読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

現実主義と決断主義と

保守思想
変態全裸仮面という人のことを知っているかな

 以前に安倍首相を「機動戦士ガンダム」のトリックスターシャア・アズナブルに準えてみる、と言う記事を書きましたが。

 そのガンダムついでに、アニメ版「機動戦士ガンダムUC」というのを見てしまいました。「変態全裸仮面」っていう人が出てくるやつ。
 

機動戦士ガンダムUC episode 1 「ユニコーンの日」- 予告編 - YouTube
 
 ははあー、なるほどー、これが「決断主義」ってヤツのことなのかあ、と妙に納得して見ていたら原作が福井晴敏さんなのね。なるほどなるほどー。いやー興味深い。ところで、私が「決断主義」という言葉を知ったのはfreetermasterさんのこちらの記事です。秀逸な記事ですので、是非ご覧下さい。
 

 
ここでの話とも関連するところがありますね。↓↓

  
 Shizuka Ritsuさんの記事から、三島由起夫氏の「悲喜劇」の話を紹介し、安倍首相に準えてみた時の記事。

 これ「決断主義」も大いに関係ある気がしてきました。意味合い的にはカール・シュミットの言う「決断主義」のニュアンスに近いのですけれど。これは近現代日本のいわゆる「悲喜劇」を象徴している「主義」なのではないでしょうかね。いったい「決断主義」とはどこから来たのか。

日本の「決断」

 明治維新の決断による「文明開化」。昭和維新の決断による「大日本帝国滅亡」。吉田茂首相の決断による「世界市民的平和国家」日本国。いずれも「決断主義」的です。ある面では仕方のない部分があったのも確かでしょうし。しかし……
 
 吉田首相の決断は「現状追認」ではないのだ。あくまで「決断」なのだ。「アメリカの掲げる理想の最先端を日本が担う」と日本国民が「決断」したのだ。しかもよくよく考えてみれば、アメリカの掲げる理想、国連中心の「平和主義」とは、大日本帝国が掲げた理想「八紘一宇」そのものではないのか。そもそもアメリカと日本は似たもの同士だったのである。日本には下心があり、いびつな理想だったから敗れてしまったが。アメリカとは敵ながら天晴れな国なり。今後日本は、西側諸国の一員、極東地域の防波堤、そして東アジア地域のリーダーとしてやっていくのだと、日本人自らが「決断」したのだ。
 
ところが。
「こんな決断!祖国防衛に散った英霊に対する侮辱だ!デタラメで破廉恥極まりない変節だ!俺は絶対に認めない!」というのが三島由起夫氏。そして水島総氏。

 こんな「決断」はこじつけに決まっていますね。圧倒的な力で滅亡寸前まで追い詰められ。核爆弾まで落とされ。その挙げ句の「決断」?本当は、こんなことは「自らの決断」とは呼べないのです。
 
 そんなことは解っている!誰でも知っている!という方もいらっしゃることでしょう。仕方なかったのだと。少なくとも1952年の段階で「仕方なかった」のは確かだと思います。この決断が悪だ、と言う気もありません。ただ、正当性があるのだ、というのは「設定」に過ぎないし、自己暗示であり、欺瞞そのものです。こういうのを続けていれば、いずれ耐えられなくなり、精神破綻してしまう。と言うか、破綻し掛かっているのが今の日本です。70年にも及ぶ自己暗示と欺瞞のツケ、でしょう。朝日新聞もヘイトなウヨクもその破綻を象徴しているように思います。
 
 現代の我々の歴史的矛盾、度重なる変節、正当性のなさを自覚したその上で、どうやって「日本を取り戻す」のか。いったい何を取り戻すのか。ここをあやふやなままにしていては、いつまでも同じ過ちを繰り返し続けることになるでしょう。

現政権の「決断主義

 現代における、決められる政治。「決断」できる政治。安倍首相の「決断」。例えば、TPP交渉参加。消費税の増税。実質的な移民政策の容認。これも「決断主義」の一種と見ていいのでしょうかね。そんなふうに見えます。これを立派だと思う人もいるのでしょう。「決断」を煽りまくっている人もたくさんいました。竹中平蔵氏、野田毅氏、丸山和也氏、その他大勢。で、皆の期待に応え、決断したと。曰く「歴史の必然です」。
 
 三橋貴明氏はこの決断について「こんなのだったら「決められない政治」の方がよっぽどマシだ。どれもこれもやる決断をする必要がなかった」と言います。三橋氏は甘い、と思う人もいるのでしょうね。でも私からすると、これは三橋氏の方がリアリストだとしか言いようがないあ。安倍首相の方がよっぽど甘い。これはリアリズムと呼べるものではありません。

まとめ

 「決断主義」については、まだちょっと調査不足というか勉強不足な感もありますので、現時点ではあんまり深追いはできませんね。これは研究テーマの一つにしてもよさそうな。これも一種の「リアリズム」として捉える人、いますよね。しかしこれ、エドマンド・バークの「リアリズム」とは全く異なります。というより相反するもの、と言ってよさそうですね。これは避けて通れんなあと思いました。この辺、継続的に勉強してみます。

 その「決断」は本当に必要だったのか。本当に「決断」しなければならなかったのか。正当性が無いならば、それは本当に「決断」と言えるのか。
 
 
 
※ 日米の「理想」は同じなのか?参考文献はこちら