孤高のしまりん

 合点がいったことがあったので、前回に引き続き「リズと青い鳥」の話を書こうと思っていたのだけれどその前に。「 ゆるキャン△」の良さを、自分の言葉で言語化してみよう!のコーナー。
 
tyoshiki.hatenadiary.com

べ、べつに、友達になりたいだとか、そんなんじゃないんだから!
かっかか勘違いしないでよね!でっでもアンタがどうしてもって(ry
 
とかそういうのは苦手なんでしたっけ。



 なぜここで、「ゆるキャン△」かと言ったら、実のところ「リズと青い鳥」観て、ああ、これはある意味ゆるキャン△系かもな、と思ったのでした。独特の雰囲気、一見あんまりストーリー性がない感じ、視聴者からは高評価だけど、それがどうも直接的・表面的なところ。賛辞の言葉がなんだか上っ面な感じがするのは、やっぱり中身が薄いからなのか、それとも、簡単には言葉に表し得ないなにか、を持った作品だからなのか。
 
 はたしてゆるキャン△は、頭を空っぽにできる、癒やし系作品なのだろうか。まったくなんの変哲も無いゆるやかな日常を、ただただ綴っていくだけのものだろうか。本当に?そんな言い方だとなんだか作品自体には大した中身ないような印象を受けるよね。


www.youtube.com


 さて、主人公しまりんのやってること自体はかなりのガチキャンプではありますが。作品に漂う、独特のゆるやかな雰囲気。何か特別な事件が起こるわけでもなく。でもなぜだか観ていて飽きない。20分余りの、緩やかな時間が、あっという間に流れていく。あら、もう終わっちゃった。そんなに時間経ってた?っていう。なんとも不思議な作品だったな。
 
私の中ではこれ、最近観たアニメベスト3に入ります。入れておきます。
最近ていつだよ。どの作品だよ。

1. 響け!ユーフォニアム(2015)
2. 翠星のガルガンティア(2013)
3. ゆるキャン△(2018)


 ホントに、ゆるキャン△が、客観的に見て、そこまでスゴい作品なの?と聞かれたら……まあ、そんなでも、ないかな、とは思う。前回紹介したマキアやリズ、よりもいよりも面白いの?と聞かれたら、いやあ、やっぱり、そこまででもないよね、とは思う。のだけれど。

 それでも「ゆるキャン△はいいぞ」としか言いようがない。これって視聴者側の深層に、潜在に、何かシンクロするものがあって、よく分からないまま自分の中で勝手に感情を増幅してしまっている感じがする。きっと誰しもお気に入りの作品ってのはそういうところがあって、私にとってのゆるキャン△には、そういう要素があるんだと思う。


ゆるキャン△とは何か

 いやーしかし1話からしてアレだよな。フツーのJKが下部(しもべ)から本栖(もとす)までミニベロで登れるのかよ?っていう。しかもキャンプ道具持ってさ。あんな坂よっぽどの変態健脚ローディじゃないと無理じゃね?まあ、しまりんの家は本栖湖寄りにある、って設定だった気もするけど。バイクも本栖ナンバーだったし。でもなでしこは下部から上がったんだよなあ。マジパねえ。

 なんて思ったが。そういやそうだ俺も高校生の頃チャリで、、、松原湖から麦草峠まで登ったじゃないか。いやあ懐かしい。あんときゃ青春18切符で、今は亡き中央線115系夜行電車で一人で輪行して。小淵沢から野辺山へと登っていくキハ58・DMH17の爆音。一人でチャリでちんたらもくもくと麦草峠目指して登っていくと、俺を追い越していくバイクのお兄さん達が声を掛けてくれたり、手を振ってくれたりしてね。「がんばれー!」って。麦草峠の山小屋に泊まったんだったな。アレ標高差どんだけあったんだっけ。Google mapで調べたら1200mだった。すげえな俺、帰宅部のくせに。ちょっとはいい自転車だったけどさ。本栖に登るより大変じゃん。そう考えると、健脚ローディじゃなくても、頑張ればしまりんにも登れるのかもしれないな。まあ俺はJKじゃなくてDKだったけどね。


 そう。しまりんたら、やってることがなあ。俺と全く同じなんだよな。寒い中を根性で、一人でバイクで出かけて、涙目になって。前走車の後部座席の子供が手を振ってきたりして、ささやかな交流があったり。信号待ちしてると道端の犬が吠えてきたので「やんのかてめえ」などとつぶやいてみたり。自販機の前で一休みして。缶コーヒーなど飲んでのんびりしていると、頭上遠くを鳶がゆる~く旋回する。ぴ~ひょろろろろ。鳶って海に行っても山に行ってもいるんだよな。
 
 何もかもが、懐かしい。俺は高校生の頃は一人で自転車で出かけて行くようなヤツだった。高校を出てからはバイクで。8~9割方が一人で、1~2割くらいが友達や先輩と。20代になってからは先輩の影響で、キャンプ道具をそろえてね。よく行ったわ。とりあえず一人で出かけて。出先で仲間と合流したり。また分かれたり。90年代だから携帯電話もなかったし、ナビもグーグルマップもなかったし。よくやったもんだ。事前に○月×日は御前崎キャンプ場に集合な、とか一日だけ決めてたんだったな。
 2週間くらいかけて北海道一周もしたよ。そう、あとはなんと言っても四尾連湖。四尾連湖の西側のほとり。しまりんとなでしこと、全く同じ場所で俺もキャンプした。なでしこと全く同じところを散歩もした。アレっていつ?25年前、くらい……?

 という具合に、ゆるキャン△の良さについて、作品そのものを語るんではなく。自分に重ねて語るほか無いんだなコレが。前頭葉よりも、海馬が刺激される、ような。あー、これなんか胡散臭い表現だな。

 ユーフォもそういうとこあるんだよね。以前に2巻を読んでいで涙が止まらなくなってしまった、って書いたけれど、あれって必ずしも作品そのものに感動していたわけではなく。脳の奥深くにしまい込んでいた記憶、封じ込めていたはずの想いを引きずり出され、掻きむしられてしまった、ようなところがあるんよ。



 ああああ、完全に、個人的な話になってしまった。凄く好きな作品って、きっと誰しもそんなもんなんだと思う。だから、なんかこっ恥ずかしくて正直には言いえないとか、自分でもハッキリ認識できてないとか、そういうことが、あるんじゃないかな。

 或いは逆に、すごく評判の良い作品なのに、自分には何が良いんだか分からない、なんだろうコレ?っていう、そういうのも、誰しもあるでしょ。これって、誰しも共有、理解できるような前頭葉で分かる面白さとは別に、海馬の記憶に響くもの、ってところに何かあるんじゃないか、って思う。


 でもこういうの、頑張ればおそらく、もっと普遍的、一般的な話に落とし込むこともできる。ゆるキャン△は分かりやすいほうなので、やってみましょうか。かなり強引に思われるかもしれませんのですが。
 
 俺は、しまりんのように生きていくんだと、ずっと思っていた。当然そうなっていくんだと。孤高の存在として。自分の力で。自由に、強く生きていく。そして、それを理解してくれる存在。支えてくれる人。優しく見守ってくれる人。いつでも帰れる場所。誰しもが、そうなのかは分からないけれど。
 ゆるキャン△はそういう自由世界、理想世界のメタファーのように思う。


 でも、アレは結局、キャンプだから可能なのであって。現実はそうではない。そうやって現実世界で孤高の存在として強く生きていけるのは、ごく一部の天才、力のある者だけ。ガキの頃はそれが分からなくても。生きていくうちに、否応なくそれに気付かされていく。思い知らされていく。俺にはしまりんのように生きていく力は無かった。そしてそもそも、世間とはそういうものではなかったのだと。



 理想世界を、ゆったり、優しく描いているのが「ゆるキャン△」。現実世界を、残酷に、時に美しく描いているのが、「響け!ユーフォニアム」。


というマトメで今回はおしまい。



 と、まあ、ここまで書いてしまうとね。「何なのこれ?つまんねー。こんな話いる?」という人も出てくると思う。メタ認知とか深層心理とかの話が好きな人だったら、ここの分析が的を射ていようが的外れだろうがネタとして楽しめるとは思うんだけど。でも大多数はきっとあんまり興味が無いだろうし、こういうのに拒絶や嫌悪を示す人も結構いるし。私はこの手の話が好きなんだけど、時と場所と相手をわきまえないとな。


多分、そのうち、続きます。「リズとは誰か」かな。