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ブログでは政治に言及しない方がいい?【後編】

保守思想

 前回の続きです。未見の方はこちらを先にご覧下さい。
 

 
 

プロの報道?

 マスコミは色々なことを声高に主張し、政治に口出ししている。「国民的議論」が必要であると。「大人」達は、皆が政治に関心を持つべきだ、と言う。「今時の若い人は政治に無関心すぎる」とか、意識の高い「大人」達は、いつもそう嘆いている。しかし我々は政治のド素人だ。本当に「我々ド素人が政治に関心を持つべき」なのだろうか。
 
 だいたい、政治ニュースを「職業」としてやっている連中は本当に「政治のプロ」と言えるレベルなのだろうか。民主党のいかがわしさを見逃し、散々政権交代を煽っていた奴ら。そんな奴らの話を真に受け、民主党に大いに期待した、政治に大いに関心のある「大人」達。本当に政治が判っているとは到底思えない。民主党に期待した人々は、反省した上で問題の根本がどこにあったのか、理解したのだろうか。

プロの政治家?

 さて、ここで非常におかしなことに気付く。そもそも政治のプロであるはずの国会議員はなんだ。自民党だろうが民主党だろうが、プロはプロだろう。プロだったら政権与党になればそれなりの政権運営が出来て当たり前のはずだ。所詮は政治じゃなく野党のプロなのか。だったら政権交代など主張するな。とまあいうわけで、民主党に期待した人々の言い分も解らないではないが。そんな事にも気付かなかったのか。
 
 そう、実は国会議員がそもそも「政治のプロ」では無いのだ。強いて言うなら「選挙のプロ」はいるようだが。「民選議員」とは政治の素人なのだ。もちろんプロ意識を持って勉強されている方もたくさんいらっしゃるだろうが、でも選挙で勝たなければ議員にはなれない。選挙で勝つには選挙民に気に入ってもらわなければならない。結局はそれこそ「政治のド素人である選挙民に気に入ってもらうにはどうすればいいのか」ってコトが最も重要なので、民選議員とは、実際の「政治」とはかけ離れた基準で選ばれているのだ。

 それが「民主主義」の大原則であり、正体でなのである。
 
……そろそろ「そんなことは誰でも知っている!」とか突っ込まれそうですね。
 

民主主義の問題

 そんな訳で、日本で言う「衆議院」とは、基本的には政治の素人集団です。なので、別に「参議院」なるものがあって、じゃあ、こちらは政治のプロで構成しましょうと。二院制とはそういう制度です。他国での呼び名は「上院」「元老院」「貴族院」などなど。文字通り「有識者」「長老」「貴族」など、歴史とか政治とか文化とかを深く理解している人で構成される、ことになっています。……えー、そうだったの?「政治のプロ」とかいう割には、元スポーツ選手、元アナウンサー、元プロレスラー、元TVタレント、元グラビアアイドル……。

 むしろ参議院のほうが政治のド素人集団なのでは…… 。・゚・(ノД`)・゚・。
 

現代の政治システム

 それぞれの行政セクションにいる官僚や役人はプロですから、まあ一応行政は機能しているわけですが。そこに民選の素人がやってきて「政治主導だ」とか言われても。なんも出来ないのは当たり前。政治主導をはき違えてはいけません。
 
 フランス革命で掲げられた「理想」とは素晴らしいものかも知れませんが、これが現実です。今の政治のあり方とは、フランス革命の「理想」を体現したものです。現代の「民主主義」とは「素人が政治をやらなければならない」システムなのです。これは日本が特別オカシイ訳ではない。欧だろうが米だろうが全く同じ問題を抱えています。ベースにあるのはプロテスタンティズム。あちらから「輸入」したものですから、当然と言えば当然。
 
 民主主義とはそういう致命的欠陥を持ったシステムなのだ、ということをいい加減知るべきです。って二百年以上前にバーク先生が言ってました!

虚しき対策

 そういう意味で、素人である選挙民を啓蒙し、なんとか政治のレベルアップを図ろう、というマスコミの目論見は、まあ一応、理にかなったものではあるのですが。前回記事の冒頭で示したとおり、政治の仕事とはそれこそ無数にあります。一日何十分かTVニュースや新聞見たりするくらいでそれらを全て理解するなど不可能。
 
 例えば、野球が大好きな人は、まあプロほどはうまくないにせよ、相当野球には詳しいことでしょう。しかし「スポーツ」とは、それこそ無数にあります。団体球技ならサッカー、バスケ、バレーなど。個人戦なら、テニス、バドミントン、卓球とか。色々あります。陸上競技だって格闘技だって色々ある。

 「政治」について興味を持とう、とか関心を持とう、ということで個別具体政策を論じる、というのは、憲法だろうが外交だろうが安全保障だろうが農業政策だろうが金融政策だろうが福祉だろうが国土計画だろうが、とにかく何でも関心を持って論じる、ということであり、それはつまり、それこそ野球だろうがテニスだろうが相撲だろうがマラソンだろうがゴルフだろうがセパタクローだろうがゲートボールだろうが、とにかく何でも興味を持って論じる、というようなものです。そんなのやりたくないし、薄っぺらくて面白くもない。底の浅さは避けられません。基本的にマスコミがやっている政治報道とはその程度だ、という認識は必要でしょう。

まとめ

 今回までの話は前フリ、予備知識編です。政治や経済、社会問題を論じるに当たっての前提。ここら辺のことを忘れずに、と。
 
 実際に政治や経済、社会問題などを扱っているブログというのもそれなりにありますね。で、実際に私がよその政治関連のブログ見ていて、まあブログに限りませんが「バカなこと書いてんな-」と思うことは多々あります。
 逆に私のブログを見て「こんな有害なブログはけしからん!」と思う人もいることでしょう。政治を論ずることの最大の問題は、この辺にあります。リアルでもありがちなのですが、思想が異なると話が全くかみ合わない。討論番組もそう。絶対に譲らない。論破され負けそうになると、詭弁、屁理屈になり、そのうち誹謗中傷へ。どんどん不毛で虚しい論争へとエスカレート?していきます。2ちゃんねるの煽りあいとか。
 
 これが政治の話題が憚られる、最大の原因と思います。政治ネタのブログをやっている者として、この問題をクリアにしておかなければ、と思いました。

遠からずまとめようと思います。