景気回復の手順

 こんにちは。更にご無沙汰しております。間が10日以上も空いてしまいました。無事帰国致しました。結局現地では1回しか記事更新できませんでしたね。短い期間ではありましたが、実際に行ってみて、アメリカ及びアメリカ人に対する印象や考え方について、変わった部分もあります。おかげで色々と書きたいことがたまってきたのですが、なんか時差ボケ気味で。と言い訳。なので今回は、以前に書きかけていた経済関連の記事を、推敲してアップします。「中野学校宿題シリーズ」の直前にやったやつの続き。このテのネタはもう結構やったので、そろそろステージチェンジしないと、とは思っているのですが、書きかけ記事がいくつかあるもので。
 
 前に使った図をちょっと改変。この図の①のところがアベノミクス「第一の矢」大胆な金融緩和というやつ。②が「第二の矢」機動的な財政政策です。
 
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 かつては金利をコントロールするのが金融政策の基本でした。近年は金利をゼロにしても貸出が全然増えない、というのでしびれを切らし、図のように中央銀行が現金を供給する「量的緩和」ってのをやっています。これで流通する通貨量が増えそうな気がするので、インフレになるだろ、って事みたいですね。

金融緩和の趣旨は図中①~①'のルート、黄色のラインでお金の貸出が行われ、世間を巡るようになれば景気が活性化する、って理屈です。かつては①よりも、②のルートで、景気刺激策が取られていました。特に顕著だったのは1998年の小渕政権。消費増税アジア通貨危機山一証券の経営破綻などの影響による極端な景気悪化をなんとかしよう、ってんで重点的にやっていました。しかしこれ、よくわからん箱物が増えたりだの、地方の航空自衛隊基地を民間活用しよう、ってことで、飛行場を整備して民間空港として開業させたり、なんてのが悪目立ちしてしまい、無駄遣いだ!と非難が集中してしまいました。負の遺産だ!なんて今でも叩かれたりしています。そういった意味で、公共事業削減!小さな政府!を掲げた小泉政権が誕生したことの、下地になったことは否めないでしょう。
 中にはしょうもない公共事業があったのも確かでしょう。しかし、「無駄な公共事業はヤメロ!」って話が、そのうち「公共事業はヤメロ!無駄だ!」ってことになっていきました。民主党の「コンクリートから人へ」なんてスローガンが大ウケです。
 公共事業の予算は半減してしまい、本来必要であったはずの事業まで削られる羽目に。トンネルや橋の修理保全もままならず、雪国では予算不足で道路清掃どころか除雪作業さえままならない、というような深刻な事態へと追い込まれてしまいました。結局この十数年で中小ゼネコン13万社が廃業・倒産に追い込まれ、100万人以上の雇用が失われました。2/18の更新分記事で取り上げた、東京新聞の記事だと雇用喪失は200万人って書いてありますね。当然重機メーカの国内売上げも激減したことでしょう。
 安倍政権においても②ルートでの景気刺激策は、昨年度はそれなりに取られていました。

政治学的な景気回復の手順

 実際のところは、2013年度は、②のルートで出た補正予算分、及びその乗数効果と見られる程度の名目GDPの伸びがあったようです、①ルートに関しては、現状では、甚だ怪しい状況。まだこれからでしょう。公共工事を先行させるのは当然なのです。例えば東北の被災地だって、生活道路や港湾を復旧させることにより、人々が戻ってくる。民間の人々だって、国が港を直してくれるんだったら、じゃあ俺達もお金を借りて事業を復活させようか、って話も出てくるでしょう。生活のため新しい車を用意しよう、って人も出てくるでしょう。店を営む人も戻ってくる。物流も必要になる。そうやって地域は復活していく。そうなればGDPだって増えてくる。経済ってそういうものじゃないの?
首都圏にしたって、外環道や圏央道が繋がれば、物流速度が上がるし、首都圏の渋滞も緩和される。沿線に物流基地や倉庫、新しい工場地帯などできるかもしれません。と思うわけです。しかしこれ、実は非常にマイナーな考え方なのです。現在の主流派である「新古典派経済学」系のマネタリストやリフレ派はもっと別のことを考えています。

経済学的な景気回復の手順

 例えば東北の農地や漁村が復興されるべきだ、とマーケットが合理的に判断すれば、投資は自然に集まってくるんだからほっとけ!投資が集まらないから、だとか或いは被災民の救済だ、とか言って政府がわざわざ投資をして、無理矢理ゾンビとして復活させるのは駄目だ。お金が自動的に集まらないなら餓死するしかない。要するに「市場メカニズム」という「見えざる神の手」が決定することなので、政府は出てくんな!ってことです。それが主流派経済学の考え方です。
 とはいえ、新古典派の学者や評論家、政治家でも、ここまで冷徹に考えている人は、さすがにそんな多くありません。しかし、議論の出発点は「原則的にはダメだが」になってしまいます。そして「人助け」「復旧」よりも財源や予算の話が先行、そして「効率的な新しいエコタウン」など、被災者の思いからはかけ離れた、よく考えると人の道から、なんか外れたような議論を真面目にやっているのです。