半径5メートルの "MeToo"

 MeTooが話題沸騰ですね。そろそろ沈静化しているところですが。全然知らなかったんで色々と勉強になりました。勇気ある証言をありがとうはあちゅう。大変に勇気と覚悟のいることだったと思います。
 
www.buzzfeed.com


 でも、MeTooって、BuzzFeedの関連記事など読んでいて、あまり賛同できるものでもないな、と思ってしまいました。オレ無理だわ。

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あなたは #MeTooの一員なのです。


ですって。
運動の聖域化、自己絶対化。クルセイダーの戦い。



 人を盾に使うみたいでアレですが、フミコフミオさんの記事。
 
delete-all.hatenablog.com


社長からパワハラ的圧力を感じたけれどMeTooしないという。ロボットだから。社畜だから。だけど分かるぜ。オレもしないから。しんどすぎるから。弱いから。

 悪いヤツらをぶちのめすには、ヤツら以上のパワーを持たなければならない。そしてもしそんなパワーがあったなら、最初からパワハラなど受けない。


 フミコ氏の日頃からの記事を読んでの通りでして、世の中はパワハラモラハラセクハラヘイトにあふれている。しっちゃかめっちゃかのメチャクチャのデタラメです。地獄の沙汰です。それをいつもユーモアにしておもしろおかしく記事に昇華しているけれど。精神を病んだり体を壊したりのボーダーラインすれすれで彼なりに戦っている。踏みとどまっている。
 
 私のサラリーマン生活にしたって五十歩百歩だ。今つとめている会社はまあ、そんなでもないけれど。私はFA(ファクトリオートメション)業者なので、あちこちの工場に出入りするんだけれど、酷いところ多いよ。20年前には自分自身が自動車部品の工場にいたけれど、あそこも酷かったなあ。中にいると、あれが普通になっちゃうんだよな。いや自動車に限らんか。T芝やSャ―プなんかもなあ。「いざなみ景気」の頃はけっこう出入りしてたんだけど、ギラギラした出世欲の塊みたいのってどこに行ってもいるし、そういうのの周辺はパワハラモラハラばっかり。外部業者のオレがつらくなるくらいなんだから。中にいたら精神を病んでしまう。あとはとにかくなんせ、超大手企業エンドユーザーの無茶苦茶な納期要求。客先の客先の客先の、世界一、二の自動車メーカーとか電機メーカーとか。世界最先端のヤツらって(私のような下っ端請負業者からしてみれば)マジホント無茶苦茶な要求出してくるんですってば。
 
弱いヤツは餌食にされる。強くなければ生きていけない。世の摂理。


そんなのおかしい。間違ってる。そんな不条理は許さない。
そう言いたいのは分かる。


MeTooってのはきっと、弱いままでも生きていける、やさしい世界、を目指しているのだろう、とは思う。だけど。その理想は素晴らしいけれど。それはあくまで、将来がそうであるように、ということであって、現実はそうではない。


はあちゅうはかつて弱かった。その弱さをパワハラセクハラに利用された。酷い話だ。

しかし弱いままではMeTooはできない。強い勇気を持たなければ、自分自身が強くならなければ、MeTooできないのだ。はあちゅうは、今では強くなれたから、強い勇気を持てたからMeTooできたのだ。そりゃもちろん、そこには計算や打算があるのかもしれない。でもそれをひっくるめて『強さ』を身につけたってことだよ。純粋、潔白である必要など、全くない。

 強くなければ生きていけない。強いヤツと戦うためには、そいつを倒すには、敵以上の強さを持たねばならない。「お前もMeTooの一員だ」と言うのなら。「お前もMeTooしろ」と言うのなら。「弱いままでいいのです」ではなく、「強くあれ!」「我と共に戦え!」というメッセージを発するのがスジではないだろうか。


 エマ(ワトソン)の言うような「男性は男性性から降りてもいいのです」なんて状況ではない。男性性から降りたらオレには何も残らない。俺達は負けるわけにはいかない。これは「男性に求められた社会的役割」じゃないんだよ。そんなものではない。全然違う。これは不条理に満ちた、自然の摂理だよ。そしてそれに付随する「自然発生的秩序」だ。


 でも、オレやフミコさんは、はあちゅうのような圧倒的強さを持ち合わせてはいない。はあちゅうほどには強くあることができない。弱い人間なのだ。そして実のところ、弱いままでもいいじゃないかとさえ思っている。弱いなりに、今の場所にしがみついて、大きな流れに押し流されながらも、必死に泳ぎ、その中で自分なりに戦っていく。それだけだ。


 「そんなヤツに限って社会でやせ我慢してるから、家に帰ってから家族にモラハラやDVをやるんだ。そういう負の連鎖を断ち切らねばならんのだ」っていうような話も出てたけれど。言ってることは分かるんだが、それはマクロ論とミクロ論をわざとごっちゃにしている。一般論と半径5メートルの話を直結するのは乱暴だよ。はあちゅうにしたって、結局今回の件でどれだけ傷つき、辛い思いをしただろうか。MeTooの言う「負の連鎖」を、彼女自身が MeTooで体現してしまったのは皮肉なものだ。そこにMeToo自身の持つ矛盾がある。ミイラ取りを募っておいて、ミイラ化させてしまう。これははあちゅう個人の問題ではない。



 正直に告白するとね。私、年に1~2回、

「なにやってんだオマエどんだけバカなんだよこんなミスあり得んぞ!」

とか怒鳴ってしまうことがあります。とんでもないパワハラ野郎だなオレ!


 これは独り言です。自分自身に向かって言っている。私は凄まじいほどの「注意欠陥力」を発揮してしまうことがあってね。信じられんミスをしでかす。あまりに自分がバカすぎて情けなくて耐えられなくなる。まあ、他人にここまで言われることは滅多に無いけれど、これが原因でパワハラモラハラ的圧力を受けることはよくある。針のむしろだ。

 FAの制御屋さんだからね。制御ソフトにミスがあれば、最悪の場合、作業ロボットが誤動作して、生産品をぶっ壊したり、ロボットがどっかに衝突して壊れたり。もっと酷ければ、製造作業者やメンテナンス作業者がロボットに殴られて怪我するとか。


 機械壊して何万円も損失出すとか、部品交換のために何時間も喪失するとか、やるんですよ、マジで、たまにだけど。人にケガさせたことはないけれど。そういうリスクは常にある。


 そんなんで怒られてんのをパワハラだのモラハラだのではないでしょう。私はADHDなんだから仕方ないんだ大目に見ろ!とか言えないし、言いたくない。絶対に言わない。ここから降りるのか。降りてどうするのか。弱いままそのままでどうするのか。どんだけ殴られようが、オレはゼッッッタイにここから降りない。負けるわけにはいかないんだ。どんな不条理でも、どんなに不毛でも。どんな地獄でも。

 MeTooするほどの強さを持てないヤツ、つまりほとんどのヤツは、その場にとどまって戦う道を選ばざるを得ない。MeTooは現状、現場で苦しむ人間の逃げ道としては機能しない。 そりゃ、幾ばくかの勇気と希望を与えることは出来るのかもしれないが。でも安易に乗ってしまえば、その後に待っているのは絶望だけかもしれないのだ。ミクロとマクロ、現在と未来、理想と現実をごっちゃにし、曖昧にしたままMeTooを語るのは無責任ではないだろうか。


 俺はMeToo には与しない。俺は俺のやり方で筋を通す。このあいだ書いた批判会&互助会の話とかが、自分なりの「半径5メートルのMeToo」だと思っている。ネットであれば、炎上で傷ついた人。ヘンなのに粘着されて困ってる人。株式投資や通貨投機でヘンな方向に行ってしまいそうな人。そのほか、経済とか政治とか歴史とか哲学とかで疑問を感じている人とか。自分の観測範囲で、或いは互助会wの人とかを見ていて、気になったら、私に分かる範囲で、できる範囲で、ツイッターやらコメントやら言及やらで声掛けしてみる。「オレはおせっかい焼きのスピードワゴン!」的な活動を続けるだけだ。リアルでも同じだ。ずっとそうしてきたんだ。

そうすることで、自分の存在意義が達成される。




……というわけで、現場からは以上です。
今回は珍しく「俺の半径5メートル」の話でした。
この件、いつも通りのパラダイム論でも検討中です。

最後に、はあちゅうさんについて

 はあちゅうさんには申し訳ないんだけれど……私の立場について申し開きしておかないと危険なので。はあちゅうさんってよく知らんのですがプロブロガー系の人だよね。なんかぼったくりサロンとかネットde焼畑農業とかやってる感じの、超うさんくさい人?「信者ビジネス」みたいなもん、と思えばAKBと変わらん気もするし、夢を売っているんだろ。私は、敵意も好意もありません。そんな感じ。


今回の件では、すごく頑張っていらっしゃったと思います。
大概の、声のでかい人やら運動家やらがやってる、

① 自身の被害者性を利用して自己絶対化する
② 自身の弱者性を利用して強者化する

 このふたつをやらない!という心意気は特に素晴らしかったと思います。某ヘイトファイターや某コスプレで女とは、似てるようでここが違う。


 まあ、結局殴られすぎて辛くなって弱気になって、ハフポストの記事では残念な感じになってしまいましたが。きっとこの世界に絶望を感じたことでしょう。ハフポストははあちゅうには似合わない。でもあれも含めて立派だったと思います。身をもって皆に示してくれましたね。この世がいかにクソであるかを。理想からかけ離れた残念な世界であるかを。地獄であるかを。私やフミコさんの世界認識がいかに正しいかを。
 
グレートだよ。