
 
 「馬鹿馬鹿しいから書かない、話さない」では、意図が伝わらないですね。なにがどう馬鹿馬鹿しかったのか、ちゃんと書かないとなあ、と思ったのですが。まさに10/26の新日本経済新聞の記事で、三橋貴明氏がこの話を取り上げているぞ!なのでここを見てください。
 
[三橋実況中継]国債マイナス金利 | 三橋貴明の「新」日本経済新聞
 
……これは、困りましたねぇ……
以下、引用。

語る言葉がなかなか見当たりません。とりあえず、「真面目に考えて下さいよ、お願いですから」としか言いようがないわけです。

 
なんか、三橋さんもアホらしくて疲れてしまったようですね。私としても「改革派はもうちょっと現実を見て下さいよ、お願いですから」としか言いようがない。
 
 まあ、三橋さんもこう言っていることだし?せっかくなので私なりに、馬鹿馬鹿しい話が皆様に伝わるようにここでちゃんと書いてみましょう。馬鹿馬鹿しい話は以下の3つ。
 
1.異次元の金融緩和
2.国債金利
3.日本はインフレになっているのか

 
今回は「1.異次元の金融緩和」の話。「金融緩和」それ自体が馬鹿馬鹿しいのではなく、馬鹿馬鹿しい議論が多い、ということですので、念のため。

例えば

 パチンコ屋で考えてみしょう。最近どうも客の入りが悪い。来店した客もあんまり長時間遊んでくれない。売上げは減る一方。台もいっぱい空いてしまっている。当然パチンコ玉も余ってしまっている。一体どうすればお客さんがいっぱい来て、いっぱい遊んでくれるでしょうか?
 
 
「パチンコ玉を増やせばいいじゃん!」

というのが「量的金融緩和」です。
 
 
 日銀は事実上、無尽蔵に「パチンコ玉」を持っています。いくらでも供給できます。玉の数を2倍にしてみよう、というのが黒田総裁の異次元緩和です。
 
 パチンコ玉がいっぱい余っている、と「合理的経済主体」や「経済人」が認識することで、パチンコ玉の価値が下がるのではなかろうか、という「インフレ期待」が形成され、皆がパチンコを始める。
  
 これは「過度に単純化された議論」ではあります。でも、量的金融緩和さえすれば充分なのだ、という人の言っていることは、本当にこれだけです。そんな単純な話なの?ホントにそれだけでいいの?と聞いても「いいんです」と言っています。マネタリーベースが増えるんだからマネーサプライは増えるに決まっているじゃん。みたいなことを言っている人はいます。例えば上念司氏はもう少し色々言っていますが、「経済学」をよく知らない「普通の人」に対してはこの程度の説明をしています。(「お金」が足りていないから増やせばいい、という話)
 
 さあ、何を言っているのか解りましたか?なるほどー!と思った人はいますか!? 
 
 パチンコ屋が不景気でピンチになったらパチンコ玉の数を通常の二倍に増やせばいいのです!カンタンですね!寿司屋が不景気でピンチになったら生け簀の魚を通常の二倍に増やせばいいのです!
 
 商品の場合、在庫はリスクになるから「魚の量的緩和」と「お金の量的緩和」が同じ、というのは語弊がありますが、アイデアとしては同じです。これが「最新の経済学」だ!
 
・過度に単純化® された用語解説
マネタリーベース = 店が保有するパチンコ玉の数
マネーサプライ = パチンコ台の中を回って出入りしている通算玉数
 
 
パチンコ玉を増やせばパチンコ屋が儲かる!という議論。日銀にできるのは玉数をコントロールすること、それだけです。単純なリフレ論者の話はこの程度。先日私が遭遇した話もこの程度です。どうでしょう。日本経済はこれでよさそうですか。納得いきましたでしょうか?

 「量的緩和だけ」で喜んでいる人は「パチンコ好きの人」ではなく「パチンコ玉が好きな人」です。玉にしか興味のない人。

想定問答

 ・「お金」と「パチンコ玉」「生け簀の魚」は違うだろ。お金はともかく、パチンコ玉や魚をため込んだり眺めたりして喜んでいるヤツなどいるものか!
・「パチンコ玉」「魚」を持つのと「お金」を持つのでは意味が全然違うだろ!
 
 という反論が真っ先に考えられますね。そのとおりだと思うのですが……「最新の経済学」はこの違いを説明していません。ので却下。新古典派経済学の「貨幣中立の原則」では「貨幣」それ自体には意味がない、というのが原則です。これ、理論的には正しいのです。無闇にカネをため込むなど「合理的経済主体」としてあるまじき行為。ちゃんと「最新の経済学」に従って合理的に行動して下さい。っていう気もしますが。効用最大化の関数式は個々人固有のもので問題なかったんじゃないかな?
 
 ああ、ちなみに「合理的経済主体」とか「経済人」というのは、これを読んでいるそこのあなた!のことです。最新の経済学では人は皆、合理的経済人です。
 
 
 この辺、ちゃんと研究されているのはミンスキー教授(Hymen Philip Minsky)くらいではないでしょうか。(「ミンスキーモメント」でググってみましょう)
 
 
「最新の経済学」の話題になったら、皆さんこういう↑ノリで話して下さいね。でないと私は耐えられません。
 
 
 
 リフレ派でも、例えば本田悦朗氏だったらこんな単純な話ではありませんけどね。「財政」の重要性の話も出てきます。
 
 
次回は(多分)国債金利の話。ついにマイナスになったって話が出てきましたので、この辺の話。
 
 
通常の三倍の量的スピード緩和。

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