リベラルとは何だろうか

テキサス親父

リベラルのテキサス親父はいるのか?保守とリベラルの考察 - 「テキサス親父」の研究ブログ

 こちら、かの有名なテキサス親父さん、を研究されているブログ。テキサス親父さん、日本にとって素晴らしい友人です。弊ブログと趣旨は異なりますが、おお、ついに「はてな」最右翼の私よりも右寄りの人が!ということで、勝手に期待しております。

 さてこちら「リベラル」と「保守」について言及されています。ネットではよく見かけるし、新聞や雑誌等、メディアにもよく出てくる言葉ですよね。私もこちらの趣旨と同じようなニュアンスで、リベラル=サヨク、保守=ウヨク、的な意味でずーっと使ってきました。が、政権再交代後の2013年以降、だんだん避けるようになり、最近は「保守」を自称しなくなってしまいました。それはいったいなぜなのか。というお話をしてみたいと思います。

リベラルとは?

 単純にまず、日本の民主党は英語で [Democratic Party] で、自由民主党は [Liberal Democratic Party] です。ので、言葉の定義上では自民党の方がよりリベラルなはず。リベラル、リベラリズムとは本来「自由主義」を意味します。現実の政策を見ても実はその通りで、本来の意味では、自民党の方がリベラルなのです。それがなぜ、逆な感じになってしまったのでしょうか。

カメレオン

 これは私の主観で、なにか調査したわけでもないので、現実とは違うかも知れませんが、述べてみます。
 民主党の中心人物だった鳩山元首相や菅元首相、或いは仙谷由人さんとか千葉景子さんとか岡崎トミ子さんとか。いわゆる団塊の世代、或いは全共闘世代、と言われる人々。実際に学生運動をやっていて、中核派革マル派と繋がりのあった人、或いは当事者が、民主党にはたくさんいたし、この世代にはマスコミの中心にも相当います。この辺の人達が、本来のマルキスト的思想、左翼的思想をカモフラージュするために「リベラル」を自称していて、特にソビエト崩壊以降、それが顕著になった。日本社会党は壊滅していきましたが、その議員のほとんどは民主党へと吸収されました。政権の中心にも、社会主義思想そのまんまの人って結構いましたよね。仙谷さんとか枝野さんとか。

 そういう訳で、本来は左翼系思想の人が、隠れ蓑として「リベラル」を自称していました。それを見抜かれるようになったので、だんだん「リベラル」とはどこか左翼的な意図を強く含むような言葉になっていきました。民主党でも、例えば松下政経塾の人は本来の意味で「リベラル」っぽかったのですが。なんかひとくくりでリベラル左翼、みたいな感じになっていました。これ、本国?のアメリカでもそういう傾向のようです。

オレはどうよ

 さて、私の立ち位置を学術的に分類すると「保守の父」と言われる、エドマンド・バークの提唱する「保守主義」に該当するようです。「保守」というのは、よくわからんがとにかく歴史や伝統を大事にしよう、保守しよう、というだけなので、そもそも「主義」たり得ません。しかしバークは、フランス革命を目の当たりにした時、これは「保守」の危機である。このままでは歴史ある文化や伝統が破壊されてしまう、と考えました。野蛮極まりない革命、設計主義は危険過ぎる。敢えて「保守」を「主義」として定義し、対抗しなければならない時代になってしまった、というのがバークの保守主義です。

自民党は「保守政党」なのか

 自由民主党は「保守政党」を自称しています。そして、保守と呼ばれる、或いは自称する政治家がたくさんいます。しかし、実際に「バーク」的な意味での保守主義者、というのは非常に少ない。例えば石破幹事長、本来の意味でリベラリストでしょう。思想的には民主党の前原さんや野田さんに近い。安倍首相も2012年末の総選挙の頃は「日本は、ウォール街の強欲な資本主義とは違う、瑞穂の国の資本主義だ」と、バーク的な保守主義、を唱えていましたが、その後の政策自体は、多くがリベラル、或いはネオリベラル(新自由主義)に分類されます。2013年夏の参議院選挙以降は特にネオリベラルの傾向が顕著です。

 というわけで、本来の意味で「リベラル」や「ネオリベラル」の人が『オレは「自称リベラル」の連中とは違う、あいつらとは違うんだ』という意味で「保守」を自称している、という気もします。おかげで「保守」「本来のリベラル」「ネオリベラル」は、なぜかほとんど区別されず、「カメレオン・リベラル」以外は、一緒くたにみんな「保守」という、訳のわからんことになっており、ある意味では「隠れ蓑」にもなっています。

アメリカでは

 自由の国、アメリカ! America, the land of Freedom!ということで。自由がアメリカの伝統です。ただ、「リベラル」はアメリカでも左翼っぽいイメージ、がついてしまったらしく、現代では「ネオリベラル」がアメリカの保守、と考えられているようです。他には伝統らしい伝統はありません。伝統、と言ってもアメリカは歴史が浅いし、清教徒ピューリタン)が設計した人造国家、という風にも見えるので、何とも。アメリカはまだまだこれから伝統を創っていく国、なのかも知れません。

まとめ

 バークの保守主義って、実は、日本では、かなりのマイノリティです。そして、この保守主義者たちは、自分を「保守」だ、と言う人が非常に少ない。最近は私もあまり保守を自称しなくなりました。あえて言う時は「バーク的な意味で」というのをやたら強調するようになってしまいました。「保守」を自称すると、「本来のリベラル」、或いは「ネオリベラル」と同じカテゴリーに見られてしまうかもしれない。となると、主義主張が異なるのでそれは困る。ので、「保守」を自称するのはマズイなあ、と。本来的な意味で、皆さん、立ち位置を明示して頂ければいいのですが。なんかこの辺のカテゴライズって、学術的分類と自称とのズレが激しく、なんかとっちらかっています。


以上、自称「バーク系保守派」の愚痴でした。


なぜ「リベラル」「ネオリベラル」が自称「保守」なのか。より詳しく知りたい方はこちら。保守の思想、歴史を鋭く分析。中野剛志先生のご著書。本ブログでも大いに参考にさせて頂いております。

保守とは何だろうか (NHK出版新書 418)

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