「構造改革」の虚構

 前回の記事ってどうでなんでしょう。つまんなかったですか?


サプライサイド経済学とは何だろうか - 強靱化のすすめ


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別に、ここ ↑↑↑ でもらったネガコメに、ムキになって皮肉めいた反論記事を書いただとか、そんなこと全然無いんだからね!べっ、別に何とも思ってないんだから!かか、かっ勘違いしないでよね!!

効用理論は正しい

 今更こう言うのもなんなんですけど、前回批判的に書いている「長期的に効用は最大化される」ということ自体は、私は基本的に正しいと思っています。この理論の話で、「限界効用逓減の法則」とか、シュンペーター(Joseph Alois Schumpeter)の提言した、この理論の応用としての「創造的破壊」とかいうのがあります。若い頃は、この理論なんて全く知りませんでしたが「創造的破壊」こそが重要だ、というような認識を(今にして思えば)強く持っていたし、歳を取って四十過ぎると、自分の各種「効用」が「逓減」し、「限界」に近づいているんだ、ということを否応なく実感するようになります。
この理論自体は有用なものであり、これを「道具」として、状況に応じてタイミングよく経済に活用すれば、非常に有効でしょう。

談合の効用最大化

 前々回の記事では、藤井聡教授の動画「談合は悪なのか」のリンクを貼りました。ご覧頂けましたでしょうか?ここで藤井先生は明治以降、公共調達制度が50年以上かかって、様々な紆余曲折を経て完成されていった、という話をされています。色々な不具合の解決策として政府がルール(規制)を策定したり、業者同士で話し合って組合を作ることでより効率的な仕組みが出来ていったり。つまりこれは、なにもなくて無秩序だったところに「政府」が状況に応じてルールを考え、策定し、何度も改訂を繰り返した。「組合」は自然発生的に作られ、秩序が生み出されて、形作られ、効用を最大化させていった、という訳です。
まさにこれは「効用最大化仮説」の理論によく当てはまっていて、長期的に効用が最大化されていった」という、典型でしょう。人々が知恵を出し合い、経験を積み重ね、よりよい仕組みを目指して侃々諤々。色々と問題は出てきてもそれに立ち向かい改善していく。素晴らしいことです。
効用が最大化されていくと、技術力はレベルアップしていくし、失敗がないように、インチキ出来ないように、独特のルールも策定されていきます。つまり、藤井先生のご報告にあるように、政府や組合は効用最大化を目指すことが出来ます。最大化させることが出来るわけです。

構造改革による効用は

 にもかかわらず、自由主義者達は「政府は何もするな」と言います。「経済が歪められてしまう」と。1990年代以降は「日米構造協議」と、いわゆるアメリカからの圧力の如き「年次改革要望書」に従って、構造改革が本格化していきます。藤井教授の話では、無闇に「独占禁止法」が強化されたり、本来は有用であったり、必要であったはずの規制が緩和・撤廃されたり。最大化されつつあった、効果的な仕組みが次々と破壊されていきます。
 「自由競争」の導入による結果としてのダンピングの多発、そしていわゆる「姉歯事件」のような手抜きの工事の多発。そして限界を超えた効率化の「ムダ削減」に因る、笹子トンネルを始めとした、各地でのトンネル崩落事故。行き過ぎた過当競争による、格安夜行ツアーバスの悲惨な事故など。

 それまで続いていた、日本独自の創意工夫による「効用」の高まりを、更に高める、のではなく、「構造改革」と称して破壊してしまう、というのがどういうことを意味するのか。藤井先生のお話にあったとおりです。こんなのはやる前から大体想像できるし、実際その通りになってしまったと。

 既に効用が高まっていて、高度な技術やルールが確立されている業界・業種に対して、それを「参入障壁」だの「既得権益」だの「高コスト体質」だの「ムダ!」だのと言って袋叩き。これ、アメリカからは「非関税障壁」と呼ばれてますね。
 まあこれが、安倍首相の言う「岩盤規制」の正体ですよと。「岩盤」とか表現している時点で、もう破壊することしか考えていない、そういうメッセージが強く込められている、という。典型的な思考停止キーワードです。それが「構造改革」の正体であると。じゃあ一体、なぜこんなことになってしまうのでしょうか。ここでハイエクですよ!

満を持してのハイエク論?

 と思ったのですが、これを始めるとだいぶ長くなりそうなので、次回以降にします。しかし、夏休みの宿題もあるしなあ。どうしよう。