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大衆社会に処方箋はあるか

経世済民

先日自慢していた本。

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 まだちょっとしか読んでいません。のでこれは置いといて。

またよそさんのブログ記事からスタートします。なんだか最近、このパターンが多いような。さてはコイツ、ネタ切れ? なんてツッコミはさておき。私とは真逆、徹底したグローバリストさんのブログを発見。私、神奈川県民なものですから、このタイトルはどうにも見過ごせませんでした。

神奈川県民とグローバリズム - ボン兄タイムス

「ボン兄タイムス」というタイトルを見て、なぜか「ポン爺スキーム」という言葉を連想してしまったふのい(仮)です。(ポン爺さんのことは、来月あたりにご紹介しようかと思います)

他の記事など見ても、グローバルスタンダードの名目の元、アメリカナイズされ、画一化され続けていく日本、そして世界を、とても肯定的に捉えられているようです。色々と記事を読んでみると、今の日本の停滞は、小泉構造改革が止まってしまったせいだ、なんて話も出てきました。改革が足りない、そうです。古くからのしきたりとか伝統を、小馬鹿にしたような表現がなんとも残念です。何か恨みでもあるのでしょうか。紹介しておいてなんですが、私同様のアンチグローバリストの方は、見ない方がいいです。
 竹中平蔵ならぬ、「はてなのヘーゾー」って感じしょうか。いや別に伊藤元重でも大田弘子でもいいですけど。「ネオリベ」三面拳ですよ。


「ぬうっ……あの技はもしや……」
「知っているのか雷電!?」


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 この方からすれば、私など古くさい田舎者、ということで、バッサリ。やっぱり議論の余地なし、なんでしょうね。ミクロ論をベースにマクロ展開する方式。「方法論的個人主義」とか「合理的選択理論」ってーのなんでしょうかね。
 こういう理論を「社会科学」とは思いたくないです。それに、こういったミクロ肯定論に対するカウンターってのもありふれてたくさんありますよね。例えば、左派なら沖縄のアメリカ兵の犯罪とか米軍機の事故なんかを列挙するとか。右派なら在日韓国人や中国人の犯罪を列挙するとか。


 いずれにせよミクロ論ばかりだし。本来はミクロ論とはまた別に、マクロ的にどうなのか、という検討が必要です。経済外交安全保障上はどうなのか、将来の子々孫々の為にはどうするのがよいのか、などなど。移民に頼り過ぎ、またコスモポリタニズムの罠に深くはまり込んでいるヨーロッパ各国の現状など、色々と調査検討すべきことがあります。ミクロ論ベースの心情論や個別の効用最大化理論だけでは、あまり社会科学的ではないなあ、と思います。「はてな社会科学研究所」の研究員としては、もっと社会科学的にやりたい。
 しかし私には知恵が足りない。困った論説に対抗する為には、いったいどうすれば?というわけで、ほかの研究員の方のご意見をうかがってみましょう。(本格的にネタ切れ?)

「次世代文明研究所」の白井京月さん。

政治と経済のブロック化 - 次世代文明研究所

以下、一部引用致しますね。


本当の敵は、政権ではなく大衆だ。正しい知識も問題意識もなく政府やマスコミを信じる大衆、隷従する大衆だ。国民の過半数がこのような大衆である限り、マトモな政権などできるはずもない。


うーん、全くもって、仰るとおりにございます……小泉政権民主党政権安倍政権も、実は、いつでもそうなんですよね。


この辺、非常に解りやすい書籍はこちら。

日本をダメにしたB層の研究

日本をダメにしたB層の研究


 適菜収さんと白井京月さんの論説を借りれば、「B層マーケティング戦略」を立てる「既得権益層」と、それに踊らされている、ことにすらまるで気付かず、むしろ喜んで踊っているのが「B層」=「大衆」といったところでしょうか。いや私が言ってるんじゃなくて、そう論説があるみたいですよって紹介しているだけですって!(責任転嫁)

 最近私が無闇に推しているJOJOに準えるなら、既得権益層の吸血鬼Dioと、吸血鬼をありがたがる大衆ゾンビ、といったところ。「日光にさえ当たらなければ不死なんだから、別にゾンビでええやん。なにがアカンの?」 って私じゃなくて荒木先生が(ry

 そもそも大昔から、実はソクラテスの時代から二十世紀のオルテガに至るまで、口汚く「大衆批判」をしていたそうで。大衆とは、オルテガの曰く「住んでいる穴から引き出しようのない昆虫」ニーチェの曰く「ノミのように根絶しがたい生き物」 そんな……お二人とも「大衆」を「虫」に例えるなんて、酷い……

 加えて、私の師事している強靭化の藤井聡師匠 [要出典] は、「政・官・財・学」にメディアを加えて「五大勢力」とし、支配層側の「大衆」として、批判しています。大衆とは下々の者、という意味ではなく、思考停止の人全般を指すものであり、「大衆」の最たるもの、とは「専門家」である、と仰っていました。「専門バカ」なんですって。「ボクは経済学のMF○×理論の専門家だもんねー。学位を持ってないヤツは黙ってろよwww」みたいな。

さらに藤井師匠 [要出典] は酷いことを言いながら、「これは僕が言ってるんじゃなくて、オルテガが言ってたんですよ」とか「プラトンってひどいこと言いますねー」とか、ネタの如く披露していました。そして、ご自身の三十年にも及ぶ哲学研究の成果として「大衆社会の処方箋」は無い!ということが判明したそうです。いやそんなことは、最初から解っていたんだけどね!一応念のため、今でも研究を続けているそうです。

というわけで、大衆との議論、或いは説得は、ムダ!という点に於いて、私の考えと白井京月さんの主張には、あまり違いがないのかなあ、と思いました。(私が勝手にそう思っただけです。違ってたらゴメンナサイ……)
 私も決して、大衆を説得する目的でブログをやっているわけではありませんし。


 ただ面白いのが、このオルテガさん、哲学者でありながら、政治家をやっていたこともあります。政治家が自国民に向かって「この、穴から出て来ない、わからずやの虫ケラ共め!」って、どうよ。ドSなのかドMなのか、よく解りませんね。しかし、そうやって根気強く大衆に向かって語りかけ続ける政治家ってのもまた、偉大だなあ、と思う今日この頃です。真実を蕩蕩と国民に語りかけ続ける政治家。ごくわずかですが、日本にも、そんな人は確実に存在します。そんなことは無駄であると、彼は知っています。無駄であると知りながら、政治家をやっています。いったいなぜそんな無駄なことをやっているのでしょうか。
 私は思うのです。彼は「せめて目の前にある危機くらいは避けようぜ!」という位の知性のある、「大衆」でない人、或いは「大衆」から脱却しよう、という「気概」のある人に向かって、訴えかけているのだと。


随分と長くなって参りました。ので、次回に続きます。